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学費を支えてくれたおじいちゃんへ。葬儀に参列できなかったからこそ工夫を凝らした「孫の恩返し」

話者:お孫さんの里奈さん(20代)

「学費を支えてくれたおじいちゃん。あられ屋の二代目を全うした人生。」

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真面目で働き者という言葉がピッタリの人でした。

朝早く起きて、家の前の落ち葉を掃いて、水回りを掃除して、お店を開店して...。
そういったことを毎日しっかりと繰り返せる人でした。
あられ屋さんをやっていたということもあり、黙々と仕事をする職人気質の人でした。

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それに対して、
おばあちゃんは真逆の性格で、社交的で近所付き合いが好きな人でした。
なので、おじいちゃんはいつもおばあちゃんにリードされていました。
そういう意味では、お互いを尊重し合うお似合いの夫婦でしたね。

大好きだったカラオケも、もともとはおばあちゃんが「どうせやるなら上手くならないと面白くない。」と言い、プロの人とのレッスンを組んでくれたりグイグイとリードしてくれたから、どんどん好きになっていったそうです。

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寡黙なおじいちゃんは、私達への愛情を行動で示してくれる人でもありました。
後から知ったのですが、
私の大学進学が決まったときも、学費に関して家族会議が極秘で行われていたそうです。
「我が家から学費を捻出するのは厳しいんじゃないか。」と。
でもその時に、学費をすべて支払うと自ら言ってくれたのはおじいちゃんだったそうです。

今でも本当に感謝してます。

しかもその話も、大学卒業するくらいにおばあちゃんから聞かされました。
ずっと黙って学費を出していてくれたそうで、
4年間、あられ屋さんでの賃金はほぼ無給だったそうです。

シャイで無口だったけど...行動で愛情を示してくれるおじいちゃん、大好きでした。


大好きだったおじいちゃんの「幸せな終り方。」

おじいちゃんの最期は、
幸せな終り方だったそうです。


亡くなった日も、いつも通りの日常でした。
朝早く起きて、几帳面に掃き掃除や水回りの掃除を行って...とおじいちゃんらしい一日の始まり方だったそうです。

ふと、心臓が痛むと言い出し、おばあちゃんに背中を擦ってもらいました。
早めに寝る準備をしようと、お風呂に向かった矢先、浴室からすごい音が聞こえて。向かうとおじいちゃんが倒れていました。救急車を呼んだんですけどそのまま帰らぬ人になりました。

もちろん突然のことで戸惑いましたが、
92歳で大往生でしたし、闘病や介護も全く無かったので、みんな口を揃えて「幸せな終り方だった。」と言っていましたね。

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海外留学で葬儀に立ち会えなかった。
大好きだったおじいちゃんに贈るわたしの追悼。

亡くなった時、私は留学でヨーロッパにいました。
帰国も考えたのですが、コロナ禍ということもあり参列はしませんでした。

葬儀には実際に行けなかったのですが、中継でお清めの場と繋げてもらいました。

参列した皆さんに挨拶したり、
思い出の写真を一緒に見たり、
棺の写真を見せてもらったりと。
場所は離れていても、おじいちゃんを送り出すことは出来たかなと思います。

ただやはりずっと、
おじいちゃんと面と向かって挨拶できなかったことへの後ろめたさと、
「おばあちゃん大丈夫かな。」ということへの心配は、正直ありました。


そこで、
半年ほど経った頃に、みんなでおじいちゃんのことを振り返ったり、会話したりするきっかけにと、色々な人から思い出を集めてみようとおもいました。

おじいちゃんとの思い出を集めて、
おじいちゃんのことを思い返して、知らなかった一面をもっと知って、家族で会話して。
そうすることで、おじいちゃんと向き合ってしっかり挨拶することができると思いました。

「思い出あつめ」には、
私が個別に声をかけたのですが、総勢15名ほどの方が協力してくれました。
無口なおじいちゃんでしたが、色々な人から愛されていることを実感し、嬉しい気持ちになったことを覚えています。

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集めた写真やエピソードは、メモリアルサイトの形にまとめました。
「思い出」や「好きなところ」「思い出す瞬間」などが掲載されたそのサイトは、おじいちゃんを色々な側面から描いていました。


メモリアルサイトを作って初めて知った、
おじいちゃんの意外な一面。

作ったサイトはみんなに共有しました。
もちろん、おばあちゃんにも見せました。
すごく喜んでくれたので、大変だったけど作ってよかったと心から思いました。


あと、余談なのですが、
メモリアルサイトを見ながら家族と会話していると、
「そうそう、おじいちゃんは実は抜けてるところがあってね...。」と叔母さんやお父さんがエピソードを話し出してくれました。
・無計画に旅行にいって、みんなで何時間も待ちぼうけをくらったこと。
・ハワイ旅行中、フラフラっとどこかにいって、迷子になってしまったこと。
 でも、その際に助けてもらった方と、10年近く連絡を取り続けていたということ。(真面目!)
などなど。

メモリアルサイトがきっかけで家族と会話して、
おじいちゃんの知らなかったエピソードを知ることができたので、心から良かったと思いました。

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何よりもみんな口を揃えていっていたのが、
「おじいちゃん、絶対喜ぶね。
 里奈が率先して思い出を集めて、こんなにきれいにまとめてくれたなんて知ったら。」
ということ。


寡黙だったおじいちゃん。
喜んでくれてると良いな。

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