田尾 真一

精神性を登らせて宇宙と繋がるブログ

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最近の記事

人間関係の運命を間違える人がいる

恋愛における運命の人とか 人間関係や人とのご縁ということに 運命を紐づけることが多いと思いますが 人とのご縁における運を 勘違いしてしまい 苦しんでしまうことも少なくないですよね 人間関係に運命を紐づける人は 他人に期待をすることになってしまう 運命を期待するときは 当然 自分にとって良き人を期待することになるからです しかし 人間関係に期待した運命というものは 勘違いと苦しみに繋がりやすい 他人に期待することは 自分の心を弱くするだけで 結局運が良くならない

    • 事実を受け入れてこそ夢は生まれる

      夢とウソの違いというのを 考えたことがあるでしょうか? 若い時 夢ばかり追いかけてバカだな〜と 思われるのではないかと考えたり 夢ばかり語っていても そっぽむかれたりしてしまうもので 傷つくことも多いわけです これは夢は否定するものではないが どこか勘違いがあったり どこか危ういものがあるからでもあるわけで 実際若い時の夢は あてにならないものも多いでしょう しかし そこには確実にあてになる とてつもない可能性やパワーがあることも事実です 夢とウソ ウソとは事実で

      • 寂しい時にはエレメントを使う

        この地球を構成する四つの元素、火、地、風、水、はその上の5つ目の元素のエーテルに繋がっていく。 四つの元素、火、地、風、水はそれぞれに私たち人間にも地球全体をも構成する要素とされているのが神秘学の教え。 この四つのエレメントはどのような要素を指すのかと言うと、火は情熱、上昇志向やスポーツなどの身体を使う事、チャレンジ精神や向上心的な要素を表すものです 地の要素は、枠組み、システム、箱モノとして家族や組織、会社や団体といいった集合体や形体というイメージや、かたちづくること

        • 運気の良し悪しの流れを読みなおす

          ホロスコープを読むことや、様々な占いにおいて「吉凶」を読むというのには気をつけるべきことがある。 それは吉凶を占うというやり方 占いというのはとても良いものであると思っている私としては、より活用できるようにするためには吉凶を占うことなど、やめてしまえば良いと思っている。 というか吉凶をもっと違う読み方にすれば、間違いがなくなり、とても役に立つと思っている。 人生が良いも悪いも無いという読み方こそが、占いというものを、誰もがより積極的に人生に取り入れることができるからで

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          愛というもののイメージが変わった時

          愛というものを考えていると、一向に答えは出ない 受容する事、優しくすること、寄り添う事、仲良い様、愛でる事 どれも愛ではあると思うが、とにかく愛は一言では語れないどころか、決まったものなどないことで なかなか説明がつかない そうすると、愛とはどのようなものにでも「宿る」ものであると考えるようになる 「宿る」といえば魂や知性、意識といったものでも、万物に宿るという神秘学の教えを用いれば、これらと愛の境界線は何なのであろうかと考えてみたくもなる 私としてはリーディングを

          愛というもののイメージが変わった時

          常に自分を見つめないと進めない

          私ごととして、スピリチュアルな事を活動に生かすきっかけになったのは、自分自身がどうにもならなくなった経験から。 自分がどうにもならなくなったから自分自身をどうにかしなくてはいけないと、仕事を辞めて劇団に入ることから始まった。 大人になってから劇団に入ることで、自分の扱いというのを学ぶことができた。 小学生に交じってダンスしたり、日舞を学んだりと、自分自身の扱い方を改めて学ぶことは、それまでの人生でどれだけ自分自身の扱いということを、考えずにいたかを思い知るということにな

          常に自分を見つめないと進めない

          まともに生きれない事

          今日でのまともに生きるというのことは、将来を豊かにしていくノウハウ、人生のノウハウを身につけること。それを「まともに生きる」ということであると考えるのが普通だと思う。 そういう面では私はまったくもってまともな人生ではない。 高卒であり、若い時から良い教育を受けるという意識など全くなく、学ぶことの意味すら持たず、自分らしく生きるなんて何のことやらさっぱりわからず、お金を稼ぐということがなんでそんなに大切なのかさえもわからなかった。 その生きる事への動機の弱さは僕の人生では

          まともに生きれない事

          物理的やるべきこと、抽象的やりたいこと

          やりたいことをやっているのに楽しいということがわからない時というのごあります。 楽しいはずだったやっていることが、しなくてはならないということをしているだけになってしまっていて、楽しめなくなるという話は、スポーツにしても音楽にしても、やっている人は必ずと言っても良いほど経験する体験です。 これはやりたい事がやらなくてはならない事になりやすいということですが、やりたい事とやらなくてはならない事とは、境目がわからないものであり、事に対する時の取り組み方に対する意識の持ち方であ

          物理的やるべきこと、抽象的やりたいこと

          無駄を見つめなおすという誇らしさ

          先日私一人旅で日光の奥鬼怒温泉郷へ行った時、車で行けるところは、温泉から歩いたら二時間ほど手前の駐車場までなのですが、そこから温泉めがけて歩いていたら、眼鏡を落としてしまい、帰り道に同じところを通り、探しながら歩いたのだが見つからず、もうかれこれ半年ほど眼鏡を買わずに頑張ってきてしまった。 最近では、目が疲れて肩こりや頭痛らしきものを感じるようになり、さすがにもう限界と眼鏡を買うことにした。 私の事務所のあるのは銀座なので、銀座で面白い眼鏡屋さんを探していたら、最近面白い

          無駄を見つめなおすという誇らしさ

          新しい環境で新しい流れに自分を行かせる

          新しい流れを起こすということは、何を人生にもたらすか、わからないものです。 昨日は友達が新しくサロンをオープンしたので、お祝いに行ってきました。その友達は新しいその場所にサロンをオープンするとは、全く考えていなかったそうです。 僕はその友人から前々から色々と聞いていましたが、先月までは新しくサロンをオープンさせるということさえ考えなどなく、今の状況にどうしようかと色々と考えを巡らせていたわけです。 そして彼女のことを僕は感心していました。それは彼女が何かを手放すにしても

          新しい環境で新しい流れに自分を行かせる