慶了

22歳、大学生です。 全部独り言、ただの日記です。 教育学部生。浄土真宗本願寺派僧侶。

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    • 9本

    キャリア教育に関する取り組みを発信し、進路指導の新しい価値を提案します。

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平和で民主的な国家(2024.8.15)

思考の備忘録として、残します。 僕のいつの日か書いた日記を引っ張り出してきて、その日記について今の僕が感想をつける、という形でなんとなく文章を書こう、という魂胆です。 なんとなく僕には、本当に残忍な人の心というのを認めない節がある気がする。 僕自身そんなにできた人間でも無いのに、 きっと人には清らな精神が一番根っこにあって、その美しさを信じることで、人や社会が少しづつ良くなっていくと信じているような気がする。 「人の心」と「主権者教育」この日記を書いていたときには全然意識

    • 「つまらない」を終わらせたい

      今日はがんばろう 今日からはがんばろう そんな決意は まるで頼りない粘土みたいに 大きくて冷たい石に ぺちゃんこに押しつぶされた 何かしなくちゃ しようとしなくちゃ そんな焦りは もうほとんど諦めをはらんでる 何ができるんだろう ぜんぶが無意味みたいだ そんな身勝手なことをささやく心は 涙すら僕には与えてくれない 触れても揺らしても ピクリともしない 置き物の心 何かしよう 何かはじめよう そう思って 筆ペンを一本 心に棲みつく諦めともはや弱った勇気

      • 僕は今、なにがしたいんだろう。

        何もしたくないってことではないみたい 退屈しているから でも 何かしたいと思ってるわけでもないみたい 眠くなるのは変わらないから ただ退屈からぬけだしたくて パラパラ紙をめくってみても なんにも頭には入ってこない ただ窮屈からぬけだしたくて 外へと身体をつれだしてみても 狭い孤独かだだっ広い孤独かの選択でしかない 何かしなくちゃならない なんて思ってるわけでもない だから どこにもいかず 誰とも話さず ただなんとなく秒針がズレていくのを バイブレーションで知ら

        • 精一杯を生きる

          僕が未来のためにできること 良くも悪くもその答えは 僕を精一杯に生きること ただ、それだけ。 世界は、誰かの偉大な功績によって回っているわけじゃない。 世界は、そこに生きる一人ひとりの確かな実績によって回っているんだ。 だから 誰かに頼って 何かを信じて 他人事のように世界を生きているのではいけない。 環境も、貧困も、戦争も、 政治も、教育も、信仰も、 医療も、土木も、音楽だって 全ての人がそれぞれの力を持ち寄って みんなが自分の精一杯を生きて 世界を育ててい

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          人は「議論」しない。(2024.8.6)

          思考の備忘録として、残します。 僕のいつかの日記を引っ張り出してきて、その日記について今の僕が感想をつける、という形でなんとなく文章を書こう、という魂胆です。 この日記を振り返って 多分、「ひろゆき」のような、いわゆる論破の風潮が現れてきたころの日記。 ただ議論が論破するかされるかの勝負のようになってしまって、いささか堕落した弁論術でこそあるような議論の在り方が気に入らなかったころの日記。 ただ、善というのはなかなかに軽率な言葉選びだと思う。 基本的には、議論を過度に

          人は「議論」しない。(2024.8.6)

          自己否定の思考(2024.7.25)

          今日のひとこと 自己指導のための思考は自己省察であり 自己省察は自己反省であり 自己反省は自己否定である 不断の自己否定が 自己から怒りを遠ざけ 慈しみを育てる 多くの場合 この思考はきっかけが見過ごされている この思考の種子は 絶望にある 絶望こそが 思考するための力を自己に与える 従って 何かに絶望していない限り 思考は叶わず 自己から優しさを遠ざける 釈迦も 四門出遊の絶望に さとりを目指した 親鸞も 根深い凡夫でしかない自身への絶望に 法然を頼り 弥陀

          自己否定の思考(2024.7.25)

          僕の「しにたい星人」(2024.7.8)

          「しにたい」って思ってたって話 もう半年くらいになるけれど、 僕はあるときから突然 「しにたい」って思うことがなくなった。 それは、なんだかほんとに不思議で しにたいっていう感情に対する悲しさがなくなった感じがする。 今までは、勝手に心が 「あぁ、しにたい」って呟いている感じだった。 心が呟かなくっても、 僕が「しにたいな」って呟くと 心もそれに応えるようにぎゅーっとなった。 今はそんなことない。 心はそんなこと呟かなくなった。 僕が呟いても、心はそれに応えなくなった

          僕の「しにたい星人」(2024.7.8)

          「考える」と「こなす」(2024.7.7)

          教師は常に忙しい。 常にいろんなことを考えている。 明日の授業のこととか、来月の校外学習のこととか、少し家庭でトラブルが起きた子どものこととか、昨日電話をした保護者さんとの話のこととか、、、 いろんなことを考えている。 それは、多分生き方として充実している。 子どもが好きで、教師であることを喜びとする人にとって、教師という生き方の中に自分が組み込まれることは幸せとこそ言える。 でも、それは教師としていろいろなことを「考えている」と言って本当にいいのかな、って思ったっ

          「考える」と「こなす」(2024.7.7)

          一目惚れ(2024.6.23)

          一目惚れっていうのがある。 ただ見つめてここに在るだけで、 震えだす身体を抑えられなくなるくらいの 麻薬を眼に投げ込むことを云う。 彼は、無邪気な美しさを世界中にばら撒いているように見える。 そんな青天井の明るさと暖かさが、しかし僕を素通りしている。 この透明な僕の送り続ける視線が、遂には気づかれぬまま在り続けることを、しかし僕が何より望んでいるように見える。 彼と一緒になりたい、と思う。 それは即ち、彼のそばに行きたい、という願いと 彼自身になりたい、という願いの交

          一目惚れ(2024.6.23)

          【ひとこと日記 2024.6.15】 中学校の教育実習中。去年は小学校に実習に行ったけど、それぞれに風土があってとても良い。 先生は皆親切。1人おばさん先生に嫌味を言われた気がするけど、笑顔で「ありがとうございます😊」と反抗。 来週は授業もする。子どもたちとも仲良くなりたい。

          【ひとこと日記 2024.6.15】 中学校の教育実習中。去年は小学校に実習に行ったけど、それぞれに風土があってとても良い。 先生は皆親切。1人おばさん先生に嫌味を言われた気がするけど、笑顔で「ありがとうございます😊」と反抗。 来週は授業もする。子どもたちとも仲良くなりたい。

          心の怪物。三島由紀夫と僕。(2024.6.5)

          僕は醜さをもっているようで。 それは人目に晒した途端に僕が人ではなくなる起爆装置になっているようで。 それはとても奇妙な獣だ。 猫みたいに愛らしい姿で僕の顔を舐めてくることもある。 アラクネみたいな不気味な艶かしさで僕を見下ろすこともある。 どちらも同じなのは、いつでも僕の首に手が回る場所にいる、ってことで。 そんな変化の獣は、普段寝息を立ててじっとしている。たまにぬっと音もなく立ち上がって、足音を立てぬままに狩りをすることがあることを、しかし僕は知っている。 「私を

          心の怪物。三島由紀夫と僕。(2024.6.5)

          もはや触れられない理念(2024.6.1)

          ※本当は色々と書いていたのだけれど、話がとうとうまとまらないようだったから、全て省いて下の文章のみ残すことにします。話が断片的なのはそのため。 また頭が整理できたら、再挑戦しようかな。 (写真は本当に何にも関係ない) 人は理念の中で遊んでいられる時が一番生きがいを感じられるって話をしたい。 教育だって、宗教だって、その根本の問題は 「人がどう生きるか」ということに綜合される。 どう生きることが幸せであるのか、 自分にとって幸せな在り方とは何なのか、 その根源的問いに対す

          もはや触れられない理念(2024.6.1)

          [ひとこと日記 2024.5.19] いい文章ってあるよね。サラッと流し見してるだけでもスッと惹き込まれる文章。変に取り繕ってる感がないから、お話してるように文章が読める。きっと書くことが話すことと同じくらい自然なことだから、自分らしく書くことができるんだろうなぁ、って思ったり。

          [ひとこと日記 2024.5.19] いい文章ってあるよね。サラッと流し見してるだけでもスッと惹き込まれる文章。変に取り繕ってる感がないから、お話してるように文章が読める。きっと書くことが話すことと同じくらい自然なことだから、自分らしく書くことができるんだろうなぁ、って思ったり。

          人の美しさについて(2024.5.15)

          今日のひとこと僕はメモにこういう臭い詩を書き留めてしまうというどうしようもない趣味があるようで。 これは、去年の夏頃に書いたものらしい。 人の美しさについて 人は醜いものだ。 人はそもそも醜いのだ。 羨む心、妬む心、嫉む心、貪る心、憤る心、滾る心、騙す心、憎む心、恐れる心、蔑む心、疼く心、犯す心、、、 全てが人の醜さに繋がる。 でも、その醜さは同時に美しさでもある。 人は常に異常な狂おしさを生きている。 その歪んだ心と理性との微妙な釣り合いが人の美を醸し出す。

          人の美しさについて(2024.5.15)

          三島由紀夫という怪物(2024.5.8)

          今日のひとこと三島由紀夫を読んでみている。 つまり、まだ何も読んでいないということなのだが。 三島由紀夫という底無しの闇が、まさにその奥へと僕を引き摺り込んでしまうようで、とても怖い。 でも、その闇の世界に包まれてしまうことへの憧れが僕の心の浅いところを燻っているのが分かる。 いっそ呑み込まれてみようか。 日本師弟論がしたかったのだけれど 僕は前々から、「人の拠り所」としての「人と人とのつながり」ということをテーマに哲学してきた。 それは僕の人生の問いにこそなるような一大

          三島由紀夫という怪物(2024.5.8)

          教育ってなんだ(2024/4/29)

          今日の日記 もはや日記ではないのだけれど だから日記と書くのはやめにした方がいいのかもしれないのだけれど 日々の積み重ねという意味合いでは日記と言ってもいいような気もして でもただの日々の情報の積み重ねということで終わる気は毛頭ないわけで。 だから、 「今日のひとこと」 別に「一言」でもないから甚だおかしな題なのだけれど、、、 少しお話聞いてください、ってことで。 今日のひとこと最近、心が萎えていて、何もする気が起きなかった。 勉強も、読書も、何もする気が起きなくて

          教育ってなんだ(2024/4/29)