地球を退屈にしないことで生きやすくなる

感じることを忘れているのです
今誰もが

こんにちは

宇宙心理士
心理占い師をしている
真一です

自分は大丈夫と誰もが
考えています

この感じるということ

しかし感じるということが
わからなくなっていることが
当然となっている人には

それで感じれているという
認識になるので

気づいていません

感じることができないと
地球なんて
退屈でしょうもないところ
になります

そして退屈は人を荒んだ世界
ダークサイドへ向かわせるのです

幸せも喜びも充実感も感動も

全ては「感じる」というものです

これらの充実感を
もたらすであろう実感というのは
「私たちの感覚の中でおきること」

であると
考えたことはありますでしょうか

ご相談やお話を聞いていると
どうやらこれらの実感は

どこかから勝手にやってくるように
勘違いしている人が
多い気がするのです

好きな人ができれば幸せ
結婚すれば幸せになる
食うに困らないお金があれば幸せ
素敵な人とのご縁があれば幸せ
自由になる時間があれば幸せ

これらのことが
偶然でも自分の人生やってくれば
幸せであるのだろうと
勘違いしていないでしょうか?

これは間違いです

どんなに他人から見て
幸せそうに見えていても

本人が感じる感覚を
働かせていなければ

喜びとなる感覚を感じることは
できません

これらあれば幸せであろう
状況が人生にもたらされたとしても

自分の感じ方によっては
ちっとも幸せと感じることは
無いのです

感じるということは

身体と思考と感情のバランス
が取れていなくては
受け取れません

思考だけに囚われていることの
多い現代では

感じることが
難しくなりやすいのは
言うまでもありません

私はテレビの有名人の
壮絶な過去的なお話が嫌いですが

それらのつらい経験も
本人にとってどうであったか
という実感と

他人から見て憶測で
捉えることとでは
全く別物なのです

それを逆手にとって
人をだますようなテレビの構成に

私は引いてしまうので
全く興味が湧かないわけです

その人の経験は
他人がどう感じるかということを
軸に話をされても
まったく響きません

しかしその経験をされた本人が
自分の実感とともに話す時に
響いてくるものがあるのです

テレビや報道というのは
そのような解釈に
意図が入り過ぎるので
事実を伝えるものでは
なくなってしまうので

本来真実を伝えるものなど無い
という見方の方が良いということ

話が逸れましたが

感じることというのは
経験している本人が
それを感じることが出来なければ

喜びとして受け取ることが
できませんね

それではその喜びとして
受け取る時に
阻害しているであろう思考は

どのようにすれば思考優位な
状態ではなくなり

感じるが起きてくるように
なるかというと

ここが難しく
感じてしまうところだと
思いますが

感情の緊張を緩めることで
可能になるのです

感情の緊張を緩めることが
できないと

緊張した感情に紐づいた思考が
頭を埋め尽くして
感じることを阻害してしまうのです

感じるというのは
感情のゆるみと思考の選択と
身体の体感のセットによって
もたらされるのです

思考だけで自分は幸せだと
考えようとしても
感情だけで幸せに
浸っていたとしても

そのことが自分の実感としての
幸せとはなりにくいもので

他人事に同調している感じにしか
なり得ないのです

他人に言われて
「それは幸せなことだね!」
と言われて
「確かにそうですね」
と思えたとして

自分的にはしっくり来ていない
というのは良くあることですよね

これら身体と感情と思考の
セットで思えていない
実感の伴わない思考ど
弱い感情であるのです

このセットで
実感ができるようになるために
それぞれをしっかりと
見つめていくことこそ

自分を知るということであるのです

感じることができるように
なるために
自分を知ることが必要
ということです

そして自分の感じたことを軸に
人生を選択していく時

自然と自分にとって
必要な経験がもたらされるので

実感は想像以上の体感として
喜びになるのです

女性が出産した後の喜びを
する前に知ることは
できないぐらい

驚嘆なものが
これなのです。


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