友誼関 (我々の偉大な旅路5)
↑こちらのシリーズの続きです
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13日の木曜日の深夜、神戸を発って香港へ飛んだ私とワカナミは、深圳・広州・南寧と中国大陸の旅を続け、15日土曜日の夕方、南寧駅からベトナムへの国際列車に乗り込み、中国を後にした。香港1泊、中国広州1泊の弾丸旅程で華南の大地を走り抜けた。まだ見ぬベトナムの国へと向けて寝台列車の旅を続けた。
南寧からハノイへ抜ける中越国境には友誼関という場所がある。読んで字の如く、中国とベトナムの友好を記念して作られた関であるが、中越戦争の際にはここを超えて中国がベトナムへ攻め込んだという歴史もある。今回我々が通過するのは道路が通る友誼関ではなく、憑祥という鉄道の国境なのだが、便宜上この章のタイトルを「友誼関」にした。
中国大陸に沈む夕陽
南寧駅を出たT8701次の列車は、暮れなずむ南寧の街を西へ西へと進んでいった。我々のコンパートメントにはもう一人、ベトナム人らしき女性が反対側の上段のベッドにいるのみで、反対側の下段は空席だった。コンパートメントのテーブルにはあらかじめ水の入ったポットが用意されていた。ポットの横に南寧駅で仕入れた德克士のハンバーガーとビールを並べ、私は左側、ワカナミは右側のベッドに腰をかけ、国際列車での晩餐を始めた。
「中国の旅に干杯!」
そういうと、我々は小麦王啤酒の缶を開け、杯を交わした。これが今回の中国での最後の食事となる。中華らしさはビール以外からは感じられないが、バックパッカーにとっては些か豪勢な食事だ。ここのところ食事は中華が続いていたので、西洋食のハンバーガーは中華チェーンの味とは言え、どこか懐かしく、そして中国を忘れさせてくれる気がした。
食事をしていると車掌が回ってきた。切符を回収するらしい。特に会話もなく、黙々と我々の切符を受け取り隣のコンパートメントへと去っていった。廊下から差し込む外の光はまだ明るかった。
ビールを飲んでハンバーガーを食べたら次第に眠くなってきた。時刻はまだ午後7時で外はまだ明るかった。時折、大陸に沈みつつある夕陽が我々のコンパートメントを赤く染めた。"我々の偉大な旅路"の中で中国で見る最後の夕陽だ。寝台列車の窓から見える雄大な華南の大地に太陽が沈んでいく様は、島国ではまずお目にかかることのできない絶景であった。自分の寝台に戻り横になっているとすぐに眠りに落ちた。広州のホテルから一路西へと、今日もひたすら移動を続けた1日だった。旅はまだ始まったばかりだが疲れが徐々に溜まってきていた。
微睡から目を覚ますと時刻は19時半。陽も暮れていた。廊下から他の部屋を見渡すとほとんどの部屋が消灯しており、車内はまさに寝静まっていた。まだ早い時間だが、明日朝の到着は早い時刻ということもあり、我々のコンパートメントも消灯することにした。もう一人の乗客は既に深い眠りについているようだった。
再見、中国
2時間ほどの眠りから目を覚ますと車内が騒がしかった。何やらみんな荷物をまとめて列車を降り始めている。地図アプリで現在地を確認すると、我々は友誼関すなわち中越国境の近くにまで来ているようだった。下の寝台のワカナミも起きていた。
「降りるのかな」
「友誼関まで来たらしい。降りるか。」
そう言って荷物をまとめ始めた。車掌も車内を巡回しており「荷物を全て持って降りろ」と言っている。我々は指示通りに全ての荷物を持ち列車を降りる準備をした。もう一人の乗客は手慣れた手つきで大量の荷物をまとめていた。
寝起きの足取りで列車を降りた。列車は市街地から遠く離れているのだろうか。駅のような施設以外には灯りの見えない辺鄙な場所にぞろぞろと乗客たちが下ろされていた。辺境の地の線路脇に立つ建物へと入ると、先に降りた乗客たちが続々と出国の手続きをしていた。ここが憑祥口岸の施設のようだ。
我々はまず、地下鉄駅などでもおなじみのX線の手荷物検査を受けて、出国のレーンへと進んだ。レーンはそれほど多くないが、乗客たちは混み合うことなく流れている。我々も特に手間取ることなく出国の手続きを終え、パスポートに「【出】凭祥」のスタンプを押してもらい中国を出国した。昨日の昼に入国し、駆け足で深圳・広州・南寧と旅をしてきた中国ともこれでお別れである。滞在時間は約35時間。あっという間の中国滞在であった。
ワカナミも手続きを終えて出てきた。続いて我々は税関の手続き(と言ってもワカナミのタバコくらいしか対象になるものがないのでスムーズに終わる)をし、車掌とおぼしき列車の職員にパスポートを見せ再び列車へと戻った。
列車はしばらく停車したままだった。おそらくまだ乗客の手続きをしているのだろう。
「寝れた?」
私はワカナミに問う。
「割とぐっすり寝れたよ。3時間もなかったけど。」
「同じく。暗くなったらすぐ寝れた。」
私もワカナミも3時間という実際の時間よりも長く寝た気でいた。中国の出国手続きを終え、ベトナムへと再び動き出すまでにしばらく時間がありそうだったが、二人とも寝ようとはせず、起きて列車が動くのを待った。
時をかける我々
出国手続きから1時間ほどが経った頃、列車はゆっくりと音を立てて友誼関へ向けて動き出した。そうこうしているうちに時刻は12時を回り日付は9月16日になった。
「いま12時すぎて16日になったけど、時差あるからまた15日に戻るな」
私が気づいたことを言う。
「日付を二回またぐわけか」
中国とベトナムの時差は1時間。まもなくすると中越国境を越えてベトナムへと入る。すると時間は1時間戻り、再び15日の23時となるわけだ。
iPhoneの地図でGPSを追っていると、列車は深夜の友誼関を越えてベトナムに入ったようだ。国境を越えると列車は停止した。
「あれ、止まったね。」
「もう降りるのかな?また」
廊下を見渡してみるが、車掌は見当たらないし、下車をしている人はいないようだった。一部私と同じく様子を見るために廊下を覗いている人がいるのみだった。
「まだっぽい。」
そう言うと私は降りる準備だけをして、再び寝台に腰をかけた。おそらくベトナム入国の手続きのためにまた車外に放り出されるはずだ。我々二人は下車の時を待ち続けた。少しすると列車は再び動き始めたが、同時に爆音がけたたましく深夜の友誼関に響き渡った。
「ギギギギギ!!!」
今まで鳴っていなかった音が列車の進行に合わせてどこかから聞こえてくる。廊下を見てみると周りの乗客も数名「何事か」と窓の外を眺めていた。車掌がやってきて何かを中国語で言うと、彼らはコンパートメントへ戻っていった。私も自室へと戻った。
「何の音?」
ワカナミが問う。
「たぶん国境で牽引車が変わったんじゃないかな。中国のはそこまでうるさくなかったけど、ベトナムに入ったらうるさいのに変わっちゃったね。」
「だいぶうるさいな」
「中国の人たちもうるさがって外見にきてた」
「これベトナム入ってから寝るの難しくないか」
「正直きついな。もっと中国で寝ておけば良かったな」
しばらくすると爆音は鳴り止んだ。ただ列車が止まっただけだった。今度は入国のために下車をする地点での停車だった。車掌が声をかけながら回っている。我々も周りの人々と一緒に列車を降りた。
Xin Chào、ベトナム
ベトナムの国境施設は照明のせいもあり薄暗い印象を受けた。警官のようなベトナム人が各所に立っており、多少の物々しさを感じる。建物の中にはすでに行列ができており、壁に沿って中国やベトナムの人々が並んでいた。手元のパスポートを見ると中国人が多いようだ。我々も日本国の旅券を手に、列の最後尾へと並んだ。
列が進み入国審査を行う窓口が見えてきた。横には売店があり、お菓子などを販売しているが、通貨はドンだった。香港の重慶大厦で両替をした時、我々は中国人民元とタイバーツのみを入手し、ベトナムドンは現地で元やバーツから替えるつもりだったので手持ちのドンがなかった。特にほしいものがあるわけでもなかったので、そのまま列が流れるのを待った。
40分ほどが経過し、ついに我々の番になった。我々は別々の窓口へと進み、入国審査を受けた。ベトナム人の職員が眠そうに、しかしてきぱきと仕事をこなしていた。目的地と滞在日数を聞かれる。ハノイへ、しかし宿泊はせずにそのままラオスへと抜ける予定だと答える。特に突っ込まれることもなくスムーズに手続きは進んだ。パスポートにベトナム社会主義共和国入国のスタンプを押してもらい入国審査が終わった。入国印には汽車が描かれている。鉄路入国を示すスタンプだ。
ほどなくしてワカナミの入国手続きも終わり、我々は再び列車へと戻った。乗客も半分近くは既に戻ってそれぞれのコンパートメントへと戻っているようだった。
無事にベトナムに入国できた我々だが、国境を越えてからある懸念があった。友誼関を抜けて以降、私の携帯電話の電波が通じないのだった。香港からここに至るまで、重慶大厦で購入したタイのSIMカードを使っていた。SIMカードを購入する際、パッケージの裏側の使える国のリストを見ると、中国本土・ラオス・ミャンマーは記載されていたが、ベトナムの表記はなかった。南アジア系のSIMカード売りに「ベトナムでも使えるのか?」と問うと、彼は満面の笑みで「of course」と繰り返すだけだった。彼の言葉を信じた私がバカだった。SIMカードは中越国境を跨いだ瞬間に無用の物に成り果てた。docomoの海外ローミングで接続を試みるも、Wi-Fi環境がない状況では設定しようもなく、私のiPhoneは外界との接続を失った。
することもなく寝台で横になっていると、コンパートメントに車掌が回ってきた。乗客の人数を確認しているらしい。ワカナミの寝台を指差して、彼はどこに行ったのか?と聞いてくる。あれ?いつの間にいなくなってたんだ。
「すみません。どこにいるかわかりません」
「彼はあなたの同行者ですよね?」
「はい...。あ、多分タバコ吸いに行ったんだと思います。」
おそらくタバコを吸いに行ったのだろう。最後に会話を交わしてから数十分たっているが、これほどの長い時間を留守にするということは、トイレかタバコに違いない。昨夜のホテルで待っていた時もそうだったが、ワカナミはタバコが長い。
しばらくするとワカナミが戻ってきた。
「さっき車掌がお前探してたぞ」
「タバコ吸いに行ってたわ」
「だと思って、そう言っておいた」
日没から国境に至る深夜まで寝ていたとはいえ、まだまだ疲れの取れていない我々は列車が動き出すまでの間、ずっと横になって過ごしていた。しばらくすると列車が再び大きな音を立てて動き出した。定刻の1時55分の出発だった。ハノイへは予定通りに着きそうだ。
列車が再びハノイへと向けて動き出したことを確認したのち、ベトナムの牽引車の立てる爆音を子守唄に我々は眠りについた。
(続く)
旅程表
2018年9月15日 "我々の偉大な旅路" 2日目 南寧 〜 友誼関
午後6時 南寧駅 にて 中国鉄路 T8701次 河内嘉林 行きに乗車
午後7時15分 扶綏駅 停車
午後7時40分頃 2号車 4号室 消灯
午後10時20分頃 憑祥駅 に到着
午後10時32分 憑祥口岸 にて 中華人民共和国 出国
午後11時40分 憑祥駅 を出発
午後11時55分 隘口駅 通過
翌午前0時03分 中越国境を通過
(ここまで時刻は北京時間)
午後11時20分頃 同登駅 (Ga Đồng Đăng) 到着
午前0時頃 同登駅 にて ベトナム社会主義共和国 入国
(ここまで時刻はハノイ時間)
2018年9月16日 "我々の偉大な旅路" 3日目 友誼関 〜 ハノイ
午前1時55分 同登駅 より再びハノイに向けて出発
午前2時30分頃 就寝
(ここまで時刻はハノイ時間)
主な出費
特になし
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