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新しい環境で新しい流れに自分を行かせる

新しい流れを起こすということは、何を人生にもたらすか、わからないものです。

昨日は友達が新しくサロンをオープンしたので、お祝いに行ってきました。その友達は新しいその場所にサロンをオープンするとは、全く考えていなかったそうです。

僕はその友人から前々から色々と聞いていましたが、先月までは新しくサロンをオープンさせるということさえ考えなどなく、今の状況にどうしようかと色々と考えを巡らせていたわけです。

そして彼女のことを僕は感心していました。それは彼女が何かを手放すにしても、何かを新たに始めるにしても、自分の迷いや苦しみ、不安や恐れから逃げずに、とにかく向き合い続けていることにです。

はたから見ていると、もうそんなに悩まなくても良いのでは?と思う程なのですが、それは僕が悩むことが嫌いになっているからだったのでしょう。彼女は決して悩んでいるというよりは、決断に向けて考えを巡らせていたのです。そして新しいサロンオープンまで、物事はすんなりと達成をしてしまっています。

そのタイミングで彼女はビーワンという気持ちの良い水とここでは表現しておきますが、その商品をサロンに取り入れることにしました。

彼女曰くどうしてこれまでビーワンを扱わなかったのか不思議なくらいわからないというのです。ところが今は新しいサロンの開設と同時にビーワンを扱う事にすっかり楽しんでいる様子。そこでこの流れのことを話していて気づくのが、全ては重なり合っていて同時に起こっているということ。サロンを開設することも、新しい展開の活動を増やすことも、予想することななど到底できないものであったのに、あっさりといまやってしまっているのです。

これは一つのみずがめ座の傾向と言えると思います。 

やりたいことは、念入りに考えなくても、あっさりとできてしまう。

水瓶座の時代は、今起きていることに意識を向けていると、自然と衝動は起きて、やらずにいられなくなるものが、すっと何もなかったところから急に目の前に現れるかのように、行動を起こしたくなってしまう。後からその時の自分に振り替えると、笑ってしまう程、鬼気迫る思いだったりしますが、喉元過ぎれば熱さを忘れるように、なるべくしてなっていることに、今はすっかり気づいています。しかしそれを理屈的に解釈することはできません。
何がしたいかは自分の内側の奥の方からムクムクと起き上がってくる。これって自分自身を見ているということでもあります、嫌なことから目をそつけていたら起き上がってこないのでしょう。

自分のやりたい事は、頭で理解している、頭で認識しているやりたい事というのではなく、自分の奥深くからやってくる衝動で、それは理屈の枠で考えたものとは全く違うもので、それを知るからには経験というフィーリングに気づいている自分がいるだけのことなので
他人は非入り込むことはできません。

他人がそこを提供できるものではないのです。

自分の中のやらずにはいられないものって、変化の中に居てでしか、掴み取るしかないのかもしれません。

自分がやりたい事がまるで変化そのものであるかのように、変化の先にはやりたい事が新たにあり、しかし、ただ変化をやっているのではもちろん変化自体を受け容れることはできず、変化をしたいその先には、やりたくない事と、やりたい事の両方が混在していて、そのやりたくないことと、やりたい事をミックスしたその場所にある自分の持ち物を持ってみる時、そこに行ってみる時でしか、自分に何が起きて何がしたいのかなんて見えてこない、その変化と共にやりたくない事と、やりたい事の、両方がぐちゃぐちゃになってしまっていることでしか、見えてこない自分が進んでいくということの、フレッシュさや充実感。やりたい事とやりたくないことがわからなくなり、とにかく自分の思いつくままに行動していく時にある、人との関わりや人との繋がり、新しいご縁や、新しい流れに乗った新しい発想など、全てが新鮮で斬新ですがしい充実感。
これはやりたいことであることに気付かされるのでしょうね。

このすがすがしい充実感は、やりたい事のようであるのですが、やる前には、はっきりしないということです。

はっきりとしないやるべきことと、やりたくないとハッキリしている億劫なこと、そしてそれを超えることを可能とする、未知なる欲する爽快感。この未知なる欲する爽快感こそ、ワクワクの原点であり、私たちが求めている拡大と繁栄の経験を体感する瞬間。

私たちが求めているものとは、今、簡単ではなくなっているように思えるのですが、様々なものが簡単に手に入るようになって、よりその充実感というものや、満足感というものに、高振動な体験が必要になって来ているのかもしれません。

高振動な体験こそが、これからの私たちの、行くべき道を示してくれているのであれば、それはそれで嬉しい事であると僕は思うわけですが、それは自分自身でそこに行ってみるしかないものであるというところが難しいのであろうとも思うのです。

新しい流れと、新しい地で、新しい自分の楽園を創り出す友人に心からお祝いを申し上げます。

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