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「無駄な語彙」?

私はいま怒っているので、気分を害したくない方は以下読まざるが吉。

昨日の夜、私は鬱であった。なぜなら夜だからだ。
夫に食わせてもらっているばかりか、自分のお小遣いにも足りない額のアルバイトしかできていない私は、「私なんか穀潰しだ」と呻いた。

それを聞いた夫は笑った。なぜ笑うのかと問えば、「『穀潰し』なんて20代の子から出てくる言葉じゃないよ」と言う。
そう言われるのは慣れている。幼い頃から本を読むのがとにかく好きだったことと、年上ばかりの家族に囲まれて育ったせいで、私は年齢に不相応かつ文語的な語彙で喋っているらしい。
小中学生の頃は、「シノちゃんなに言ってるかわかんない」「その言葉、なに?」と友達に言われてばかりだった。

しかし、夫の次の言葉は予想外だった。

「そういう無駄な語彙がいっぱいあるせいで苦しいんじゃないの」
「もっとバカになった方が生きるの楽だよ」

耳を疑った。無駄な語彙。無駄な語彙?

私は自分の語彙が豊かであることを誇りに思っている。言葉で表現をするにあたって、使える絵の具の色が多いに越したことはないと思うからだ。
たくさん言葉を知っている方が、より正確に自分の気持ちを伝えたり、見聞きしたことを書き留めたりできる。言い表したい感情や雰囲気にぴったりな言葉が自分の中から出てくると、得も言われぬ快感を覚える。

それが、無駄な語彙。バカになれ。
自分の最も重要なアイデンティティを否定された気がした。

お絵かきもゲームもカラオケもギターも好きだけれど、一番自分の根幹をなしている趣味は、読書と文章を書くこと、つまり「言葉」だと思っている。
noteでもTwitterでも日記でもなんでもいい。自分の考えを言葉にして吐き出さないと私は生きていけない。趣味の域を超えている。病気かもしれないと思うほどだ。

夫の言いたいことはわかる。豊富な語彙を、自分を傷つける道具にするのはやめろという意味だろう。それは人よりも威力の強い武器を、人よりも正確に急所に撃ち込んでいることになるからだ。

でも、言い方というものがあるだろう。
後生大事に育ててきた「語彙力」という自分の誇りを、全否定されたように感じた。そんなものあってもなんの役にも立たないと。あるだけ無駄だしむしろ邪魔だと。捨てちまえ、と。
私はこの言葉を許すことができない。

以前にも、夫に私の文章を否定されたことがあった。
趣味で作っている二次創作小説の同人誌を、たまには人に校正してもらってから印刷しようと思い、初めて夫に読ませた。
読んだ夫の第一声は、
「二次創作ってこんなもんでいいんだな」
である。

下手なりに懸命に、そして楽しく書いた文章を、「こんなもん」の一言で括られた私は、こんな人間に自分の宝物を読ませたことを後悔した。もう二度と読ませまい、と決意した。

文章が、言葉が、どれだけ私にとって大切なものであるかを、おそらく夫は理解できていない。
私は言葉を愛している。大切に扱っているつもりだ。それ故に、他人の乱暴な言葉によって深く傷つく。いまのように。

だから、言葉に無頓着で、不正確な言い回しをして誤解を招く夫とは大小様々な喧嘩をしている。

昨日の言葉を許すかどうかは、今日(もしくは明日。私は夫の帰りを待たずに早く寝るつもりだから)の夫に懸かっているわけだが、いまのところ許す気は微塵もない。

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