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逃げてもいい、という選択肢

逃げちゃダメだと思っていた。

大学二年の秋、私は追い込まれていた。
所属していた演劇サークルで舞台美術を担当していた私は、一年のときは「舞台美術補佐」だったが、二年になると「補佐」が取れ、部門の責任者になった。その年の年末の本公演は、お世話になった大好きな先輩が演出を務めるもので、私は張り切っていた。
しかし、鼻っ柱を折るような出来事に襲われた。最初の会議で演出から出された舞台美術案は、「舞台を円形にしてカーブしたスロープをつける」「天井からカーテンを吊るして動かせるようにする」「舞台とカーテンは木漏れ日のようなまだら模様に染める」というものだった。

意味が分からない。できるかそんなもん。舞台美術、三人しかいないんだぞ。予算、十万だぞ。

私は、これどうやって作るんだろう、と思いながら、とりあえず木材を発注し、とりあえず白い布を買った。大量に。
早く進めないといけないのに、作業は遅々として進まなかった。そりゃそうだ。責任者の私が、設計図も書けないし布の染め方も見当がつかないのだから。
私はだんだん追い詰められていった。早く進めなきゃ。でもどうやって?時間だけが過ぎていった。夜眠れなくなった。何をしていてもサークルのことが頭に浮かび、じくじくと心を苛まれた。

「辞めちゃえば?」と、言ったのは恋人だった。たかがサークルでそんなに精神すり減らすことないよ、辞めなよ、と。
私はとんでもない、と思った。私がやらなきゃいけない仕事なのに、途中で投げ出すなんてありえない、と。

でも結局、私はサークルを辞めた。本公演直前の十二月だった。私がいなくても、公演は無事に終わったらしかった。辞めてもちっとも楽にはならず、生きる意味を見失い、ホームに入ってくる電車を見ると飛び込みたい衝動に駆られた。
いま思えば、もっと早く辞めればよかったのだと思う。それか、最初の会議の時点で、「そんな仕事は私には無理です」と言うべきだった。
でも、行動に移すのは遅かったけれど、「つらかったら辞めればいい」という、私の頭の中にまったくなかった考えをくれたのは恋人だった。

サークルを辞めた大学二年の後期、私は学校の授業に出られなくなり、それまで一度も落としたことのなかった単位をぼろぼろと落とした。サボろうと思っていたわけではない。家を出て電車に乗って大学に着いても、どうしても、教室に入れなかった。図書館でぼんやりして過ごしていた。レポートさえ出せば単位が来た授業もあっただろうが、レポートを書こうということすら思いつかなかった。

進級はできたが、三年生の四月になっても私は大学に行けなかった。親の判断で一年休学することになり、近所の精神科に通った。
つまり私は、サークルから逃げても、大学から逃げるという判断は自分ではできなかったわけだ。「逃げる」コマンドを使うのに慣れていなかった。学校に行くことも、サークルの仕事をすることも「当たり前」で、そこから離れて生きていくなんて考えられなかった。

一年の休学ののち、復学した私は大学三年生になり、就活を始めた。でも、おそらくすぐに音を上げたのだろう。大学三年の二月、就活を始めたばかりの頃の手帳に、恋人に言われたこんな言葉が残っている。

「明日のために今日を犠牲にしすぎない方がいいよ。就活って、幸せになるためにやるものだと思うよ。君が苦しくてつらいなら、それは就活の方が悪いよ。君は悪くない」

その後、何かにつけ「就活やめろ星人」になる彼に抵抗しつつ、私は大学四年の八月末(先月)まで就活を続けた。二十社くらい受けたが、一個も内定は出なかった。
そして、やめた。きっかけはやはり、彼の言葉だった。

「死ぬ気でやるか、やめるかの二択だよ。まだ就活続けてる他の人は、みんな本気だから」

死ぬ気のなかった私は、すっぱりと就活をやめた。エージェントサービスを解約し、就活サイトのメルマガを解除した。
最初は「来年無職」ということへの不安でいっぱいだった。大学を浪人することもなく生きてきて、来年行くところがないなんて事態にいままでなったことがなかった。

でも、いまでは来年が楽しみで仕方がない。やりたいことを見つけたからだ。
それは、声優養成所に通うこと。私は声優オタクで、推し(一番好きな人)の声優の活躍を見るたびに、「私もやってみたい、こんなふうに人前で堂々と喋ったり歌ったりできるようになりたい」と思っていた。私は昔から引っ込み思案で、クラスやゼミで発表するだけでも声が震え、顔が真っ赤になった。だから、自分とは正反対に見える、かっこいい声優さんたちに憧れた。
推しの声優が所属している事務所の養成所の基礎コースは、いままでバイトで貯めたお金でなんとか払える額だった。恋人も、「草野球と同じでしょ?いいんじゃない」と背中を押してくれた。
来年は、なにに時間とお金を使うか全部自分で決められる。勉強したいことだけ思いっきり勉強できる。そう思ったら、すごく自由になった気がした。人生で初めて得る、自由。

自分ひとりではきっと、就活をやめるなんて決意はできなかったと思う。秋になっても冬になっても続けて、どこも受からず、いつまでも精神を削られていただろう。
だから、「やめてもいい」「逃げてもいい」という、私の戦闘コマンドにはそもそも存在していなかった選択肢を与えてくれた彼に感謝している。おかげで、私は本当に精神を壊す前に、壊れかけくらいの状態でサークルから逃げられたし、また壊れかけになる前に就活をやめ、来年のことを楽しく考える自由を得た。


人の視野は狭い。ひとつのことで頭がいっぱいになっていると、傍から見たらどう考えても逃げた方がいいことから、逃げるという選択肢すら思いつかないことがままある。きっとそうやって、仕事や育児で心を病む人がたくさん生まれているのだ。場合によっては、自殺する人も。

就活は失敗したけれど、来年をあとから振り返って、「あのとき就活失敗してよかったな」「あの一年があってよかったな」と思える年にしたいと思っている。きっとそうなるだろう。夢を追って、たとえ破れてもその経験は無駄にはならない。人に話したら笑われるような夢を、全力で追いかける一年にしてやろう。「手のかからないいい子」から、「バカな放蕩娘」になってやろう。
これは、その決意を表明する文である。

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