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篠村友輝哉/YukiyaShinomura
2023年5月13日 15:22
二〇一四年から二〇一九年まで、毎年一度、幸運な年には二度、ピアニストのジャン=クロード・ペヌティエの生演奏を聴けたことは、私の生にとって、最も大きな救いのひとつだった。あの大きくはないが厚い手のひらのぬくもりに包まれたような音。圧倒的な内省が音楽に与える、実際の静寂以上の静寂。孤独への深い理解に比例した、何者をも問い詰めない大きな優しさ。演目や会場などによって、受ける感銘の深さや種類に差はあれど
2022年6月18日 10:24
ピアニストは、その長い銀髪に暖色の照明を反射させながら椅子に座ると、会場の響きを確かめるように、ニ短調の主和音をそっと、ペダルをかけた軽やかなアルペッジョで弾いた。眼鏡をかけた白髪のヴァイオリニストは、そのアルペッジョがたんに音としてではなく、すでに音楽を含んでいるかのように美しく広がったからか、和音のAの音に合わせて調弦することなく、ただその余韻に耳を澄ませ、ピアニストに合図だけを送った。
2021年8月26日 21:45
「君より弾ける人、基本的なことができている人はたくさんいるよ。中身はどうだか知らないけど」 大学入学前、厳しい恩師にお世話になったお礼のあいさつに伺ったときに、そう言われた。 自分のできる限りの範囲で、自分の好きな音楽をやろう。そう思って入学した。注目されたいという気持ちは一切なかった。要するに野心がなかった。野心を抱くだけの力がそもそも自分にはないのだからという、若さに似合わぬ諦めもあった。
2021年5月12日 17:06
ピアニストのメナヘム・プレスラーの実演は、彼が93歳のとき、2017年10月16日にサントリーホールで開いたリサイタルを聴いたのみだが、その音楽の根底に息づいていた瑞々しい明るさは、今でも折々思い出している。 大分時間が経ってしまっていて、当時もごく短いメモしか残していなかったので、当時感じた通りに精確に述べることは難しいが、とりわけ、前半が素晴らしかった。彼の芸風のためには会場が広すぎるとも
2019年12月19日 10:40
ヴァレリー・アファナシエフの演奏は、好むと好まざるとに関わらず、聴き手のなかに大きな問いとなって残る。11月25日のリサイタル(紀尾井ホール)を聴いた。 最初のハイドンのソナタ第20番ハ短調が弾き出された瞬間から、悲しみを歌うためだけに存在しているかのような音に引き込まれた。ペダリングやテンポ感をはじめ、一般に想像される古典的な演奏とはやはり全く違うが、音に透明で冷たい艶を纏わせ、ハイドンの音