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怒りのすみか(2024/3/22)

今日の日記。

特に自己紹介はありません。
よくわからないまま、なんとなく読んでいただく中で浮かび上がる僕を
そのまま受け取ってもらえれば、
それがきっと一番僕らしい僕であろう、というような。
そういう適当な思いです。

久しぶりの日記。
少なくてもいいから、毎日書きたいな。


今日のひとこと

僕は昔から、怒らない人だった。
友達からも先生からも、親からだって
誰にでも同じように優しいことを褒められた。

でも、最近僕はイライラすることが増えた。
その訳もなんとなく分かってる。
きっと、パートナーと付き合ってから僕はイライラすることが増えてきたんだと思う。


怒りの所以

先ず言わないといけないのは、
「彼女が僕をイライラさせる」と言いたいわけでは全くない、ということ。

むしろ、僕をイライラさせているのは、僕自身なんだって、最近やっと気づいた。

僕はパートナーと付き合って半年経ってくらいから、その彼女にイライラすることが増えた。
理由は何にせよ、僕はずっとそれが
「彼女が僕のことをわかろうともしてくれない」ことに由来する行いに対する苛立ちと悲しみだと捉えていた。

でも、僕は友達にされても何も思わず許してやれるような些細なことであったとしても、それを彼女にされると悲しくなることもあった。

僕は最近
「僕が彼女をコントロールしようとしているから」それができない苦しみを感じているに過ぎないのだな、と気づいた。


ヒトはヒト

僕は昔から、
他者は他者以外の何でもないのだから、自分が何かをしたって、究極のところ何も変わらないし、僕が他者に何かさせようとしても無駄だ
と思っていた。

それは、ある種の絶望感から来る僕の生き方の軸でもあった。

僕は僕以外の誰でもない
だから僕は誰の心も本当の意味では分かってあげられない
だから僕は結局、誰の苦しみも一緒に背負ってあげられない
逆に、僕以外の他者は誰だって僕ではない
だから誰も僕の心を本当の意味で分かってくれない
だから結局、僕はたった1人で僕の苦しみを抱えなきゃいけない

相当しんどかった時期もあった。
それは、どこまでも僕は孤独で、僕は誰とも心を触れ合うことができないというひとりぼっちを死ぬまで続けないといけないことに対する絶望によるものであった。

ただ、だからこそ
僕は優しく在れたのだとも思う。

誰かが僕に酷いことを言っても、
それは仕方がないと思った。
誰かが僕を助けなくても、
それは仕方がないと思った。
そして、
誰かが僕にあたたかい言葉を言ってくれたら、
ただそのことをこそ有難いと思った。
誰かが僕を助けてくれたら
ただそのことをこそ有難いと思った。

「なんでしてくれないの!」
って怒ることは、まずなかった。

それはきっと、詰まるところ単純に切って仕舞えば、他人に期待していなかったから、
何をされても怒らなかったし、
誰に対しても同じように優しくできた。


彼女もヒト

最初のうちは、パートナーである彼女に対しても僕はいつもの優しさで接することができた。

でも次第に僕は彼女を僕の一部であると思い込んでいたのかもしれない。
僕がして欲しいように話して、
僕がして欲しいように動く
と、僕が勝手に思い込んでいたのかもしれない。

だから、「そうではない」ことに
僕が勝手に苦しんでいたのかもしれない。

彼女も1人の他者で
僕とは違う存在なのに、
僕は勝手に彼女を僕に癒着させていたのかもしれない。

それが、僕が常にイライラする所以だったのかもしれない。

彼女が1人の他者であると、
きちんと認識して、
その僕に対する一個の確立した存在の行為を他者のそれとして受け止めて、
その有難さを感じることができずにいた。
だから僕は怒りを鎮めることができなかった。

その怒りは、僕が作り上げた怒りだった。


怒りのすみか

頭ではよく分かっているつもりだった。

自分が「どうにかできる」ことなんてほとんどないってこと
ほとんどのことは、自分では「どうにもならない」ってこと
だから、その「どうにもならなさ」を楽しむ心が必要であること
それが、心の余裕を生み、
その心の余裕が怒りを締め出す安定した人を作ること

でも、無自覚のうちにそれは言葉だけの徳になってしまっていた。

いつもいつも
「なんで僕ばっかり」
「僕はこの前こうしたのに」

僕は、僕は、、、

イライラの所以は常に独りよがりの欲望だ。

独りよがりとは、そういう意味で
世界を自分のものと勘違いすることだ。

世界は自分のものではない。
自分以外のものは、自分ではない。
それなのに、
「ぜんぶ僕のもの」
と欲しがりを決め込んでいるから、結局叶わない苦しみが怒りを呼ぶ。

何が「自分のもの」なのかをきちんと確かめて、
自分のものでないもの、すなわちほとんど全ての独りよがりを手放してみせることが、
怒りから離れることであり、
それが、自律することであると、
思うようになった。

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