R5年5月~8月に読んだ本は写真の3冊だった。内容はどれも刺さる部分があった。言葉が通じる、まっすぐに伝わるとはどういうことかと考えていた。そこから派生して考えたことをここへ書く。 ※1「伝えたいことが伝えられない 助けてが言えない 伝えたいことの1mmも伝わらない 中途半端に伝わり不正確に理解されるくらいなら理解されない方がいい 伝え方が分からない ぴったり完全に自分の思いを理解させる伝え方が分からない だから伝えない 助けを求めない 一番になりたい 一番に自分のことを
わたしはlong sleeper. わたしはslow starter. わたしはminimalist. わたしはoutsider. Only when I am alone ,I can recognize myself clearly. わたしは猫を飼っている その猫はぬいぐるみ わたしが大事にしているものを大事にしてくれる人を大事にしたい わたしが大事にしている人が大事にしているものを大事にしたい 誰かを大切にすることは難しいことじゃなかった 相手が見ている世界にとり
死にたい人 いつか死ねることがお守りになる人 ある人を死ぬようにと呪っている人 死が怖い人 このまま死んでしまいそうな恐怖に襲われる人 ある人の死を受け入れられない人 ある人の死でラクになった人 嫌いな人が死んだ後も されたことを忘れられずに苦しんでいる人 死ねと言われた人 死んでやると言われた人 死ねと頭の中で聴こえる人 何事も死ぬ気でやらなきゃと駆り立てられている人 心が死んでしまった人 自分が相手を死なせたと思っている人 誰かの死を報じるニュースで、自分のことのように苦
話し言葉は流れてく すくい取れない 追いつかない 聞き取るのも返す言葉を選ぶのも だからメモに書く 書かれた紙を見ながらやり取りする 手紙 メール 写真 録音 そういうことで補いたくなる わざわざ形にしたくなる 伝達できたという実感は 形にならないと得られない 正確に伝えたくて詳細に細部まで話す 長くなる 嘘をつきたくない 誇張もしたくない 要約できない 帰宅すればヒトリ反省会 終わった会話を反芻し再検討 相手にどう伝わったか予想 答えは出ない それでも考え続ける 会話の正解
分かりあえなさは続く 核のことも虐待のことも G7 は広島に来てくれたけど まだ核を手放さない 発達障害について浸透しつつあるけど まだ毒親、愛着障害、HSP、繊細さんという言葉が本屋を席巻し 子に故意にひどいことをする人間がごろごろと実在するかのように粉飾する 生きづらさを自分視点からだけ最大限に語る 分断が起きる 分かりあえない 変われない 変わらない たくさんたくさん悲しみや怒りを吐いた後にだけ到達する状態はどんなだろう 求めてはだめ 分からせようとしてもだめ
R5年1月〜4月に読んだ本は写真の3冊だった。発達障害と解離の関係に興味を持つようになり、それについて書いてありそうな本を読んだりした。自己感が乏しい現象はトラウマによる解離症状と考えるのかASDの中核的な特性と考えるのか。また、発達障害や共依存についての本も色々読んでいるが、カサンドラ症候群になっている側の人にも発達障害傾向がありそうなこと(あくまで私見)に言及している本にまだ出会えていない。関係性の問題として考えるのか個人の特性として考えるのか。 解離とは、自分がないと
言ってはいけないことはだいたい正しいとも言う 誰かに過去に言われた あなたの声は面白い あなたは不思議 天然 世間知らず挫折知らずのお嬢様 偽善者 何かを身に着けるのが遅い人と それらはきっと真実かも それでいいよ 傷つかない 自分が取った過去の言動 疑問だらけ なぜあんなことしていたんだろう なぜ受け身過ぎたんだろう なぜ歩くと足が側溝に何回も入ってたんだろう なぜ両足が浮いた感じがしたんだろう なぜディズニーランドで目が開けれなくなったんだろう なぜ授業と電車で寝っぱ
自分を嫌いすぎるってことは、自分を好きすぎるってこと 自己肯定感、自尊心、自己愛 なさすぎるのは肥大しているのと同じ 自分を許せないってことは、理想の自分しか受け入れないってこと 他人に同調しすぎるってことは、他人から必要とされている実感を持ちたいってこと、他人の目に映る自分像を理想の自分像に固定したいってこと、他人の感情や言動を自分がコントロールできると思っているってこと でも理屈なんてあとづけにすぎなくて 本当は全部Automaticに起きるから 気をつけられないみたい
知れば知るほど 自分にも他人にも優しくなれたらよいのに その逆のこともある 知ろうとする過程はいきいきして楽しい つかの間の生きている実感 知った先には希望を感じる劇的な物語はなく このままなんだよという静かな凪 このままなんだよずっと結局 人の一生は自然の大きな力に比べたら微々たるもの このままで生きてく 生きてくという意識すらいらない ギャラリー(観客)はいらない 透明なままの自分 自分 他者 生 死 愛と支配 正常と異常 定型発達と非定型発達 性 精神障害 現実と妄想
神社に行ったら手を合わせ ありがとうと心の中で言う お願いごとはしない どんなことが起きても見守ってくれるから どんなことが起きても受け止められるから 受け止めるしかないと思えるから どんなに悲しいことが起きても生きていくから 私の心は簡単には壊れないし 壊れてもまた再生するから 神様はいなくて 心の中の本当の自分が神様みたいなものだから 結局自分との闘い 自分との約束だから 背伸びはしないから 理想の自分像はないから 今が既に幸せと思えたから 今がありがたいから 一人ひとり
それを克服する日は来ない そう自分自身が一番よく分かっている だからその制約の中で生きることにした 私はそれが怖いんじゃなくて嫌悪しているだけ それは今後の人生に必要ない 皆が普通に受け入れているそれを私は受け付けない 誰にも理解されないだろう話を持っていた もし誰か理解者が現れたらその人にしがみつくか関係を破綻させるかだろう お金を払って労力をかけてまで傷つきには行きません と思っていた自分が こうして話を聴く仕事をしているという矛盾 核心を話さないまま 断片だけ話すだ
R4年10〜12月に読んだ本は、上の写真の2冊だけだった。神田橋條治先生と中井久夫先生の診かたや生き方を少しでも知りたい、何か自分の指針とかお守りになる文章が見つかるのでは、と思って読んだ。 お二人の世界観に触れると、何か一つの技術とか専門的な精神療法を極めることよりも大事なことがある、それをやっていければいい、それだけでもいい、と背中を押される。初心に帰ろうと思わされる。 そしてお二人の先生は、精神障害当事者が読んでも傷つかなくてむしろ感動して泣いてしまう本を書くことが
皆はいそいそ せかせか てきぱき ぱたぱた 私はゆらゆら じたばた ぐらぐら ふわふわ 時間が過ぎてく 遅れないようについてく ぐったりする 時間捻出のため睡眠と余暇を削る 仕事人間になる 眠る前のルーティンを1つ1つこなす 終わらなくてもいいやとはならないから ありあまる時間と体力を下さいと願う 朝になる 終わってないタスクは一日中頭の中に住みつく 皆は駅についたら一斉にものすごい速度で階段をかけあがる 私は皆がいなくなるのを待ってから とぼとぼ階段を登る 人生は
私はどこまで来れたかな 他責から自責へ 被害者から加害者へ 過度な罪責感で停滞している加害者 から 建設的な事柄で責任を果たそうとする普通の人間へ 自己憐憫から覚悟へ 「私はAC・共依存」から「私はASD」へ 「私はOCD」から「私はASD」へ 自分は何者なのか探す人間 から 出尽くした自分のかけらは自分と受け入れる人間へ 誰かを助けたい人間 から 無力を前提に共にいる人間へ 私の場合、自分がないという感覚も確認強迫もバーンアウトもDVも共依存も、私が発達障害傾向のある
たくさんたくさん話を聴いた後 自分の中に残ったものがあればそれでいい 話を聴いても全ては記憶できない 完全に濃淡なく話をコピーするならロボットでいい 完全性という不自由から離れた うさぎになりたかった 私は耳の日に産まれた 3月3日 ミミ 耳 疲れるとテレビの音がうるさい 絶対音感がある 最終的に奇跡的に聴くことを仕事にできた人生 うさぎは耳が長くてたくさん話を聴いているみたいに見えた 話を聴いても聴いてもへこたれないうさぎ 子供でも大人でもないうさぎ 変わらないもの
11.8 皆既月食 皆が同じ時間に同じ月を見ていた 赤い月だった いじめっ子もいじめられっ子も お金持ちも路上生活者も シングルマザーも毎日死にたい人も 政治家も戦争中の人も 皆の思いが一致することはありえないから 望んでしまったら悲しくなると思って望まなかった 地に足がついていない空想家になりたくない 皆既月食で夜空を見上げる 8.15の黙祷 3.11の黙祷 皆で同じことに思いを馳せて同じことをしている時間 その時間が短すぎて悲しい キムタクの岐阜まつり 沿道のたく