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保育園の落選をきっかけに、自分の本心に立ち返る ― わたしの転機をふりかえる #7

「わたしの転機をふりかえる」というテーマで連載をしています。
今日は30代前半で長男を出産したあと、「保育園に入れない問題」にぶち当たったことをきっかけに、ようやく自分の本心に立ち返った経験について振り返ります。

前回はこちら:

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フランスから帰国し、ふたたび仕事に邁進するなかで、第一子を妊娠しました。
そして2018年の秋、長男を出産しました。

出産後は慣れない育児に戸惑いながらも、まわりに助けていただきながら何とか子育てを楽しんでいました。

そんななか、職場復帰を目前に控えた冬、ひとつの転機が訪れました。

保育園の選考に落選したことです。

その数年前、かの有名な「保育園落ちた日本死ね」という言葉が流行語大賞を受賞して話題になりました。それから3年後、自分がその当事者になりました。

もちろん最悪のケースを想定して、認可外保育園やベビーシッターなど、あらゆる選択肢を育児休暇中に模索してきました。しかしそれらの施設からも受け入れのお返事はありませんでした。その現実は予想より重くのしかかってきました。

当時はちょうど、コロナウィルスの感染拡大が猛威を振るいはじめたタイミングでした。得体の知れないウイルスへの恐怖が社会全体に広がるなか、周辺の区でゼロから保育園見学を再開しました。

― このまま復職できなかったらどうしよう。
― 仕事を失ったらどうしよう。 

不安に苛まれる日々が続きました。

そんな3月半ばのある日のこと。近所の認可外保育園から、ようやく受け入れのお電話がかかってきました。時期的に、恐らく3次募集くらいのタイミングだったのではないかと思います。首の皮一枚でなんとかキャリアがつながりました。

しかしその後、4月に緊急事態宣言が発令。それを受け、今度は会社側の都合で復職が延期されることになりました。保育園は見つかったものの、今後の予定が一向に定まらないまま、すべてが宙ぶらりんの日々が続きました。

当時を振り返れば、いつしか私は働き続けていくことをどこか当たり前のように思い始めていたのかもしれません。あれほど失業などの挫折を味わったにもかかわらず……。しかし、最後の失業から約10年の時を経て、それはやっぱり当たり前のことではないということをあらためて実感しました。

それから連日連夜、今後のキャリアや人生についてぐるぐると悩み続けました。自分のキャリアの棚卸しや、転職活動のようなこともしてみました。

そんななか、毎日のように求人サイトの大海原をさまようなかで、ふと気づいたことがありました。求人サイトの膨大な文字のなかで、「編集」や「ライター」といった言葉に関わる仕事ばかりを無意識のうちに目で追っていたのです。

そして、ひとつの明確な事実と突き当たりました。 
自分は結局、書きたいのだという事実です。

「私はやっぱり書くことで世の中に貢献したい」

ようやく、幼いころからの原点に立ち返った気がしました。

そこから「書くこと」を軸につぎの一手を考えはじめました。しかしそこでまた厳しい現実にぶちあたりました。なにか行動を起こしたくても、最初の一歩を踏み出せないという現実です。

それまで私は会社員一本で生活してきて、会社のなかではそれなりに成果を残してきました。しかし会社の外で実績を積むということをほとんどしてきませんでした。つまり会社以外での実績がないために、いざ外へ出ようとしても最初の一歩を踏み出せないという事実に突き当たりました。

会社の外での実績がないなら、どうすればいいんだろう。

作ればいい。

シンプルな結論に至りました。

つぎの投稿では、私が紆余曲折を経てパラレルキャリアを実践するまでの道のりを振り返ってみます。


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