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note始めます。自己紹介。

『発信は大事!!』

というわけで、この度noteを始めることにしました。

まずは、これまでを振り返ります。


1.幼少時代

生まれは滋賀県。
7人家族で兄、姉の3兄弟の末っ子として生まれる。
末っ子ということで、特に祖父から可愛がられて育つ。
幼稚園では、ひたすら駒を回す遊びに夢中になる。
在園中に通算1003回、回すという記録を作る。

2.小学校時代

絵に書いたような真面目で優等生。
時間割を前日、夜寝る前、登校する直前の3度は確認し1時間目から順番に教科書が並んでいないと落ち着かないほどだった。
小学生の時に良くある好きな子に対してちょっかいをかけたり、悪口を言うようなこともなく、6年間で先生に怒られたことは、ほとんどなかった。
教員であった祖父の影響を多大に受け、人前で話すことや委員会の委員長などを積極的にやる。スイミングスクール、書道、バレーボールなどの習い事もする。自分の考えを人に話すということの大切さを学ぶ。

3.中学校時代

クラスでは、学級委員を務めて体育祭などのまとめ役を任される。社交的な性格もあいまって、大人しいクラスメイトから、やんちゃなクラスメイトまでだいたい友達になる。先生に対して、その指導方法は間違っている!など意見をするようなこともありその都度、祖父に諭される。部活では、バレーボール部に入部。練習に打ち込む。技術的には、同級生からは劣るも、真面目な練習態度と声の大きさが評価され試合には出場できるようになる。
技術的に劣っている自分が試合に出ることに葛藤があったが、顧問の先生からの「上手いから試合に出ていると思っているのか?違うやろ。真面目に頑張っているから試合に出している。」という言葉に救われる。泥臭くも真面目に頑張ることで評価されることがあることを知る。頑張ることで報われるという価値観がその後の生き方に大きく影響する。

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4.高校時代

卒業後は、大半が大学進学をするような学校に進学する。田舎の2クラスしかない中学校から、急に一学年6クラスもいる生活に戸惑い、友達は自分のクラスにいる数名という環境に変化する。小さい頃から、続けていた水泳をしようと水泳部に入部するも、半年で辞める。辞めた2日後にバレーボール部に入部。3年次には、キャプテンを務める。2年次、3年次と男子が数名のクラスになったこともあり、いつの間にか、周囲の目を気にして学校生活を送るようになる。中学校時代は、クラスの中心にいることが出来た自分との差に人知れず悩む。ひっそりと卒業する。

※詳しくは、👇

5.大学時代

京都にある大学へ進学。滋賀の田舎から京都へ引っ越し、初めての一人暮らしをする。父と母が引っ越しを終えて滋賀に帰った途端に、不安すぎて泣く。入学式から家に帰るのに道に迷い、15分くらいで着く距離を2時間くらいかかる。同じように初めて一人暮らしをする友人が多くいて仲良くなる。もやしの安さを初めて知る。大学時代は、バレーボールのサークルとスイミングスクールのアルバイトに勤しむ。特にスイミングスクールでのアルバイトは、どのようにすれば上手く指導出来るようになるのかということを割りと真剣に考えて過ごす。先輩と深夜まで、近くのすき家で話しあう日々を過ごす。
 一方で、ただ漠然と同じサークルの同じような仲間と同じような日々を過ごすこと。その仲間内でだけのつながりを強く求められることに抵抗や違和感を感じるようになる。「大学は、もっと多くの人とつながりを持つところでは無かったのか?」との疑問を持つ。就職活動時は、リーマンショックの時期と重なり就職難と言われていた頃。50社ぐらいの面接に落ち、それなりにショックを受けるが、縁あって東証一部上場のアパレル企業に内定する。同期は、300名ぐらいいる環境の中で、自分のことが認められたような気持ちで一杯になる。内定から卒業までの間は、存分に勘違いした状態に陥る。内定者研修の為に、東京の六本木にあった本社ビルに行くだけで満足する。飲み会で自分の内定先を言うだけで、異常にチヤホヤされる。後輩の就職活動への支援活動・経営者との勉強会・他大学でのセミナーなどに積極的に参加する。やっと社会に出られる!!活躍して成功する!!と意気揚々と卒業する。

6.社会人時代①

No.1にならなければ意味などない!という組織風土に思いっきり影響を受けて研修期間を過ごす。配属により、北海道の函館へ引っ越す。北海道の人は、思ったより薄着であること。水抜きをしないと水道管が凍ること。セイコーマート、ラッキーピエロ、どさんこワイドという文化の違いにカルチャーショックを受ける。配属先では、会社から求めらるレベルについていけないこと、配属された同期との人間関係が全く築けなかったことが原因で、わずか2か月で退職をしてしまう。相手のことを考えて、一緒に頑張っていきましょう!という想いで話をしていた同期に、「そうやって、言いながら私のことを悪者にしたいんでしょ?」と言われた一言に心の底から衝撃を受ける。自分の心がポッキリと折れる。これまで、コミュニケーションに関しては自信があり、誰とでも仲良くなれると考えていた自分が人間関係につまずいたことに大きなショックを受ける。その後、逃げるように滋賀に帰る。

7.無職時代

無職になって初めて分かったこと。それは、どこにも所属をしていないことへの圧倒的な不安。それまでは、株式会社○○の者です。と名乗れていた自分が名乗れない。平日は、両親が仕事に行っていたので一人で過ごすことが出来たが、土日祝になると家で家族と過ごさなければいけないのが辛かった。自分は、無職で何も生みだしていない存在なのにタダでご飯を食べさせてもらっている。考えれば考えるほど、不安しか襲ってこない。診療内科への受診と散髪に行く以外は、家から一歩も出ない生活が続く。同期で活躍している者がいる一方で、挫折してしまった自分。結果出せなかった自分。逃げてしまった自分。その全てが許せなかった。世の中から必要とされていないという無価値観。涙が枯れるほど泣き、心と身体を整えるのに8か月間の時間を要する。

8.社会人時代②

8か月間のブランク後、就職活動を再開。運よく3つほどの内定を頂く。その中で地元であり、安定してそうで、家族に心配をかけなさそうというめちゃくちゃ保守的な理由から入社先を選ぶ。地元で働きだすも、同じように繰り返す毎日に疑問を持ち、誘われるがままに、いろんなこと(MLM、投資、ネットビジネス)に手を出した結果、貯金残高がみるみるうちに無くなりトータルで150万円以上使う。しばらく、おとなしく働くがやはり、日常が物足りなくなり心理学(NLP)やコミュニケーションの勉強を始める。自己投資に100万円以上使う。

そこで出会った年齢や性別を超えた友人たちとの学びを通して、過去の辛かった経験への見方を変えることが出来る。

※詳しくは、👇

引き続き、地元で働きつつも。いろんな可能性を探り中。
発信を通して、何を学ぶことが出来るのか?
よろしくお願い致します。

最後までお読み頂きましてありがとうございます。




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