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いよいよ道場開設


       それから数日経って、ジョージのハイス道場に行くと、グレイスが娘のエイミーと一緒に入り口の受付の所に座って、道場生の出席をチェックしていた。グレイスは僕に気づき、

  「ハロー、ナオト!」と、彼女から挨拶してくれたので、僕も、

  「ハロー、グレイス、元気かい?」と返すと、

  「元気よ!」と笑顔で答えてくれた。僕はいつもと変わらないグレイスを
 見て嬉しかった。それからジョージを見つけて、

  「元気かい?」と聞くと、
  「ちょっと疲れがたまっているけど大丈夫だよ」と笑顔でジョージは言った。ジョージは全部で3つの道場を経営しているので、毎日3コマずつ指導しなければならないこともあって疲れている様子だった。でも僕からすれば、それだけ稼げるということなのでありがたい話だと思った。 

     時期はもう7月の下旬で、僕は自分自身の道場を早く開設したくて相当焦っていた。なぜなら、4月にイギリスにやって来て、最初の1か月ちょっとはジョージに世話になったが、引っ越してからは家賃や家具類などの出費や車の購入などもあり、貯金が心許ない状況であったからだ。僕は以前からジョージに、

   「どこか道場として良い場所がないか探しておいてくれないか?」と頼んでいたのだが、ジョージも忙しく、なかなかそこまで手が回っていない状態だった。

ある日の朝、僕はジョージに電話をし、

  「今からちょっと寄ってもいいかい?」と尋ねると、

  「いいよ、待っているよ」という返事だったので、ジョージ邸までプジョーを走らせた。着いてみると、いつものように自宅前にシルバーのメルセデスベンツクーペが停まっていた。ベルを鳴らし、自宅に入ると、ジョージはいつものイングリッシュスマイルで出迎えてくれた。僕はテーブル席に座ると、ジョージが紅茶を入れて持ってきてくれた。僕はその紅茶をすすりながらちょっと雑談を交えた後に、 

  「ところで、ジョージ、新しい道場のことなんだけど、いい場所は見つか
     った?」と尋ねると、

  「今、ちょうどそれを考えていたところなんだよ」とジョージは言った。僕はその言葉を聞いて何だかわざとらしい気もしたが、

  「どの辺がありそう?」と僕は聞いた。

   「ちょっと待って」と言って、ジョージは電話帳のようなものを戸棚から引っ張り出し、新設したサニールームの椅子に腰かけて、ペラペラめくり始めた。そして、電話の受話器を耳に当て電話をし始めた。それはそれで良かったのだが、僕にせかされてようやく行動に出たのかと思うと、ちょっと残念な気がした。僕もその隣の椅子に腰かけた。その日は久しぶりの晴天だった。サニールームは太陽の光を全身に浴びることが出来て気持ちいい。夏でもイギリスの温度はせいぜい19度くらいにしかならないので、夕方や夜には肌寒い日もある。実際、日本のようにエアコンを設置している家庭はほとんどないに等しい。

 10分くらい経ってから、

 「ここならもしかしたら使えるかもしれないよ」と、ジョージはおもむろに立って言った。ジョージはリビングに設置してある電話のコードレス受話器を取って、その使えそうな場所に電話をかけた。こちらの事情を説明した後に相手からの返答を聞いて、

 「本当に?」「ありがとう。また連絡しますね」とジョージは言って受話器を置いた。

  「ナオト、良さそうな所が見つかったから、明日の午前中に2人で行っ
   てみよう!」と嬉しそうに言った。ジョージの話によると、そこは新しく出来上がったばかりのスポーツジムということだった。僕は期待で胸が高鳴ったのと同時に、内心少し安心した。これまでの3か月ばかり、ほとんど進展してなかった僕自身の空手道場の設立が実現されるのかと思うと、嬉しくて気分が高揚した。

   翌日の朝10時頃、ジョージのベンツで僕らの住んでいた所から30分くらいかけてそのスポーツジムへ行った。そのスポーツジムはサンドイッチという場所にあり、立派な家が多く見られるようなちょっとした高級住宅エリアだった。スポーツジムに到着すると、フロントでジョージが電話で話をしたマネージャーを呼んでもらい、すぐにその男性が現れた。年齢は40歳くらいの痩せ型の男だった。僕もジョージの隣に行き、彼の説明を聞いた。道場として使用できるスペースが3種類あり、メインホール以外に、中、小のスタジオがあった。当然のごとく、大きさによって支払う金額が異なっていた。僕らは簡単な説明を受けた後、マネージャーに連れられて、その新築のジムを案内してもらった。案内中に嗅ぐ、木を多用した新築ジムの匂いは気分を落ち着かせてくれた。日本のジムと違った所は、デザインに木材を多用していることもあり、重厚な雰囲気があった。案内してもらった後、

 「ナオト、気に入ったかい?」とジョージは僕に聞いてきた。

   「なかなか立派でおしゃれな所だね。料金的にはどう?」と僕はジョージに尋ねた。

 「料金的には割とリーズナブルだよ。悪くないと思う。ミドルサイズのホ
       ールで1時間12ポンド(約2千5百円)だから」

  「僕はここが気に入ったよ。契約しよう!」

    「オーライ、ちょっとマネージャーと話をしてくるよ」とジョージは笑顔で言って、カウンター近くにいたマネージャーに話しかけ、しばらく話し合っていた。10分くらいすると笑顔で戻って来て、

   「契約してきたよ。来週の金曜日から借りられるよ。取り敢えずは週に1
     日借りることにした」

     本来なら、僕が率先してそのマネージャーと話をつけるべきなのだろうが、その時の僕は契約の際に英語を使って100パーセント間違いなくビジネス契約をする自信がなかったのだった。しかしこの甘さが、ジョージがアドミン(管理料)を僕に請求する原因になったのは言うまでもなかった。

  僕は毎週金曜日の夜7時から8時までの1時間を使って、ジムの中ホールを借りて空手道場を始めることになった。翌日から新道場オープンのための準備に取り掛かった。まずは空手道場新オープンのチラシを作製し、近隣の小学校に赴き、生徒に配ってくれるよう受付の事務員にお願いをするのだ。

  チラシのデザインと印刷はジョージがやってくれたので、僕はそれを持って車で小学校へ赴き、受付の事務員に配布をお願いした。最初、僕はカジュアルな格好で出かけて行ってしまったことがあった。僕が受付の中年女性に丁寧に頼むと一応は了解してくれたものの、非常に感じの悪い応対だった。

  「ハロー、僕は空手のインストラクターなのですが、このチラシを配っ
   てもらえないでしょうか?」

  「オーケー、サンキュー」

とその女性はこちらをちらっとは見たものの、にこりともせず、さっさと帰ってくれという雰囲気を醸し出していた。

  「サンクス ア ロット!」とだけ言って、僕もすぐにそこを後にした。なんだか歓迎されていないムードが立ち込めていたので、僕自身の気分も冴えず、しばらくの間、頭からこのことが離れなかった。

 その翌日、僕はこのことについては誰かに相談しようと考え、アパートの管理でお世話になっている不動産屋のガリーに会いに行くことにした。ガリーの店はハイスの商店街に面したビルの二階にあった。階段を上がっていくと、入り口付近に秘書であるマギ―いう30代半ばの眼鏡をかけた女性のデスクがあった。ちょっとふくよかで、優しそうな女性である。マギーにガリーを呼んでもらった。

 「ハロー、ナオト!」とガリーが優しそうな声で言った。

 「ハロー、ガリー!」

 「今日は賃貸料の入金ですか?」

 「いや、ちょっと頼みがあって。実は今、僕の新しい空手道場のチラシを
  配るために小学校を回っているんだけど、受付の女性の感じが悪かった
  ので、どんな風にお願いしたらいいかと思って」

 「なるほど」とガリーは笑顔で答えてくれた。

 「こういう時には、英語で何て言えば受け入れてもらいやすいかな?」

 「あ、そういう時はね・・・」とガリーは言い始めたが、

 「ちょっと待って、紙に書いてもらってもいいですか?」と僕は慎重にお   願いした。

 「オーケー、ええとね・・・」

と言いながら、ガリーはデスクの上にあった小さいメモ用紙にこういう時の決まり文句の文言を書いてくれた。

 「ガリー、こういう言い方があるんだね!」と、僕はそれを受け取って少し驚いた。

その内容は、日本の学校で習った、こてこての日本的英語とは全く違った文言だった。

 「サンキュー、次回はこれを覚えて行ってみるよ。あと、この前はカジュ
  アルな服装で行ったんだけど、次回はスーツにネクタイをして行ってみ
  ようと思うんだ」

 「オー、そのほうがずっといいよ。イギリス人は服装で判断するからね」

そう言われて、だからこの前は印象が悪かったのかなぁ、と僕は思った。

 「ガリー、ありがとう、頑張ってみるよ」

 「グッドラック!ナオト!」

  その翌日の午前9時に、早速グレーのスーツに着替えて、紺のレジメンタルネクタイを締めて、プジョーを走らせて新たな小学校へ行ってみた。結果的には受付の女性の態度が全く変わってしまった。愛想も良く、イングリシュスマイルでチラシを受け取ってもらえた。ガリーに教えてもらった文言も完璧に覚えて言ってみたので、それも功を奏したのだと僕は確信していた。

(続く~)


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