岡本悠真

イギリス滞在経験があり、英語教員の経験と極真空手二段位を有している。那須川天心選手と同…

岡本悠真

イギリス滞在経験があり、英語教員の経験と極真空手二段位を有している。那須川天心選手と同じ空手道場で指導経験があり、天心選手の先輩にあたる。 amazon kindle出版作品の英語への翻訳に邁進中である。

最近の記事

決死のデモンストレーション

翌日の朝、僕と由美は早めに朝食を済ませ、青のプジョーに乗って、近所の公園に10分くらいで到着した。その日はイギリスの天気にしては晴天で、まさに「ラブリ―デイ」だった。青い芝生が広がっていて、見た目だけで心地良く、空気も青芝の新鮮な匂いがした。ゆるやかな風も心地よい。まだ9時を少し回ったばかりくらいの時間だったので人影は疎らだった。キャップを被った若い母親がベビーカーの赤ん坊をあやしながら歩いているのと、身なりのきちんとした老人紳士がベンチに座って読書をして

    • 由美を迎えにヒースロー空港へ

        イギリスに来て3か月半たち、本来なら新婚生活を共に満喫していたはずの妻である由美が、ようやく8月の中盤になって渡英できるようになった。由美は食品会社のOLで、7月いっぱいで円満退職することになっていた。僕はその日が待ち遠しかった。そして、ようやくその日がやって来た。 由美は14時にヒースロー空港に到着予定だったので、僕は12時半に余裕を持って家を出て、青色のプジョー205でヒースロー空港へ向かった。1時間15分くらいで空港に到着した。僕は駐車場に車を入れようと

      • マーゲート新道場オープン

           2週間後、マーゲートの新道場へ僕は1人で行き、早めに空手着に着替え、道場生が来るのを心待ちにしていた。オープンに先立って、道場オープンのチラシも僕とジョージで分け合い、それぞれが分担して近所の小学校に行ってチラシを配ってくれるよう受付の事務員にお願いしていた。ところが、サンドイッチ道場と違って、開始10分間になっても誰も現れなかった。確かに、夏休み期間ではあったものの夏休みもようやく終わりに近づき、子供たちも地元に戻って来ているはずなのであったが。    開始時間5

        • 打ちひしがれた期待感

             それから1週間後の道場指導の日、僕は朝から期待に胸を膨らませて、夕方になると早めに道場に向かった。到着後すぐに道着に着替え、受付用のテーブルを引っ張り出した、準備を念入りに済ませ道場生達を待っていた。少しすると、先週来てくれた生徒たちが数人やって来た。小学生くらいの男女が数人と、中学生くらいの女の子、それに、40歳くらいの女性である。彼女は近くにある大手製薬会社の科学者だと言っていた。豊満で、笑顔の素敵な女性だった。フィンランド出身で名前はアイラといった。そろそろ始ま

        決死のデモンストレーション

          念願の新道場オープン

            いよいよ僕自身の道場がオープンする日がやって来た。その前日は、イギリスで自分自身の空手道場がオープンするんだと思うと、興奮してなかなか寝付けなかった。まるで小学生のようだった。当日は朝早くから目が覚め、夕方5時くらいまでなかなか落ち着かなかった。5時半を少し回った頃になって、空手着やキックミットなどを持ち、グレイスの家まで車を走らせた。グレイスと一緒にサンドイッチの新道場に向かうことになっていた。ジョージが気を利かせて、グレイスに僕を手伝うよう頼んでくれていたの

          念願の新道場オープン

          いよいよ道場開設

          それから数日経って、ジョージのハイス道場に行くと、グレイスが娘のエイミーと一緒に入り口の受付の所に座って、道場生の出席をチェックしていた。グレイスは僕に気づき、 「ハロー、ナオト!」と、彼女から挨拶してくれたので、僕も、 「ハロー、グレイス、元気かい?」と返すと、 「元気よ!」と笑顔で答えてくれた。僕はいつもと変わらないグレイスを 見て嬉しかった。それからジョージを見つけて、 「元気かい?」と聞くと、 「ちょっと疲れがたまっている

          いよいよ道場開設

          車購入と合宿での思いがけない出来事

             イギリスは車社会である。日本人によくある誤解は、イギリスも電車やバスがあるだろうから、車が無くても大丈夫だろうという認識だ。確かに電車は走っているし、バスも運行しているが、日本とは全く状況は異なっている。第一に、一時間あたりの運行本数はロンドンあたりの繁華街を除くととても少なく、日本の田舎と同じくらいの本数なのである。また、10分や20分遅れて到着することも日常茶飯事なのだ。   まだ僕が引率教員としてイギリスに来た時の話だが、夕方にジョージの道場へ行こうとして最寄

          車購入と合宿での思いがけない出来事

          いよいよアパートを借り、車購入へ

             英国に来てから1か月くらい経過して、僕はようやく自分自身のアパートをハイスに借りることができた。アパートといっても、家賃は月10万円で、日本のマンションのようなものだった。2LDKで70㎥はあった。内部は改装されていて、築10年以上は経っていたが、浴室や洗面台、フロアの絨毯は新品で、壁も新たにペンキが綺麗に塗られていた。そんなふうに綺麗に改装されていたので、まるで新築であるかのような匂いがした。この物件はイギリスでは立派でおしゃれなアパートで、若い人が気に入りそうだった

          いよいよアパートを借り、車購入へ

          ジョージ邸での修行

            それからは、休日以外は毎日午前中にはジョージの買い物や友人宅に行くのに付き合い、昼食をとってから各道場を回った。僕もイギリス流の稽古方法を学びながら、しばしば直接指導にも当たっていた。そうする中で、僕が違和感を覚えたことが一つあった。それは、子供のクラスの準備運動が、日本の伝統ある準備運動の稽古方法とはかなり異なっていたことだった。ジョージにどうして日本と違ったことをやらせているのかと尋ねると、   「イギリスの子供たちに日本式でずっと静かにやらせると飽きてしまうので、楽

          ジョージ邸での修行

          ジャック, オリバー, 2人の黒帯との一騎打ち

          ハイス道場を最初に訪れてから2週間半くらい経ったある日、僕はようやく体力を万全に回復して道場に向かった。 今日はスパーリングをやって僕がどれくらいのものか示してやる!という強い意気込みがあった。ジョージにもその日の朝、今日からスパーリングをするつもりだと前もって伝えておいた。小学校高学年のクラスが終わりかけ、大人の部のクラスに早めにやって来たジャックやオリバー達の姿が目に入った。彼ら黒帯を含めた上級者たちからの僕への挨拶は相変わらずあまり敬意を感じなかった。

          ジャック, オリバー, 2人の黒帯との一騎打ち

          道場生たちからの不信感

          翌日の朝目覚めると、もう午前9時を回っていて、ジョージが朝支度をしている物音が聞こえてきた。ジョージは新しく増設した二階で寝ていたようだった。その日は、部屋の窓から日光の明るい日差しが差し込んでいて、イギリスでは珍しくよく晴れているようだった。僕は部屋から出て、キッチンにいるジョージを見つけ、 「おはよう!」と言った。 「おはようナオト!よく眠れた?もう朝ご飯はできているよ!」とジョージはやさしい言葉で言った。 「よく眠れたよ、サンキュー」

          道場生たちからの不信感

          意を決し、いざ英国へ

          千葉での空手の演武を終え、しかるべき準備も整え、あっという間にイギリスへ出発する日を迎えた。4月の上旬だが、まだ夕方になると冷える時期だった。僕は妻の由美としばらく会えないのは辛かったが、しばらくは一人で頑張り、ある程度の生活基盤がイギリスでできたら由美をイギリスに呼ぶつもりだった。その日の朝、由美は仕事だったので8時くらいに起床し、出勤の準備をしていた。僕の出発は夕方からだったが、一緒に起床して一緒に朝食をとり、駅まで由美を見送ることにした。由美は少し心配そう

          意を決し、いざ英国へ

          あこがれの氷柱割り演武へ

          僕は親類への挨拶も済ませ、その後、勤務先にも退職の意志を伝えた。伝えるのが3月初旬でぎりぎりだったということもあり、上司の教頭から少し文句を言われた。その教頭は以前、教員の生徒人気ランキング表などを作って教員に配り、まるでどこかのブラック企業にいる営業部長のようなことをして教員から嫌われていた。そんな上司だったので、退職することで気分が清々して、文句を言われようがほとんど気にはならなかった。やめる理由は英国企業で働くという理由にした。多少、疑いの目で見ら

          あこがれの氷柱割り演武へ

          必死の説得

            翌日の日曜日、僕はまず実家の厳格な父親に事の次第を打ち明けることを心に決め、早起きして8時半には1人で車に乗って実家に向かった。実家は住んでいたマンションから車で15分くらいの所だ。実家に到着し、玄関に上がると父親が普通に出迎えてくれた。 母親は買い物で留守にしていた。ソファに座るよう言われ、僕は腰を落ちつかせ、近況などを報告してから本題に入ることにした。 「実は今の仕事をやめようと思うんだ」と、僕は意を決し厳格な父親に言った。以

          必死の説得

          「日本人空手家として英国での挑戦へ」

            僕は日本に帰国してからは、元通りの生活を送っていたが、4月になり、勤務する学校も校長が変わってから異様な締め付けが教員に対して行われるようになっていた。私立高校だったのでそういうことはよくあることだが、居心地が悪くなっていた。例えば、早朝に出勤させて理事長に朝の挨拶をさせるのが日課としてあった。また、学校説明会を毎週のように日曜日に設定し、強制的に手伝わせることもあった。最近になって、ようやくそのようなパワハラ的な職場環境に対しては世間的に問題視されるようになってきている

          「日本人空手家として英国での挑戦へ」

          航空機内での決斗

           帰国前日にジョージから,   「正月も一緒に過ごさないか? 年末にトミーと一緒にバーでバウンサー(用心棒)の仕事があるんだ。ナオトも一緒にやらないか?」と誘われた。「用心棒」という仕事を持ちかけられるということ自体、僕の想像の域を遥かに超えた出来事だった。僕はとても驚くと同時に、少し興味も湧き上がったが、航空チケットを一度キャンセルしていたこともあり、その話に乗る訳にはいかなかった。   いずれにしても、僕は短期間ながらも充実した日々を過ごせて、帰りの航空機内では満足

          航空機内での決斗