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「Uncertain」展

東京・谷中にあるギャラリーSCAI THE BATHHOUSEで、宮島達男さんの個展「Uncertain」が7日からはじまった(12月12日まで)。

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生命体のような動きをする特殊なプログラミングと電子回路を構築した「IKEGAMI Model」(2012年発表)、あるいは香港の超高層ビルのファサードを数字が異なるスピードで流れ落ちる光のインスタレーション「Time Waterfall」(2017年)など、生命の流動性および予測不可能性そのものを取り入れた近年の作品群は、本展「Uncertain」において、表現形式および実践についての新たな展開を迎え、大きな飛躍を遂げています。(ギャラリーサイト)

個展のタイトルが示すとおり、今回のテーマは〝不確実性〟。
どのような経緯でこのテーマを選んだのかと宮島さんに聞くと、これは以前から決めていたもので、やはり大きなきっかけは東日本大震災であり、その後も毎年のように続く自然災害だという。

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壁に据えられた大小の数字。よく見ると壁際の床に、子どもの頃に駄菓子屋で見たような小さな箱が置かれている。
なかには、0から9までの数字が刻まれた奇妙な多面体のサイコロが入っている。

「どうぞ振ってみてください」と宮島さんに勧められて、「8」の作品にあったサイコロを私が振ると「6」が出た。
壁面のセグメントを〝人力〟で着け外しする仕掛けを見せてもらって、そういえば宮島さんは大工の息子なのだったと思い出した。

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素材は何なのですかと聞くと、「キャンバスなんです」。
立体造形に見えるが、これは〈Painting of Change〉と題された〝絵画〟シリーズである。
「不変」であることを追求する西洋絵画の歴史に対し、宮島さんはサイコロの目という偶然性に委ねて絵画の土台そのものから「可変」にすることを試みた。

私たちの生命は、絶え間なく「分解」と「合成」をくりかえす現象そのものである。
私たちは何かを食べ続けずには生存できないが、それは他の生命を分解して合成し直す営みである。
じつはそのようにして、37億年間の「分解」と「合成」の食物連鎖の流れのなかに、今この瞬間の私たちの生命の平衡が保たれている。

ここにすでに、宮島さんの「三つのコンセプト」

それは、変化し続ける
それは、あらゆるものと関係を結ぶ
それは、永遠に続く

が、私やあなたの存在のうえにも体現されていることに気づくだろう。

「不確実性」は、生命にとって常に災厄であると同時に、最大の福音でもある。
環境との関係の不安定こそが、生命に進化を要請する。
生命自身が内在している可能性という意味の「不確実性」は、生存を脅かす外なる「不確実性」を縁として発動する。

生命は本来、サイコロがどう転がるかわからないような環境のなかで、しかも個体としては秩序の崩壊へ向かう「エントロピー増大の法則」に抗しながら存在している。

サスティナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる。
このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。
サスティナブルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずかながら変化し続けている。(福岡伸一『新版 動的平衡』)

700年前の14世紀、ヨーロッパは黒死病に覆われ「死を記憶せよ(メメント・モリ)」が芸術の分野にもあらわれた。
1260年に執筆された日蓮の立正安国論の冒頭は、3年前に起きた正嘉の大地震で死屍累々となった鎌倉の惨状の描写からはじまっている。
国家も都市も制度も人の命も不確実性に満ちていることを確認したうえで、その現実社会をどう変革し、人間の幸福を創造していくのかという議論を提起した。

日本のメンタリティには、『平家物語』や『徒然草』のように「無常」という不確実性を諦観視する習性がある。
しかし、宮島さんは『芸術論』のなかでもこの「諸行無常」の解釈に触れ、

とかく無意識にものごとを静的に、固定的にとらえがちなところを、動的に見ていく。一様性の奥に多様性を見る。

と、まったく別の視点を示している。
きのうまでの安定を揺るがし、明日が見定めにくい「不確実性」は、私たちにとって往々にして〝災厄〟として立ち現れる。
けれども、「不確実性」は生命が本来もっている律動であり、自在性であり創造性そのものでもある。

サイコロの目に従って数字を構成するセグメントが取り外されても、それは消えるのではなく整然と床に置かれている。
0が出て、壁からすべてのセグメントが外されても、それらは1つも欠けることなく床に並べられ、次のサイコロの目に従って、また何らかの形になる。

電気信号によって変化するLED作品や光のインスタレーションよりも、さらに本質的な領域に入るかのような「Uncertain」展であった。

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