「向かい合う」のではなく、課題に対して「横並び」

平等に、公平に、ってことにこだわり過ぎると、ろくなことがないように思う。
夫婦げんかでよく見かけるのは、「俺の方が頑張っている、なのにお前は」「私の方がやっている、なのにあんたは」と、自分の方が負担が大きく、相手の方が負担が軽い、不公平だ不平等だと相手を罵るケース。

私には、トンカチとノコギリがケンカしているように見える。「俺ばかりクギを打たせやがって、ノコギリもクギを少しは打てよ」「私ばかり木を切らせて、トンカチも少しくらいは木を切りなさいよ」不毛。自分の負担を過大視し、相手の負担を軽視する。そして互いに罵って。そんなんで家建たへんやん。

それよりは「君は木を切れるのかい!僕はクギを打つしか能がなくてねえ。助かるよ!」「あなたはクギを打てるの!私は木を切ることしかできないけど」と、互いに相手の得意技、業務をリスペクトし、せめて自分の得意技で相手の苦手を補完しようと助け合えばいいのに、と思う。

「自分の方が頑張っている、相手は頑張っていない」という「頑張り競争」をすると、本来比較にならないものを比較する愚を犯すことになる。イチジクとレモン、どちらの方が優れた果実?なんて比較が無意味なのと同じように。イチジクはレモンの代わりにならない、レモンはイチジクの代わりにならない。

「恋人は向かい合う関係、夫婦は共通の課題に向かって横並びの関係」だと私は思う。恋人の間は相手に強く魅了され、ついつい見つめ合う。でも夫婦になると、一緒に生活する上での課題を解決していかなければならない。その時に「向かい合う」と、相手の粗ばかり探してしまいかねない。

それよりは、夫婦が共通している課題を前にして、横並びになる関係性を考えたほうがよい。この課題をどう解決しよう?僕はこれが得意だから、ここのアプローチから始めるよ。私はあちらの方が得意だから、あっちから攻めてみるね。と、互いの得意を持ち寄り、苦手を補い合い、課題を可決する。

こうして横並びで共に課題を解決していくと、同志感が生まれるし、相手の得意技にリスペクトも自然に湧く。そして不思議なことに、「相手もあんなに頑張ってくれているんだから、自分はそれ以上に頑張らなくちゃ!」と、いい意味での頑張り競争を互いに始めたくなる。しかも楽しげに。

「俺の方が頑張っている、お前はまだまだ」というネガティブ「頑張り競争」と、「相手はすごく頑張っている、こちらも負けずに頑張ろう!」とますます意欲が燃えるポジティブ「頑張り競争」。この違いが生まれるのは、「向かい合う」か、「横並びに並ぶ」かで大きく異なる。

「向かい合う」と、夫婦共通の課題ではなく、相手の中に課題を見つけてしまう。「あいつ、もっとこうしたらいいのに。なぜこれに気づかないのか。これを努力しないのか」と、相手の中にどんどん課題を見つけ、欠点を見つける。それで不満が高じてしまう。

しかし「横並び」の場合は、課題はあくまで夫婦が共通して向き合う課題。いかに自分はこの課題に向き合おうか、と考えていると、横で相方は別なアプローチですでに進めている。こっちも負けてられないぞ、と、やる気が湧いてくる。相手の中に課題を見つけず、共通の課題に課題を見つける。

今、日本は、若年層と高齢者、正規社員と非正規社員、男性と女性、などに分断し、互いに「向かい合う」関係性へと誘導させる言説が多い。しかしこの言説を振りまくと、互いに相手から課題を、欠点を見出してしまい、相手を憎む気持ちが増幅してくる。そして。

自分を肯定し、相手を全否定する論理に飛びつくようになってしまう。これをやってしまうと、互いに仲たがいする方向にしか思考が進まなくなる。ののしり合い、関係が断絶していく方向にしか進まない。しかし、トンカチとノコギリが縁を切って家が建つだろうか?

みなさんも歴史の教科書で見たことがあると思う。日本と清国が戦っているのを眺めて、「漁夫の利」を得ようとしているロシアの図。互いにいがみ合い、罵りあうのを利用して、自分の利益を図ろうとしている人間がいるのではないか?という注意がどこかに必要。
https://fuushiga.com/sino-japanese-war/

ルワンダでは、フツ族とツチ族が仲良く暮らしていたのに、ヨーロッパ人が植民地にしてから互いに憎しみ合うように仕向け、それによって植民地支配を容易にしようとした。古代ローマ時代からと言われる「分断して統治せよ」というやつだ。

どうも今の日本では、この分断の状態にしようと言説を振りまく連中がいるらしい。そのため、高齢者と若年者、正規社員と非正規社員で分断し、いがみ合い、罵りあうように仕向けているように思えて仕方ない。もしかしたら、この分断の最中に「漁夫の利」を得ようとしている人間がいるのかも。

この分断で利益が得られる層を考えると、海外の投資家と、日本の一部の富裕層、ということになる。そういえば、この人たちは、分断をあおる言説の中であまり登場しない。というか、そちらに意識が向かないよう、話をそらそう、そらそうとするアカウントがやたら目立つ。

私はまず、分断させようという言説に対して、慎重になった方がよいと思う。そして互いの欠点をあげつらうのではなく、共に共通の課題に対して「横並び」で解決する方法を、それぞれの立場から、それぞれの得意を活かして考えていくのがよいように思う。

そして、分断を仕掛けようとしてきた張本人の可能性がある一部富裕層や海外投資家らも、「ほら!あんたらも一緒に課題を解決するで!ぼさっと立っとらんと!あんたらの得意を活かす時やで!」と、巻き込んでしまえばよいと思う。そして、一緒に日本が抱える難題を解決してしまえばよいように思う。

向き合うのではなく、横並び。そして、それぞれの立場の人間が、それぞれの得意を活かして難題に取り組む。
江戸時代には、大商人が資金を提供し、庶民は労働力を提供し、河川の付け替えなどの大工事を行った事例が数多くある。まさに横並びで課題を解決した好例。

分断しようとする言説に惑わされるな!一緒に横並びになって、課題を解決しよう!それぞれの得意を活かして!そして、互いに苦手を補い合おう!そうすることで、日本の活路は見えてくる。いや、常に活路はそうやってしか開けないもののように思う。

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