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ぽん太の東海道五十三次歩き旅(26)二川宿→国府

こんにちは。ぽん太です。二川宿より先に進み、吉田宿(豊橋)に寄ります。しかしお天気が・・・


旅日記

 2023年6月14日。9:45昨日の到着地のJR二川駅に戻って出発。今日の天気は曇りだが大気が不安定につき雨が降ることもあるとの予報である。昨日と比べて比較的涼しく、歩くにはちょうどよい。時折小雨がパラつくが合羽を着るほどではない。
 梅雨時期なので、道沿いに咲いている紫陽花の花がとても綺麗だ。ガーデンガーデンという花屋さんの角を左折し、旧街道を歩いていると、「旧東海道のクロマツ跡」という石碑がある。今は住宅街となっていて全く面影はないのが残念だ。

紫陽花が目を楽しませてくれる
かつては松並木のあった飯村地区
今残るのはこの碑のみ

 殿田橋でまた1号線に合流し、豊橋市内に向かう。このあたりは日本橋から約300㎞の地点であり、全行程の6割走破したことになる。日本橋→藤沢(50㎞)→箱根(100㎞)→富士(150㎞)→藤枝(200㎞)→天竜川大橋(250㎞)→豊橋(300㎞)と歩いてきたのだなと思うと感慨深い。
 豊橋市内に入ると、路面電車がお出迎え。私の故郷の京都にも子供時代は路面電車(市電)が走っていたので、とても懐かしい。
 かつて豊橋は、吉田城の城下町で、飯田・信州に向かう別所街道や伊勢神宮へ向かう田原街道の分岐点でもあり、吉田宿として栄えたようだ。

日本橋から約300km。思えば遠くへ来たもんだ・・・
吉田城東惣門跡
路面電車が町を走る

 豊橋ハリストス正教会は残念ながら改修工事中で見学できず豊橋公園に向かう(11:45)。ここは旧吉田城があったところで、豊橋は戦国時代末期に池田輝政の入場後吉田と呼ばれていた。明治時代になって「吉田」の地名は全国にたくさんあるため、改名を命じられ、「豊川の橋」から「豊橋」に改名されたようだ。
 また旧東海道に戻り、豊橋市公会堂吉田宿本陣跡などを過ぎる。

昭和29年に復興された鉄櫓が豊川のほとりに建っている
鉄櫓からの豊川の眺め
レトロな建築の豊橋市公会堂
吉田宿本陣跡。うなぎの方が目立っているので、思わず通り過ぎてしまう

 13時過ぎ、豊橋の地名の由来となった「豊橋」を渡る。かつては吉田大橋と呼ばれ、岡崎の矢作橋、瀬田の唐橋と並んで東海道三大大橋の一つであったと言われている。またかつてはこの近辺に「吉田湊」という大きな港があり、三河最大の湊であったようだ。今も少し先に豊橋魚市場がある。
 13:45、瓜郷遺跡とよばれる弥生式住居の遺跡があり、少し小休止。瓜郷遺跡は奈良の唐古遺跡、静岡の登呂遺跡と並んで、弥生時代の低地にある遺跡として貴重なものと記されている。

豊橋
瓜郷遺跡
豊橋魚市場

 このあたりの旧東海道は、ちょうど国道1号線と並行して北東に延びており、ところどころに古民家があったり、神社があったり、工場があったり面白い道だ。
 空がだんだんと黒くなってきたなと思いきや、突然の豪雨。しばらく高架下で雨宿りをする。なかなか雨がやまないため、雨具を着て歩き出す。

趣のある旧道。だんだん空が暗くなってきた
雨の中の行進
雨の田園風景に癒される

 本当は御油宿まで行きたかったが、雨がやまないので、結局今日は名鉄国府駅で歩き旅を終える(16:25)。梅雨時は旅の計画が本当にむずかしい。もう夏に入るので、次回再開は9月以降の予定で、しばらくお休み。

今回の終着地、名鉄国府駅

記録

  • 総歩数:32,192歩

  • 実際に歩いた距離:19.3km

  • 訪れた宿場:吉田宿

  • 宿泊:なし

本日の行程

二川から国府までのルート

広重の絵

吉田宿

「吉田 豊川橋」

 遠くの豊川にかけられた橋には大名行列の一行が渡っている。それを手前の吉田城の修理にあたっている左官や大工などが眺めている。

(参考)


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