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発達障害と女性

R6年3月に読んだ本は写真の2冊だった。『ケアする対話』という本の中に、精神障害者に対しては"疾患特異性の低い丁寧なケアで十分"との文章があり、完全に同感だった。キュアからケアへ。必要なのはケアであってキュア(治療、治癒)ではないと。私を含めこれまでの大勢の精神科医の役割や存在意義とはいったいなんだったんだろう、とは思うけど、それでいい。精神科医が皆、精神障害者を思って頑張って動いていたことも確かで、消えない事実だと思うから。無自覚に非倫理的なことをしていたとしても。時代が過ぎてからしか気付けないことがあると思うから。昔あっての今だから。

分かった 分からない 分かった 分からない 繰り返す 毎日
もうおしまい まだ希望がある もうおしまい まだ希望がある 繰り返す 毎日
どうにかしたいと思わなくなったら 怒り・悲しみは嫌悪・冷笑に変わる そうなる前に間に合えば…

開業4年目になり、最近は発達障害女性の妊娠出産と発達障害告知について考えていた。

発達障害を本人に告知しないほうがいいのだろうか。告知しないことは発達障害者の行く末をこちら側が悲観視していることを伝えていることにならないか。本人にその自分・その人生を受け止める強さがないとこちら側が見下していることにならないか。自分も子も夫も親も兄弟もそれぞれ発達障害傾向があるかもと思いを馳せることで、支え合えるかもしれないし、いがみあうかもしれない。絶望するかもしれない。分からない。それは本人達が引き受けて取り組む課題。本人達が創る未来。こちら側が勝手に操作してはいけないのではないか。

がん告知を本人にする時代になった。乳癌になると遺伝子を調べ娘が予防的に乳房切除できる時代になった。当事者の発言が正当に尊重され世に出るようになった。発達障害と診断される人が増えた。だから今、発達障害告知の在り方を議論する必要がありそう。遺伝の可能性の話はナイーブ。皆が目をそらしがち。

告知され自身の発達障害傾向を自覚したことで、子を産まない選択肢が浮上してもよいし(それは優生思想とは言わないと思う)、それを知らないで産み、心理的虐待やネグレクトをする親になり、自己嫌悪する時代は終わらせるべきじゃないか。発達障害傾向を自覚した女性が自覚した上で産む選択をしたら、出来る限りサポート体制を整え、皆で支えるべきじゃないか。産んだ女性の自己責任論に付すのを終わらせるべきじゃないか。発達障害女性は男性と共依存になったままになることも多く、性被害に遭い望まない妊娠をすることも多い。

倫理的でありたいのに、すごく難しい。

発達障害者が育児をするのは本当に大変だと思う。未来が漠然としていることやイレギュラー対応が苦手なのに、育児はその連続。育児書を一字一句真に受け、強迫的に遂行し、完璧な育児を目指す。赤ちゃんの気持ちをうまく読み取れない(あれこれ読み取りすぎて一つの解釈にまとまりあがらない)から不安がつのる。目を離したら赤ちゃんが死んでしまうのではと思い一睡もできなかったり。マルチタスクが苦手で要領が悪かったり。不安すぎて過保護に育てるか、放任するか、どちらかに振り切れがち。彼女らは子に愛情がないわけじゃないのに、かなり頑張っているのに、そういった言動から毒親認定されてしまうことも。

女性でも発達障害を診断されうる時代、成人女性が自分は発達障害と自覚するようになった時代の新たな課題がここにある。私達専門家は試されているのかもしれない。生きづらさに発達障害という名前がつく。でも発達障害というものを、その自分を、本当に理解し切ることは、女性一人の人生設計を根底から揺るがすことでもある。 まがいものみたいな耳障りの良い情報や概念が、彼女らをある意味守っているみたいだ。それでよいのか私には分からない。例えば、HSP、 愛着障害、毒親育ち とか。
 
この問題に目をそらしたくはないから、ずっと考えていこうと思う。どの段階でどう伝えるべきか、伝えないべきか。スタンダードな倫理的な対応マニュアルなんてどこにもないから。発達障害診断ができなかった自分、できなかった時代に戻ることが幸せとも思えないから。レッテルを貼りたいわけじゃないから。私もASD傾向があると自覚しているが、私含め発達障害傾向のある人に対して私は負のイメージを持っていないから。同情に値する人間とも思わないし、自慢したいわけでもないから。仲間だから。

ある患者さんに発達障害傾向を感じ取れた時、その人を取り巻く人達も発達障害かもしれなくて、その可能性を念頭に家族全体をサポートすることが本来必要なのではないか。DVや虐待、ヤングケアラー、依存症、ゴミ屋敷、引きこもり、貧困。その人の近くにそういう問題があるかもしれないし、今無くても起こりうるから、それくらいギリギリで必死に生きてる(生きてく)家族だから、サポートすべきじゃないか。世の中に社会資源が足りなさすぎて、皆、積極的にはある人の発達障害らしさを見つけ出したがらないのだろうか。発達障害女性が一人で生きてくための資源も、発達障害女性の育児をサポートする資源も、確かにあまりない。だから発達障害傾向を見つけ出した人(専門家等)が何か悪いことをしたかのように問題がすり替わっているのかなあ。"過剰診断"、とか、"愛着障害であって発達障害では断じてない"、とかの世の中の言葉が示唆するように。

女性のキャリア形成、LGBTQ+、同性婚、少子化、社会保障費の財源確保の難しさ、診療報酬の低さ、障害福祉サービスの圧倒的不足、生殖医療の進歩、優生思想、、、複数の問題が絡んでいると思うから、安易に意見できない。本当にどうしたらいいか私一人では分からないので、患者さん達の思いや複数の情報に触れながら考えていこうと思う。ずっと答えが出ないかもしれない。

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