【SS】大学生を生きる。(4102文字)
今から約2年前、世界をコロナウイルスが襲った。
(飲み会ができんくなってから、もうそんなにたったんかあ)
この春、大学4回生になった美香は軽く感傷に浸る。
コロナはもちろん怖い。
たくさんの人が亡くなり、今も後遺症で苦しむ人がいる中、飲み会ができないのがなんだ、と思われるかもしれない。
しかし、田舎から大阪に出てきた美香にとって、所謂「飲みサー」のメンバーと安居酒屋で騒ぐあの空間は、まさに青春そのものという感じがして、輝きにあふれて見えた。
実際には、飲みすぎた人が吐き出した汚物や酒癖の悪い人が店員に絡む声にまみれ、きらきらした空間とは言い難いものだったのだが。
美香は人によっては不快と思うであろう飲み会の「あの感じ」が好きだった。
例えば、飲み会が佳境に入るにつれ、互いにうっすらと好意のある男女が少し離れたところで親しげに話し込みはじめる。
時にはいつの間にか二人で消えてしまうこともある。
それを見るのが面白かった。
嫉妬の感情を抱かなかったのは、美香がサークルの中で1、2を争うほどの美しい女であり、自分を好ましく思っている男が多くいることを知っていたからだ。
いわば庶民の恋愛を興味深く観察する貴族のような気分であった。
酔いのまわった男子大学生という生き物はとても分かりやすい。
「そろそろ席シャッフルしよか~」という幹事の一声で自由に移動を始めた男たちが、隠しきれていない下心を携えて美香の周りに集まってきたときには、じんわりと湧きあがる優越感に浸ることができた。
冴えない女だけで集まっている隣のテーブルをちらり、と横目で見ながら、男たちとの会話を楽しむ。
競うように美香にウケそうな話題を提供し、自分という獲物を捕らえようとする男たちの様子が好ましかった。
(やっぱり自分に自信がある人はいい。田舎の男はどこか卑屈なんよ)
美香は男たちに好かれ、男というものを好いていたが、サークルの女たちともまた、うまくやっていた。
(私の顔が良いから仲良くしてくれてんねん)
そんなひねた考えを持ちつつも、男たちとの会話では得られない共感というものを与えてくれる彼女たちもまた、必要な存在であった。
美しい女の周りには似たレベルの女が集まるというのはあながち間違いではない。
お酒が入ってくると、そんな女同士で抱きあったり、場の勢いでそのまま頬に口づけしあったりすることもあった。
美香を含む女たちは、酒でぼんやりとした頭であっても常に自身を客観視できており、女同士で戯れる姿が周囲の男たちにどう映るのかをしっかりと理解していた。
「これ可愛い〜」と言う私は可愛いでしょ?といったところだ。
美香はこのような俗っぽさをぎゅっと濃縮して詰め込んだような飲み会の空間が好きだ。
とにかく、あの場で経験しうるものすべてが彼女にとっては「エモい」のだった。
だからこそ、サークルの同期が発案した、OB・OGも含む「オンライン飲み会」の開催日である今日、美香はやや浮き立っていた。
***
P.M. 7:00
パソコンの前で5分前からスタンバイしていた美香が開始時間ぴったりにトークルームに入ったとき、参加予定の13人のうち、時間通りに集まっていたのはたったの4人だった。
(こういう時にちょっと遅れてくる人って、たぶん自分に自信ないんよね。誰かと二人きりになったら気まずいとか考えてそう。時間守るほうが大事やん。あほちゃうか)
3年間の大学生活で自然と身についた、各地の方言が混ざったエセの関西弁で内心毒づいてみる。
そんなちょっとした不愉快さも、最終的に画面いっぱいに表示されたメンバーの顔ぶれを眺めるうちに消えていった。
(もう長いこと直接会えてなかったんやなあ)と実感させられ、画面越しではあるものの、久しぶりに仲間と会えた喜びで胸がいっぱいになる。
皆がみんな、慣れない画面越しの飲み会に試行錯誤している様子がうかがえる。
何とか場を盛り上げようと幹事が話題を提供しても、しばらくの間は気まずい沈黙が続く。
どうにもこうにも発言のタイミングが掴みづらいようだ。
存在感を出そうと発言を試みるも、互いの言葉が被ってうろたえている男たちの様子が美香には可笑しい。
女たちは話者の話に耳を傾けているようであって、その実画面に映る自分自身をいかに可愛く見せるかに夢中だ。
丁寧なナチュラルメイクが施されているのは皆同じだが、服装からはそれぞれの思惑がうかがえる。
(あんまり可愛くない子に限ってジェラピケのパジャマとか着たがるんよね。絶対オーバーサイズのパーカーとか、だぼっと着たほうが男女ウケすんのに)
幸福な生活を維持するには、男女どちらにも好かれていることが重要である。
(あ、ユッコお団子してる可愛い。やっぱ自分の魅せ方分かってんなあ)
女たちのファッションを心の中で批評していく美香の服装はといえば、鎖骨が見えるゆるりとしたニットだ。
酒を口に運ぶたびに肩にかかる布地が少しずつずれ落ちてゆき、やがては彼女の華奢な左肩が画面に映し出されるだろう。
居酒屋での飲み会のような胸の高鳴りはなさそうだ。
(でも、これはこれで面白いかもしれない)
缶チューハイを直飲みしながら美香は思う。
彼女には自分の心のうちを冷静に分析する癖があるが、ほかの人間を観察することもまた、楽しみのひとつであった。
***
P.M. 8:30
飲み会も中盤に差し掛かった頃。
美香の手元のスマホから「ピポピポッ」という音が鳴った。
LINEのメッセージ受信を知らせるおなじみの通知音だ。
慌ててスマホをマナーモードに設定し、こっそりと内容を確認する。
『サケ買いに行く?』
二つ上のOBである拓からだった。
本名は拓だが、同期からはタッくんと呼ばれており、後輩はそれに敬称を付けて「タッくんさん」と呼ぶ。
『タッくんさん、ちゃんと飲んでますか?』
ちらりと画面にうつる拓を見ながら、質問にはあえて答えずに返信する。
(タッくんさんのこと見てたのバレたのかと思っちゃった)
オンライン飲み会の利点のひとつは、誰かひとりをじっと見つめていても怪しまれないことだ。
『飲んでる飲んでる』
『買いに行こうや』
大阪生まれ、大阪育ちの純粋な関西弁が美香の性癖に刺さる。
『ひとりじゃ嫌です』
『一緒に行きたい』
意識しているのかいないのか、ちょっとだけため口を挟んで返信する。
『ほな別の電話しながらいこ』
『買いに行くあいだ』
タッくんさんと電話。ふたりで。心が躍る。
『何飲みます!?』
なんてことない顔をしながらハイテンションで文字を打ち込む。
『梅酒ええやん』
手に持っている梅酒の缶に視線を落とす。
拓に見られている、そう意識すると急に鼓動が速まった。
「ちょっと俺サケ買いに行ってくるから一瞬抜けるわ~」
みんなに向けてそう言い放った拓と、画面越しに目が合った気がした。
『みっちゃん、いこか』
同時に手元のスマホにメッセージが入る。
(私を最初にみっちゃんって呼んだの、タッくんさんやったな。あのとき私、どんな顔してたんやろ)
少なくとも、酒が入った今と同じくらいには赤い顔をしていたはずだ。
***
P.M. 9:00
拓と電話でたわいもない話をしながら夜道を歩いていると、あっという間に近所のコンビニに着いてしまった。
「何飲みます?やっぱりハイボールかなあ。でもレモンチューハイも捨てがたい……」
店内にいるにも関わらず、大きめの声が出てしまう。
ショーケース前にいる客が少し迷惑そうな様子で美香を見る。
それに気がついてはいるが、今は気にしていられない。
電話口から聞こえる少し低い拓の声を聴きながら、チャンピオンのパーカーにサークルのロゴ入りスウェットを履いているらしい彼の姿を想像する。
マスクの下で、口元がふっと緩む。
「ハイボールで思い出してんけどさ。コロナ広がる前の夏合宿ンとき、みっちゃんと二人で濃いやつ作りまくってめっちゃ飲んだよなー」
「俺、あンときがいちばん楽しかったわ」
「それは……私もほんまに楽しかったです」
(ずるい。この人はこう言えば私が喜ぶって知ってる。期待させるって知ってるのに、なんてことない顔してこういうことを言う)
美香は一瞬拓が恨めしくなるが、彼の掌で転がされて一喜一憂することもまた、嫌ではないのだ。
***
結局、味違いのスミノフアイスを購入することになった。
美香はレモネードで、拓はグレープ。
「じゃあまた後で」と言って電話を切る。
美香は下宿までの道のりを早足で歩きながら、憧れの先輩と過ごした秘密のひとときを思い返し、息を弾ませる。
(今飲んでいるみんなはこのことを知らない)
誰かに聴いてほしいような、誰にも言いたくないような複雑な気持ち。
自分は他の女より特別なのだ、少なくとも拓がこっそり連れ出す相手に選ばれるくらいには、と自惚れているのを自覚する。
(私の性格の悪さなんて自分がいちばん分かってるよーだ)
それでも、美香は自分を変えられないし、変えるつもりもない。
さきほどの会話の高揚感と徐々に回ってきたお酒で赤く染まった頬を押さえる。
来年、内定をもらった企業に入社したら。
最初は「なんにも分かりません」って顔をして先輩社員に可愛がられて、次第に仕事もソツなくこなせるようになって、いつかは社内恋愛なんかもしちゃって。
そう悪くもなさそうな未来を想像する。
器量も要領も良い美香には、そんな人生を歩めるだろうという自信がある。
(でも、)
社会人になったら、きっと今感じてるような気持ちは失われてしまう。
飲み会で騒ぐ大学生を迷惑そうな顔で見たり、一周回って優しい顔で「学生は楽しそうでいいね」なんて言っちゃったりするんだ。
そう想像するたび、嫌だ、と思う。
今を生きなきゃいけない、と強く思う。
(我ながらくさい台詞)
スミノフの瓶が入った袋を揺らして帰路を急ぐ。
(タッくんさんより先に戻らなくちゃ)
画面に映るみんなが私達の帰りを待っている。
「あと一年間、ちゃんと大学生するんだ」
呟く美香の足どりは、今にも飛べそうに軽い。
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