東晋平/HIGASHI SHINPEI

文筆家・編集者 WRITER&EDITOR /ライター×編集者×研究者が案件…

東晋平/HIGASHI SHINPEI

文筆家・編集者 WRITER&EDITOR /ライター×編集者×研究者が案件ごとに協働する新しいユニット「BUNBOU」に所属しています。https://www.bunbou.org/

マガジン

記事一覧

『蓮の暗号』4月28日発売

 『蓮の暗号 〈法華〉から眺める日本文化』が美術専門出版社のアートダイバーから4月28日に発売されます。  昨年7月から半年間、BUNBOUのnoteに連載したものを、大幅に…

新刊のお知らせ

拙著『蓮の暗号 〈法華〉から眺める日本文化』が、2022年4月中旬に美術専門出版社であるアートダイバーから刊行されます。 これは籍を置くBUNBOUのnoteで2021年7月から12…

アキラ・タカウエさんの写真

 その日が個展最終日という夕方、私は銀座のギャラリーでモノクロの写真を前に奇妙な興奮を味わっていた。  並んでいるのは、橋梁や高層ビル、街のランドスケープを撮っ…

「生も歓喜」そして「死も歓喜」

劇団四季『ラ・アルプ』2009年1月号所収  若さには無上の美しさがある。けれど、私たちは「若さ」のみに過剰な価値を置く、哲学なき消費社会に踊らされてきたのではない…

給餌係のサラダ

 外出自粛の巣ごもり生活が1年以上も続いている。  ストレスのひとつは、やはり今までのような感覚で外食ができないこと。気の置けない人たちと、ときには外で食事をしな…

心理的安全性と「對事不對人」

久しぶりのnoteである。丸3カ月ぶり。 先週、書評の仕事でハーバード・ビジネススクール教授、Amy C.Edomondsonの邦訳最新刊『恐れのない組織』を読んだ。 組織/チームに…

2020年の私的ベストあれこれ

天皇の即位を終え、五輪イヤーのどこか浮かれた気分で迎えた2020年。 想定外のパンデミックに塗りつぶされ、季節を感じる余裕もないまま気がつくと大晦日になろうとしてい…

「Uncertain」展

東京・谷中にあるギャラリーSCAI THE BATHHOUSEで、宮島達男さんの個展「Uncertain」が7日からはじまった(12月12日まで)。 生命体のような動きをする特殊なプログラミン…

宮島達男『芸術論』を読む

編集者によるレビュー2020年は、さながら〝宮島達男Year〟である。 この秋、森美術館STARS展(-2021/1/3)、千葉市美術館(-12/13)、SCAI THE BATHHOUSE(11/7-12/12)、S…

友情化する社会

アイデンティティの越境。 リリックに一貫する励ましの哲学。 シンプルかつ混淆的なサウンドの心地よさ。 都会的に洗練されながらも喚起される自然との一体感。 2001年に登…

チーフ

以下は本来2008年に書いた文章なのだが、あらためてここに留めておこうと思う。 その年は、私の中でも多くの記憶の重なる年となった。 同級生より2年遅れて大学生になって…

彼の本

先日、思い立ったように本棚の整理をして、どうにも行き場のなくなった数冊をメルカリに出した。 どういうわけか、10分も経たないうちに最初の2冊が立て続けに売れ、結局、…

「微笑みの国」の智慧

ほんの数年前まで、私の周囲では「タイ料理なんて一度も食べたことがない」という人が圧倒的に多かった。 それが、わずかのうちにスーパーにもあたりまえのようにタイの食…

スキャンダルとナショナリズム

芸能人の情事をめぐる「スキャンダル」が騒がれるたびに、いつもいささかの違和感がつきまとう。 夫婦関係のどこかに綻びが生じ、仮に配偶者以外の人間と親密な関係になっ…

ヘミングウェイの島

海の上をどこまでもハイウェイが続いている。 映画で見たのかコマーシャルで見たのか定かでないが、その同じ光景が自分の目の前にある。 マイアミの北隣、フォートローダ…

旅先の読書

旅の記憶とはどういうものなのだろうか。 どこかに旅をする。 そこで見た風景。出会った人々。食べたもの。起きたハプニング。 記憶というのは資料室の棚のように時系列に…

『蓮の暗号』4月28日発売

 『蓮の暗号 〈法華〉から眺める日本文化』が美術専門出版社のアートダイバーから4月28日に発売されます。  昨年7月から半年間、BUNBOUのnoteに連載したものを、大幅に改稿、加筆しました。  日本文化の底流にある「法華」というものに光を当ててみたいという思いを抱いたのは東日本大震災のあった2011年。とはいえアカデミアの外にいる者にとって山が大き過ぎ、丸々10年かかりました。  COVID-19で世界が閉ざされていなければ、それでも手をつけられていなかったでしょう。

新刊のお知らせ

拙著『蓮の暗号 〈法華〉から眺める日本文化』が、2022年4月中旬に美術専門出版社であるアートダイバーから刊行されます。 これは籍を置くBUNBOUのnoteで2021年7月から12月まで25回にわたって連載した「蓮の暗号」を全面的に改稿し加筆したものです。 なお書籍関連情報は、専用ツイッターアカウントからも発信していきます。

アキラ・タカウエさんの写真

 その日が個展最終日という夕方、私は銀座のギャラリーでモノクロの写真を前に奇妙な興奮を味わっていた。  並んでいるのは、橋梁や高層ビル、街のランドスケープを撮った画面ばかり。空の濃い空間を切り取っていくヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルの外壁の曲線。複雑に組み合わさった鉄骨と、そこに打たれた鋲まで見えるかのようなシドニーの橋梁。  作品に食い入るような視線を注ぎながら、心拍数が上がっていく感覚があった。  そこには、「自分がこういうふうに構造物を見てみたい」という

「生も歓喜」そして「死も歓喜」

劇団四季『ラ・アルプ』2009年1月号所収  若さには無上の美しさがある。けれど、私たちは「若さ」のみに過剰な価値を置く、哲学なき消費社会に踊らされてきたのではないかと思い知りつつある。  いのちには生老病死という四季があるにもかかわらず、老いや病はあたかも価値のないものであるかのように見下げられ、なによりも死は「単なる生の終焉」「生を断絶する忌まわしい闇」として、久しく思念の外に遠ざけられてきた。  もしも若いいのちにとって自身の行く先が侮蔑や嫌悪の対象でしかないのな

給餌係のサラダ

 外出自粛の巣ごもり生活が1年以上も続いている。  ストレスのひとつは、やはり今までのような感覚で外食ができないこと。気の置けない人たちと、ときには外で食事をしながらお喋りできる時間が、いかにかけがえのないものであったか。誰かと親しさを深めるときに、飲食というものがどれほど不可欠なものであったか。  そういうことをかみしめている。  BUNBOUの〝給餌係〟である私は、週に何食か食事の用意をせねばならない。毎回、一定の予算範囲で献立を考えるし、それほど調理に長い時間をかけら

心理的安全性と「對事不對人」

久しぶりのnoteである。丸3カ月ぶり。 先週、書評の仕事でハーバード・ビジネススクール教授、Amy C.Edomondsonの邦訳最新刊『恐れのない組織』を読んだ。 組織/チームにとって「心理的安全性」というものが、いかに重大な影響をもたらすかについて書かれたものだ。 ふだん、ビジネス書の類を自分から読むことはあまりないので新鮮だった。 心理的安全性とは、大まかに言えば「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」のことだ。 従業員が、自分の意見

2020年の私的ベストあれこれ

天皇の即位を終え、五輪イヤーのどこか浮かれた気分で迎えた2020年。 想定外のパンデミックに塗りつぶされ、季節を感じる余裕もないまま気がつくと大晦日になろうとしている。 これほど人と会わないで過ごした年はなかったのだが、それにもかかわらず常に得体の知れない忙しなさに背中を押されていた気もする。 あまりにも1年が短かかったように感じるのは、そうした不安定な環境のなせるところでもあるのだろう。 そんな1年の備忘録として、印象に残った本や映画などをいくつか留めておこうと思う。

「Uncertain」展

東京・谷中にあるギャラリーSCAI THE BATHHOUSEで、宮島達男さんの個展「Uncertain」が7日からはじまった(12月12日まで)。 生命体のような動きをする特殊なプログラミングと電子回路を構築した「IKEGAMI Model」(2012年発表)、あるいは香港の超高層ビルのファサードを数字が異なるスピードで流れ落ちる光のインスタレーション「Time Waterfall」(2017年)など、生命の流動性および予測不可能性そのものを取り入れた近年の作品群は、本展

宮島達男『芸術論』を読む

編集者によるレビュー2020年は、さながら〝宮島達男Year〟である。 この秋、森美術館STARS展(-2021/1/3)、千葉市美術館(-12/13)、SCAI THE BATHHOUSE(11/7-12/12)、SCAI PARK(11/7、12、13、14)の4カ所で、宮島達男の展覧会が同時開催される。 森美術館もSCAI THE BATHHOUSEも、本来はもっと早くに開催されて秋には終わっているはずだった。それが新型コロナの影響で順延となり、結果的に東京と千葉の計

友情化する社会

アイデンティティの越境。 リリックに一貫する励ましの哲学。 シンプルかつ混淆的なサウンドの心地よさ。 都会的に洗練されながらも喚起される自然との一体感。 2001年に登場したDef Techは、あらゆる意味で新しい世紀の到来を体現するものだった。 その新鮮さは、いまも変わらない。 しかし、彼らの唯一無二さ。 それはMicroとShenの2人が醸し出す、新しい関係性ではないかと、今さらながら思う。 そこではあきらかに、前世紀的な古い「友情」のニュアンスが上書きされている。 じ

チーフ

以下は本来2008年に書いた文章なのだが、あらためてここに留めておこうと思う。 その年は、私の中でも多くの記憶の重なる年となった。 同級生より2年遅れて大学生になっていた私は、この年の春から出版社でアルバイトをはじめ、生まれて初めて仕事としての記事を雑誌に書いた。 夏には同い年の親友2人が私の郷里・神戸で開催されたユニバーシアード大会にサッカーの日本代表として出場し、私の家族たちは嬉しい興奮に包まれていた。 その渦中には幼なじみで学校の後輩でもあったM君が急逝した。 甲子

彼の本

先日、思い立ったように本棚の整理をして、どうにも行き場のなくなった数冊をメルカリに出した。 どういうわけか、10分も経たないうちに最初の2冊が立て続けに売れ、結局、翌日までには出したすべてが新しい持ち主のもとに旅立つことになった。 すっかり気をよくした私は、前から目をつけていた古いタイ食器のいくつかを、貯まったポイントで買った。 おかげで今度は食器棚の整理をしなければならなくなった。 本棚から溢れた本は、姿を変えて食器棚に収まったわけである。 本棚を眺めながら、「本は人に

「微笑みの国」の智慧

ほんの数年前まで、私の周囲では「タイ料理なんて一度も食べたことがない」という人が圧倒的に多かった。 それが、わずかのうちにスーパーにもあたりまえのようにタイの食材が並び、コンビニに行くとパクチー風味の新商品がある。 タイ人が鮨を覚えたのに少し遅れて、どうやら日本人もタイフードに目覚めはじめた。 タイは北に中国、西にインド、東にベトナム、南にマレーシアという、異質な文明の十字路にある。 それらのエッセンスを巧みに取り込みながら、ローカルの食と宮廷料理を調和させたタイ料理は、タ

スキャンダルとナショナリズム

芸能人の情事をめぐる「スキャンダル」が騒がれるたびに、いつもいささかの違和感がつきまとう。 夫婦関係のどこかに綻びが生じ、仮に配偶者以外の人間と親密な関係になったとしても、基本的にそれはどこまでも個人のプライベートなことがらであろう。 一般論として「不倫」「不貞」が道徳的とは見なされないものの、そこに至る背景は千差万別だ。 その理由が、性依存症のような病的な性癖によるものなのか、夫婦間の何らかの事情に起因するのか、その他の何かなのか、第三者には知る由もない。 大人の当事者間

ヘミングウェイの島

海の上をどこまでもハイウェイが続いている。 映画で見たのかコマーシャルで見たのか定かでないが、その同じ光景が自分の目の前にある。 マイアミの北隣、フォートローダデールでレンタカーを借り、フロリダ半島の先からキーズ諸島の島づたいに全米最南端のキーウエストに向った。 マイアミが全米でも最も治安の悪い都市のひとつに数えられていた時期。 車を手配してくれた沿岸警備隊勤務の友人は、出発前、レンタカーであることを示すマークを隠すために、車体に大きめのステッカーを貼ってくれた。 なぜレ

旅先の読書

旅の記憶とはどういうものなのだろうか。 どこかに旅をする。 そこで見た風景。出会った人々。食べたもの。起きたハプニング。 記憶というのは資料室の棚のように時系列に整理整頓されているものではなく、脳内の電気信号が日々につながり直しながら再生されていくものらしい。 30年以上も前にマンハッタンの路上で食べたホットドッグの味や香りは覚えていても(覚えているような気がしても)、半年前の出張で食べた美味しいものの記憶が、もはや曖昧なものになっていたりする。 パソコンの写真フォルダ