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島々を行く ―予定調和からの脱出

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この記事はフランス語圏向けウェブマガジン「Japan Stories」に寄稿した記事の日本語原文を再掲載したものです。

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日本は大小さまざまな島からなる。
本州や北海道のような大きな島からたった数世帯が暮らす小さな島まで、その数は有人島だけで400を超える。その一つひとつに独自の文化が根づいている。四方を囲む海によって真空保存された島文化のなかに、私たちは非日常や懐かしさを見出す。

印象に残る島々がある。
小笠原諸島・父島。東京の竹芝桟橋から片道24時間の船旅で行く。亜熱帯に属するこの絶海の島々は、東京都の一部でもある。日本からみて「地球の裏側」と形容されるブラジルでも約25時間で行けることを考えると、まさに海外くらい遠い「都内」だ。
 
午前11時に竹芝桟橋を出航する。船内で一日を過ごし、翌朝デッキに出ると、南国の生暖かい風に迎えられた。カツオドリの群れがコバルトブルーの海面にダイブするのを見て、世界が変わったことを知った。
 
カヤックで海に漕ぎ出すと、あらゆる自然の住人たちに出迎えられる。トビウオは水面にアーチをかけ、ウミガメは波間を漂う。水平線にはクジラの親子が飛び跳ねる。親クジラが勢いよく海面から躍り上がると、後を追うように子クジラが小さな弧を描く。親クジラがその雄大な体を水面に叩きつけると、子クジラの体は音もなく水平線に吸い込まれる。親子でジャンプの練習でもしているのだろうか、それともただの戯れだろうか。

船で沖に出ると、野生のイルカに出会うこともある。
ジョージさんという欧米系島民の案内で海へ出た。欧米系島民とは、19世紀に小笠原へ移住した欧米人たちの子孫だ。日本語と英語が混在した独自の方言を話し、島の知られざる多民族社会を構成している。
 
ジョージさんの合図で海に飛び込むと、水泡の先に三頭のイルカが現れた。親イルカたちに挟まれるようにして、小さな子イルカが泳いでいる。距離をとって見守っていると、子イルカがゆっくりとこちらの方へ近づいてきた。危機感がないのか、どんどんこちらへ近づいてくる。どうすればいいかわからず固まっていると、親イルカの一頭が私たちの間に割って入った。そしてそのまま誘導するように、深いボニンブルーのなかへと三頭で消えていった。残された私の耳元に「キュイキュイ」とくぐもった音が聞こえてきた。親イルカのお説教か、それとも私がからかわれたのだろうか。その音の不思議なぬくもりを今でも覚えている。

隠岐諸島では地元の祭りに参加した。中ノ島(海士町)の夏の風物詩、キンニャモニャ祭り。盆踊りのように輪になり、しゃもじを両手に持ってみんなで陽気に踊る。複雑で早い動きに最初は戸惑ったが、見よう見まねで踊っているうちに覚えた。祭りの後は地元のくじ引き会に参加させてもらった。観光客なのに当選して、景品に和風だしパックをいただいた。町内会のようなくだけた雰囲気に心が和んだ。
 
島の魅力の一つに独特の時間の流れがある。奄美大島や小笠原には「島時間」がある。沖縄には「うちなータイム」がある。とにかくゆったり、のんびりいこうという島ならではの精神性が表れている。都会の喧噪から離れ、島時間に身をゆだねるのは島旅の醍醐味だ。

一方、島時間は綺麗事だけで語れない部分もある。

沖縄のとあるレストランでは、一時間待っても食事が出てこなかった。路線バスの時間もあってないようなものだ。行ったはずのバスに後から追いこされることはよくある。苛立つ程度ならまだしも、肝を冷やすこともある。悪天候のために飛行機が欠航し、島に数日間隔離されたことがあった。逆に船が早く出航しすぎて、無人島に取り残されかけたこともある。大抵のことが予定通りに進まない、それが島時間のひとつの現実だ。
 
そんな不便を、しかし、時の流れとともに忘れてしまう。忘れたころに、また島のことを考えている。

島の生活の中心にあるものは自然だ。予定調和から外れ、自然の大きなうねりに身を任せるとき、島旅ははじまる。
 
国土交通省によれば、日本には現在416の有人島があるという。いつか制覇するのが夢だ。仮に年三回の休暇を総動員したとして、138年……。
 
道のりは長い。

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