電話恐怖症を克服した話

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最近コロナのせいもあって仕事がなさすぎて、仕事が欲しかったので、ずっと登録しているイベント系の派遣会社に電話をした。電話を切った時、ふっと思った。

「わたし、きちんと大人になれているなぁ〜…」

と。

いま、恋人と別れ話の最中のため余計にセンチメンタルというか、感傷に浸りやすい事もあってか、そう思った。

気を紛らわす目的もあって、ちょっとこの話をしようと思う。

電話恐怖症になった理由

これはあくまで憶測に過ぎないけれど、小学4年生の頃に私は不登校になった。その理由は複雑なのだけれど、最終的に私が行けなくなったのは、担任の行動がきっかけだった。

そもそもその頃の私はうつ病的で、自分でもわけがわからずに気がつくと頬を涙が伝っていたりした。悲しいことや辛いと感じることがその直前にあったわけでもないので、自分でもわけがわからずに戸惑っていた。

今なら自分がそういう状態に陥った理由もなんとなく想像がつくのだけれど、子供の頃は自分の置かれている状況が「おかしい」「理不尽だ」と考えるほどに世間を知らなかった。

…いや、今でも、その頃の事で周囲を責めることはできないかな。ただ端的に言えば、その頃の私は親からの愛情を感じられずにいた。うっすらと記憶に残っているのは、言うことを聞かなければ家中を追っかけ回され、捕まれば、力ずくで「なにか」をさせられた事。

その頃の私は「暴力」や「男の人」や「怒鳴り声」に敏感だった。

そしてある日、私にとって事件が起こった。

先程、その頃の私はわけもわからずに泣いてしまうことが度々あったと話した。その頃の私にとってそれはあまりに不可解で、元々強がりで羞恥心が強かった私にとってそれは屈辱的でさえあった。「なにも理由がないのに涙なんて出てはいけない」とそう考えたのか、私は涙が止まらないうちに他人に泣いている理由を尋ねられると嘘をついたりした。そのうちの1つが「蹴られた」というものだった。

その頃の私は、全身痣だらけだった。ある日、学校の遠足の帰りに涙が止まらなくなった私は先生方の判断でそのまま帰すわけにもいかずに保健室で親を待つことになった。迎えにきた親に私は「蹴られた」と言ってしまったんだと思う。正直記憶は朧ろ。

ある日の放課後、先生に呼び出された。私と、特に仲の良かった友人ふたりと。

生徒が下校し終えた人気のない廊下を、担任のあとについて歩いていった。どこの教室だったのかはわからない。ただ薄暗く、机もない教室だった。空のロッカーの前に友人たちが正座をさせられる。

「あなた達、詩織さんをいじめているでしょ」

担任が言った。そのとき、自分が「蹴られた」と言ってしまった事を思い出した。それを母は、母なりに想像力を働かせ、憶測で「たぶん〇〇さんと〇〇さんに」と担任に伝えたのだと、私は思った。

担任に「違う」と言わなくてはいけない、と思った。しかし元々その担任を恐れていた私は、なにも言えなかった。言えないでいる間に、担任が「謝りなさい!」と怒鳴ってふたりの友人をぶった。

目の前で友人達が涙を流しながら、私に謝罪するのを私はなにも言えないまま見下ろしていた。

その後しばらくして、私は突然行けなくなった。自分でも理由がわからなかった。なんとか起きて着替えをしても、登校時刻が近づくと腹痛がしてトイレから出られなくなる。それを繰り返すうち、不登校になっていた。

不登校になったばかりの頃はしょっちゅう担任から電話がかかってきた。

母が「出なさい」と言うので始めのうちは出ていたが、段々と電話が鳴ると怖くなり、狭い場所や音の聞こえない布団の中へ隠れるようになった。

学年が上がり、担任が変わり、中学へ上がっても、電話のベルが鳴ると私は心臓が跳ね上がってしまい、パニックを起こすようになっていた。

電話恐怖症の状態と克服への経過

小4(9歳) 電話恐怖症の発症(電話が鳴るだけで心臓が跳ね上がる)

中学2年頃  まだ電話のベルを鳴るだけで、不安でまともに立っている事もできなくなって、カウンターやテーブルの下に隠れたりする。

高校1年頃  確かこの頃。もしかしたら夢の話かも、なんて思っていたりするくらい、ぼやんとした記憶なのだけれど、どこかの電気屋で、うちと同じ電話のベルが鳴り出して、その場で立ちすくんでしまった。

18歳頃   この頃には家の電話も変わっていたので、ベルを聞いて心臓が跳ね上がる事はなくなっていた。

19歳頃  コンビニでバイトを始めた事をきっかけに電話を取らざるをえなくなった。始めは電話をとっても、その後喋れなくなってしまったりした。それはさすがにまずい、と思い、「電話対応マニュアル」を作り携帯するようにした。

22歳頃  覚えているのは、何人かで「飲もう!」となって、私が店に予約をする事になったのだけれど、それが電話予約のみで電話をかけるまでものすごくドキドキして時間がかかったという事。

23歳頃  電話をかける回数が増えた事で、気がつけば慣れていた。今では、「かけなきゃ」と思った時にスムーズにかけられる。嬉しい。

電話恐怖症になってしまったら

当然、あくまで私の考え方なのだけれど、「電話と距離を置く」ことがまずは必要だと思う。

何かしらのトラウマを抱えた時、やはりそうした時にはその傷を少しでも癒すことが必要で、そのためにはその原因をいかにして思い出さないかということが重要だと思う。

その一環として、電話と距離を置く。

実際、私も原因となった(と思しき)担任からの電話自体は半年ほどで終わったにも関わらず、その後8年近く家の電話が鳴るとそのベルを聞くだけで、心臓が跳ね上がり、恐怖で隠れたり身動きが取れなくなったりしていた。

家の電話が変わった事で、その着信音が変わって、きっとそのおかげで少しずつ、嫌な記憶が癒えていって、その後で電話を取ることに慣れようと努力した結果、今はふつうに取ることができるようになった。

電話恐怖症になってしまったら、電話と距離を置くことは必要だと私は思う。

不安を抑えるコツ

電話に出なきゃいけない時に不安を抑える、すごく簡単なコツを幾つか紹介。

1位 飴やガム、ラムネなどを口に含む(これはいつかにテレビで見た方法なのだけれど、唾液が分泌される事で緊張や不安を抑えることが可能らしい。これは確かにめっちゃ効く)。

2位 緊張している事などを、文字や絵にして紙に書き出す(これも良い。私は絵を描くのも好きなので、メモなどに絵を描いたりして気持ちを落ち着かせたりする。緊張などの意識を、そこに向けられるのでリラックスできておすすめ!)

3位 ハーブなど落ち着く香りをかぐ(家にいるときなら、猫の匂いを嗅いだりもする。これは不思議と落ち着くけれど、タイミングによってはあまり効果がなかったりもする)

3位 同率で、電話マニュアルを携帯すること。(これがあるだけで随分違う。言うことを頭の中で組み立なくて良い分、気が楽…!)

番外編 これは前提にしても良いかな、と思うんだけれど、「電話が下手でも構わへんっ!!」って自分に言い聞かせること。

言葉が詰まっても良い、頭がぱーになっても良い。

そう言い聞かせる事。これは人によっては複雑だろうし、難しいだろうけれど、これもすごく気が楽になるので良いと思う。私は元々、不登校だったりして自分を「社会の最底辺」だと思っていた事もあって、自分に対して理想が高くなかったから、こうやって思うことができた。

少しずつ、良くなっていけるなら、たとえちょっと人に迷惑をかけても、出来ない(悪いような)時期があっても良いと思う。

応援

電話恐怖症の知り合いを、私は自分以外に知らないので、他の人がどういう風に悩んでいるのか正直わからないのだけれど、私は「悩むことができる人」は「自分の問題に真正面から向き合える人」だと思っていて、そういう人はきっといつか解決することができると思うので、それだけ考えを置いていきます。

綺麗事や、底抜けに明るい応援や、力強い言葉は、真剣に悩んでいる時にはかけづらい気がするので、100%こうとは言えないけれど、電話恐怖症になってしまった事で自分を責めないでくださいね。

最後に:全然関係ないけれど、このnoteを書く間に返事がきて彼氏とは別れる事になりました。なんか、すごくすっきりした。正直「俺は本当に好きだけど」とか前置詞つけてきて、私としては「別れ」なんて綺麗にする必要も盛る必要もないと思っているから、なんだかこういう「良い人ヅラ」しようとする変に中途半端な所がずっと違和感だったんだよね!!と思った。(ちなみに絶対的に彼は、私がこんなに暴言を吐く女だとは思っていません。誕生日の直前に、なんの前触れも教えず、こちらに改善の猶予も与えずに「ちょっと考えさせて」?私はもっと向き合って考えてくれる男らしい人が好き!!!←)

女磨きは継続する。次に私を好きになってくれた人のために。

・・・いや、自分のために。

というわけで、あでぃおすっ!

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