子どもに、部下に、自分にさえも「奇跡」が起きる秘訣

(子どもが英語アプリを継続してることをほめたら、反応が思いのほか悪かったという意見に対し)

「ほめる」はですね、「もっと継続しろよ」という圧力というか、「命令」に近いものを感じるんですよ。もし「命令」に従ったとしたら、それは奴隷です。子どもは奴隷になるのが嫌だから反発し、「命令」で汚染された行為が楽しくなくなり、嫌がるようになり、やがてやめてしまうんですよね。

私だったらこんなふうに「驚き」ます。
「ええ!まだ続けてるの!お父さんやったら3日坊主する自信があるで!なんでそんなことできるん?普通子どもはそうならんやろ!お前はホンマにお父さんの子か!」と、不思議がるやら感心するやら、みたいな驚き方をします。

もしなんなら次のように続けます。「ほら、疲れたやろ、そろそろ休まへんか。ほれほれ、ゲームのほうがおもろいやろ?お父さんならこっちを選ぶなあ。さあ、お父さんを見習いな。お父さんを目指しなさい。お父さんのように3日坊主になればいい。お父さんなら1日坊主になる自信もあるで。さあさあ!」と、別の道に誘惑します。

すると子どもはアマノジャクですから、「その手に乗るか!お父さんみたいになりたくない!(ひどい!)僕(私)はこれをしたいの!」と、ますますのめり込みます。
これらの言葉かけや対応だと、言葉にはならない次のような「裏メッセージ」が子どもに届くようです。

・親は英語アプリを継続することを当たり前と考えていない。
・むしろ三日坊主、あるいは1日坊主になることが当然だと考えている。
・それを常識と捉えているから継続してることに驚くんだ。
・英語アプリに飽きてゲームなど他のことをしても構わないと親は考えている。
・僕を誘惑しようとしている。

これらの裏メッセージに対し、子どもは次のように考えるようです。
・誘惑に乗らなければ親の目論見は崩れ、親は「ええ!なんで?」と、ますます驚くだろう。
・驚かす行為に出たほうが、ゲームとして楽しそう。

その結果、子どもはますます継続することにやりがいを感じるようになるようです。

「驚く」というのは、継続することのほうが不思議、と親が考えていることが伝わるから、アマノジャクな子ども(子どもは基本アマノジャクだと考えています)は、「明日も継続したら親はますます驚くだろう」と見抜いて、親を驚かすというゲームを楽しむために、継続の道を選びたくなるようです。

・子どもは基本アマノジャクである。
・子どもは楽しそうなことを選ぶ。
・親を驚かすのが大好き。
・親の「常識」を裏切れば驚く、と考えている。
・どの常識を親が持っているのかさえわかれば、その常識を子どもは裏切りたくなる。

これが子どもだと考えています。いや、実は大人も。高齢者でも。

ならば、親である自分の中の常識というか、当然と考える水準を思い切り下げるのが適当だと考えています。たとえば次のように。

・人間は(自分も含めて)怠け者である。
・継続するほうがおかしい。
・世の中でよいとされることはことごとくつまらない。
・つまらないことを続けるはずがない。
・人間は下らぬ方に逃げる。

すると、子どもは親のそうした常識を察して、いかにその常識を裏切り、驚かそうか、というゲームに興じるようになるようです。そのゲームがこの場合、「継続すること」という選択をし続けること、になります。私がそうした常識を持ってるから、子どもはそれを裏切ることが楽しみになるのだと思います。

ところで、上述の「常識」そっくりですが、一部改変した以下の「常識」

・人間は怠け者である。
・継続するほうがおかしい。
・世の中でよいとされることはことごとくつまらない。
・つまらないことを続けるはずがない。
・人間は下らぬ方に逃げる。

は、多くの人が口にします。しかし、私の常識の持ち方と一つ違うことがあります。それは、

そうした考え方を持つ人が「そうさ、人間は実に下らない生き物だ、ただし自分は違うがね」と、自分を埒外に置いていることです。
私は自分を埒外に置いていません。むしろ怠け者で下らない人間であることの最前線を走る男としての自負を持っています。他の人が働き者で真面目なことに驚いています。

実のところ、自分を観察してみると、愚かで怠け者な人間だなあ、と感心してしまいます。しかし、それらの特徴に感心はしても、けなしたり見下したりしないように気をつけています。「ホンマにオモロイ生き物やなあ。君は(自分のことですが)」と感心するようにしています。

すると面白いことが起きます。そんな愚かで怠け者だという自覚があるから、そうでない様子を見せる子どもに驚くようになります。子どもだけでなく、部下とか友人とか配偶者も、自分の常識とは違う様子を見せると、驚くようになります。

さらに驚くべきことに、愚かで怠け者なはずの自分が思わぬパフォーマンスを見せることがあることに、驚かずにはいられなくなります。「え?らしくないやん!どうしたん!」と。
自分で自分に驚くから、自分の常識を覆される自分の様子が面白くて、楽しくなります。だからますますのめり込むようになります。

ソクラテスは「汝自身を知れ」というデルファイの神託をとても大切に考えていたそうですが、なるほどと思います。自分自身をよく観察し、自分を知ると、いかに愚かで怠け者なのかがよくわかります。そんな生き物であることにおかしさと愛おしさまで感じてしまいます。感心せずにはいられない。

そしてその精神状態に落ち着くと、不思議なもので、人間は愚かで怠け者の生き物である、というこちらの常識を、周囲にいる子どもや部下などがどんどん裏切るようになっていきます。私はそれに驚かずにいられません。すると、ますます図に乗って裏切り続けます。私は目を丸くして驚くほかなくなります。

人生を楽しくする秘訣、それは自分自身を知り、以下の常識を得ることかと。

・人間は(自分が最たるものだが)怠け者である。
・継続するほうがおかしい。
・世の中でよいとされることはことごとくつまらない。
・つまらないことを続けるはずがない。
・人間は下らぬ方に逃げる。
・そんな自分が面白い。

すると不思議なことに、子どもも、部下も、そして自分自身さえも、その常識を覆す所業に出るようになるようです。実に摩訶不思議ですが、しかしここ十数年、周囲に起きまくるので痛感せずにいられない「奇跡」です。こうした奇跡が立て続けに起きることになる「魔法」の正体が、これのようです。

私がツイッターで繰り返しお伝えしているのが、まさにこれです。この秘訣がつかめれば、非常に多くの人たちがハッピーになるのでは?と感じています。

それにしても、この秘訣に至る道を切り開いたソクラテスという男は、本当になんという人間なんでしょうか。驚くやら呆れるやら。

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