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事実を受け入れてこそ夢は生まれる

夢とウソの違いというのを
考えたことがあるでしょうか?

若い時
夢ばかり追いかけてバカだな〜と
思われるのではないかと考えたり

夢ばかり語っていても
そっぽむかれたりしてしまうもので
傷つくことも多いわけです

これは夢は否定するものではないが
どこか勘違いがあったり
どこか危ういものがあるからでもあるわけで

実際若い時の夢は
あてにならないものも多いでしょう

しかし
そこには確実にあてになる
とてつもない可能性やパワーがあることも事実です

夢とウソ
ウソとは事実ではないことをここでは言ってますが

その二つをはっきりさせることは
かなり難しいわけです
 
人が自分のことを憎んでいると思い込むこともあるし
騙されたと思い込んでしまうことも
あるかもしれない

このようなことは
誰でも経験があることです
 
この嘘や事実とは違う状態であることを
真実だと思い込んでしまうと
実は本人も辛かったりします
 
そのような
無力感と言っても良い状態の思い込みと
夢に向かって突き進むこととの違いとは
一体どう違うのか
 
皆さんは
考えたことはありますか?


嘘というのは情報×不信
夢というのは情報×信頼

こうしてみると整理できるように
思います

これはあくまで一つのおすすめの方法
 
情報×不信は当てにならないものとなる

情報×信頼は当てになるので
頼れるもの
力になるもの
パワーになるわけです
 
スピリチュアルを活動にしていると
必ず陰謀論と出くわします
 
スピリチュアルと陰謀論の親和性は
目に見えないものを
解きほぐすところにあるのです

しかし陰謀論は
世の中を不信から見ているものであり
真実と思っているその陰謀は
やや不信に偏っています

例えば
この世の中はイルミナティに牛耳られている
と解釈するのは不信であり

イルミナティが何をしているかを知ることは
事実として受け取る努力となるでしょう

ワクチンが良くないと思う人は
良くない側面から見ていることであり
良くない側面から見るのは
不信からです

ワクチンを良いとする人は
ワクチンの良い側面を見ているからであり
良い側面から見るというのは
事実を見ることなのだろうと思います

こんな世の中おかしいから
正さなくてはいけないという発想のもと
陰謀論は展開され
 
世の中は元々不十分で
常におかしいことだらけであり
そんな事実は当然のものとして認めながらも
その世の中で可能性を作ることが夢

色々と現実には厳しい事があるが
その厳しい事をしっかりと受け止める
 
厳しい事を悪いこととするのではなく
そういうものであるという視点から受けとめ
事実を事実として受け止めるということをしてから
 
その厳しい現実に立ち向かうために必要な
私たちの希望や可能性が夢であるのです
 
もちろんこれだけが夢だということではありません
 
夢と嘘の違いという視点での
夢というものの話しです
 
陰謀論を気を付けなくてはいけないと思うのは
不信から見すぎる点なのです
 
事実はわからない
だから不信しておいた方が良い
 
こういう論になりやすいのが
陰謀論です
 
これは嘘にもなりやすいのです
 
私たちの心は
希望に胸を膨らませているつもりでも
不信から入ってしまうもので
 
それが嘘に囚われてしまうという
事になります
 
何かが物足りないから
もっと〇〇になればよい
という希望を持っていたとしても
嘘やフェイクにつかまってしまうのです
 
希望は嘘を見抜くことが難しいのです
 
この場合の希望というのは
私たちの心の中にある希望です

夢に持つ希望は
私たちの心の中にある希望ではなく
現実の中にある希望です

現実の中にある希望として
より素敵な現実こそが
私たちの力となる夢です
 
夢というのは
夢自体が自分のエネルギーになり
パワーになるのです
 
嘘や陰謀と夢の違いは
前提にある
厳しい事実の上にあるかどうかです

不信から見た現実を
勝手に想像してしまったものは嘘や陰謀論になります
 
不信から見た時の想像力と
事実を受けとめた時に初めて生まれる
可能性とは違うのです
 
夢は不信から想像しても生まれてきません
 
不信から想像すると
正そうとするパワーや
今ある現実を壊そうとするエネルギーとなります
 
しかし事実を見て
そこから見えてくる可能性こそが
夢としての力を持ちます
 
夢を持って努力して
大きなことを成し遂げる時
そこには厳しい現実に向き合った瞬間が
あるように見えます
 
決して厳しい現実を
不信として捉える事では生まれてきません
 
厳しい現実を不信するというのは
結局大きな力に
屈服していることなのです
 
大きな力に屈服するという姿勢が
不信を創ります
 
そして不信として情報を見ることで
嘘に心が奪われやすくなってしまうのです
 
自分でも嘘をつくつもりでないのに
嘘を言ってしまう
 
それは嘘を嘘として扱うことができない
となっているのです
 
嘘と現実との違いとは
現実を見ることができるかどうかでしかなく
現実を見ることが出来れば
嘘は無くなってしまいます
 
現実を見ることができれば
そこには嘘ではなくミスしかありません

嘘は人為的に創られるかのように思われがちですが
嘘は現実を見ることができないということ
だけであり

人為的に作られるものではないのです
 
嘘つきが治らないとか
泥棒が治らないとか
詐欺師はやめられないという話は
聞いたことがあると思いますが
 
何故やめられないかというと
事実を見ることがわからないからなのです

恋愛でも相手を疑う時
事実を見ようとしていないのです
 
実はこの事実を見るということは
簡単な話ではなく
とても難しく
受け入れがたい事なわけです
 
それは
人間というものが
素晴らしいものであるという
幻想を持っていることでもあります

それほど夢のある存在ではない人間に
夢を見て期待を持っていることは
良くあります
 
人間を過大評価している人は
かなり多く
この人間に対する過大な評価や
期待というものが
事実を見えなくさせてしまうことにつながります
 
陰謀論を聞いていると
さぞかし
賢い巨大な力があるかのように
語られることが多いように思われます

しかし実は
単に人間はミスだらけなのです

陰謀論にには
実際そんなことができる人がいるのかどうか
不思議な話が多いものです
 
それは純粋に
人間のことを
素晴らしいものだと信じているのだろうと思います
 
しかし人間は
学ぶことの方が多い存在であって
学ぶということにおいてはと
とても尊い存在であるのではないでしょうか
 
決して
期待するような凄いものなどないのだろうと
思う方が事実ではないだろうか
 
世界のリーダーも
色々な方がいますが
その人たちのことに期待することはやめて
 
どのようにリーダーも
私たち一般人も学んでいくべきかを
考える事の方が
 
夢のある社会が創れるように思うのですが
皆さんはいかがでしょうか?
 
この場合の学びとは
現実を見る力のこと
 
現実を見る力とは
自分を見る力であることでもあります
 
自分を受け容れた時
自分を通して現実が見えてきますが
 
自分を受け容れることができない時
人は不信に走り

不信から嘘が嘘とわからなくなって
しまうのではないかと思うのです。

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