由美を迎えにヒースロー空港へ
イギリスに来て3か月半たち、本来なら新婚生活を共に満喫していたはずの妻である由美が、ようやく8月の中盤になって渡英できるようになった。由美は食品会社のOLで、7月いっぱいで円満退職することになっていた。僕はその日が待ち遠しかった。そして、ようやくその日がやって来た。
由美は14時にヒースロー空港に到着予定だったので、僕は12時半に余裕を持って家を出て、青色のプジョー205でヒースロー空港へ向かった。1時間15分くらいで空港に到着した。僕は駐車場に車を入れようとしたが、すぐに由美に会えるだろうと思い、空港のロータリーの脇に車を停め、そのまま由美を探しに行った。ヒースロー空港は成田空港ほど大きくはなく、日本からの便の着く到着ロビーに行って15分ほど待つと、馴染み深い容姿の由美がゲートから出てきた。
「由美!」と僕は大きな声で久しぶりの日本語で言った。
「直人!元気だった?」と久しぶりに聞く由美の声で癒されながら、僕らはしっかりとハグをした。実に約4か月ぶりの再会だった。僕は由美が成田空港で搭乗するまでの経緯を聞いた。由美によると、由美の兄と、僕の両親が空港まで見送りに来てくれたとのことだった。そんな話に耳を傾けながら外に出てロータリーに戻って来ると、脇に停めてあったプジョーのフロントウインドウに紙が貼られていた。駐車違反キップだった。日本円で6千円ほどだった。それを見て由美は少し心配していたようだったが、僕は少しだけ気が滅入るくらいでそれほど気にはしなかった。何と言っても久しぶりに由美に会えたのだから、と僕の中では嬉しい気分が先行していた。
僕は由美を車に乗せ、アパートのあるハイスまで車を走らせた。高速道路が空いていたのもあってかなり早く、50分くらいでハイスに到着した。由美には今住んでいるアパートを気に入ってもらえるかちょっと不安だったが、この辺りではきちんとした鉄筋造りで立派なアパートだった。僕は車をアパートの脇に停めた。駐車場はなく、住人は皆、アパートの周りに駐車することができた。正面玄関から中に入ると、床が白と黒の市松模様(コントラスト模様)になっていて芸術的な雰囲気を醸し出していた。僕はこのデザインが気に入っていた。階段で2階に上がり、由美を中に入れた。そのアパートは3階建てで僕は2階に住んでいた。部屋は2ベットルーム(2LDK)で先日買ったばかりの新しい家具も揃えていた。
「いいじゃない!素敵だよ、気に入った!」と由美は部屋を見て嬉しそうに言った。
「家賃は10万円だからいいに決まっているよ」と僕は言ったが、家賃10万円でもひどい所もあった。このアパートに決める前にいろいろなアパートを内覧した。
築100年くらいのかなり古いアパートで、使い古した添え置きの家具もか なり老朽化していた物件もあった。それでも一緒に内覧案内してくれた不動産屋のガリーは、その老朽物件にもかかわらず、
「ここは素晴らしい家具もついていますね」と、真顔で言っていたので僕は少し驚かされていた。そこが同じ家賃の10万円だった。
伝統を重んじ、古き良きものを大切にする文化のあるイギリスにおいては、古くても良いものであれば、そこに価値を見出すのは当然のようだった。また、イギリスでは毎週日曜日の朝9時から、古い家具のオークション番組をやっていた。日本では一見がらくたに見えるような家具が、あっという間に予想以上の価格で競り落とされていた。日本では非日常的ともいえるそんな番組に僕はやけに惹かれ、日曜日のお気に入り番組になっていた。
それに加え、ほぼ毎週日曜日には近くの公園でフリーマーケットを開催していて、凄い賑わいなのだ。その中で、中古車も売っていて、日本のHONDA車が売られていたのには驚かされた。僕はこの車(HONDA アコード 紺色)がちょっと気に入って、車購入の際これも候補に入れていた。
僕は由美が気に入ってくれたのでとりあえず安心して、由美と昼食を食べることにした。近くのスーパーでスパゲッティを買って準備していた。よくあるミートソーススパゲッティのルーを買っておいた。僕はそれをすぐに作って2人で食べ始めた。美味しかったが、日本のものよりちょっと味が濃く、ツンとしたミートソース特有の匂いが部屋中に立ち込めた。僕たちは何気ない話題から、いよいよ現実的な話題に話が向かって行った。
「そういえば新しい道場ってどうなの?」と由美は何気に聞いてきた。厳しい現実を経験した僕にとっては、ちょっと気軽に話せないような内容だった。でも、黙っているわけにもいかず、僕は今までの経緯をすべて彼女に話すことにした。僕としては由美が渡英した時点までに、ある程度道場経営を軌道に乗せたかった。そして、これだけのお金を稼ぐことが出来ているんだよ、という好ましい状況の中で由美を迎えたかった。実際はその計画通りにはいかず、厳しい状況だった。だが僕は勇気を出して話を切り出した。
由美に一通りそのことを話した後、
「そうなんだ。それは仕方ないね。どうすればいいのかな」と、由美は僕が予想した程の失望した素振りは見せなかった。そして由美は少し考えてから、
「公園とかで宣伝しようよ!」と言った。僕は前にそんな手段があることも思いついたのだが、実際、自分では実行に移すことが出来ないままでいた。でも、その由美の一言で火が付いたというか、僕は一気にその気になり、早速あれやこれや考え始めた。最終的に辿り着いたアイデアは、公園で飛び蹴りと型を披露することだった。他の手段としては試し割りもあった。僕は木製バットを足の脛で蹴り割ることが出来たし、氷柱も手刀で5本くらいは割ることができた。でも、さすがにコストパフォーマンス的にそれは無理だった。
(続く~)
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