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彼の本

先日、思い立ったように本棚の整理をして、どうにも行き場のなくなった数冊をメルカリに出した。
どういうわけか、10分も経たないうちに最初の2冊が立て続けに売れ、結局、翌日までには出したすべてが新しい持ち主のもとに旅立つことになった。

すっかり気をよくした私は、前から目をつけていた古いタイ食器のいくつかを、貯まったポイントで買った。
おかげで今度は食器棚の整理をしなければならなくなった。
本棚から溢れた本は、姿を変えて食器棚に収まったわけである。

本棚を眺めながら、「本は人に似ている」と思う。
仕事の都合でどうしても置いてある本。
そこに背表紙が見えているだけで、励まされる本。
難解で手が付けられないまま鎮座している本。
行き詰まった時に開くと、なにがしかの光を与えてくれる本。
出会った時の興奮が今でも忘れられない本。
見ているだけ触れているだけで、幸せを感じられる本。

理由があって書名は記さない。とても大切にしている本がある。
それは、ある学生が持ってきてくれた。
今でも鮮明に覚えている。彼がその本を持って、夜更けにわざわざ車を飛ばしてきた時の光景を。

彼はさりげなく、一冊の本を鞄から出し、本屋がつけていたカバーを外した。
口にこそせずとも、私に読みたければ読めと言いたいことはわかった。
手ざわりのよい表紙の紙質と飾り気のない清潔な装丁。
そっと開くと真新しい紙とインクのいい香りがした。
夜通し喋ったあと、彼はその本を私の本棚にポンと放り込んで帰った。

それからもときどき学生は顔を見せた。
私は、さもわかったような態度で、彼が置いていった本についても批評めいたことを口にした。
毎回、彼は黙って聞いていた。

彼が、私の前から姿を消したのは、それから2年ほど経った頃である。

本は人に似ている。
その時は「読めた」ような気がしても、じつはまったく読めていないことが往々にしてある。
その頃の私は、書物をなめていたというか、軽々に扱っていたのだろうと思う。
私は、彼がその本を自分にくれたのか、ただ単に預けていったのかも確かめられないまま、幾度となくそのページを開いた。

ところが、読もうとすればするほど、まるで私を拒むように、その本は遠のいていくようになった。
分かったつもりで読んでいた箇所が、翌日には分からなくなるのだ。
親しくなろうと近づくのに、馴らされることを拒む小さな獣のように、すっと離れる。

人と一緒で、本にも相性や、馬が合う合わないというものはある。
それでいうと、相性は悪くない。なにより、私はその本のたたずまいを愛していたし、歳月が経った今も美しさを感じている。
本棚のなかに背表紙が見えているだけで、その周辺が光って見える。
そこにあるだけで美しい。
しかし、あいかわらず読もうとすると難解さばかりがつのって手に余る。
何度読んでも、こちらが分かったような気になると、身をひるがえすように私から遠のいていく。

それは文字どおり「格闘」だったのかもしれない。
ようやく面白みが分かりかけてきたというか、相手がまるで私という読み手を受け入れてくれるかのようになったのは、ほんの最近のことだ。

本は人に似ている。
いや、実際は人というものが本に似ているのかもしれない。

何度も自分には無理なのかと思ったが、諦めずに手放さず大切にしてきてよかったと思った。
そして、彼が自分の大事な本を貸したのでも預けたのでもなく、あの日、私にくれたのだということを、今はなぜか信じられるのである。
きっと、最期まで私はこの本を座右に置き続けるだろう。
会えなくなって久しい彼のことも、なぜか今のほうが四六時中近くに親しく感じられる。

気がつくと、あの夏の日の真夜中に、彼が本を届けてくれて10年になった。
もし、彼がこの文章をどこかで目にしてくれたら、私は心から感謝を伝えたい。

10年前のあの日、大切な本を私の本棚に置いていってくれたことに。

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