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辿り着いたヴィエンチャン(我々の偉大な旅路 8-1)

↑こちらのシリーズの続きです ↑越老国境編はこちら  香港を出発し、中国本土の深圳・広州・南寧、友諠関を抜けてベトナムのハノイを経て、国境でのトラブルや長時間のバス旅を経てラオスへやってきた。東南アジアの内陸国、日本からの直行便はなく、あまりなじみのないメコンの国。国境から首都のヴィエンチャンまでは大きい町はなく、ひたすら田舎の一本道をバスに揺られて移動してきた。この国で一体我々は何を目にするのだろうか。 トゥクトゥク  バスがヴィエンチャンのバスターミナルに到着した

    • ラオス国道13号線(我々の偉大な旅路 7-5)

      ↑こちらのシリーズの続きです ↑越老国境編(7-4)はこちらから 不穏  国境のチェックポイントを発って、バスは山道をくだりながらメコンの流れる方角へと動き出した。ヴィエンチャンに着くのは何時になるのかわからないが、とりあえずヴィエンチャンまで辿り着くことはできそうだ。  安堵していたのも束の間。バスは国境から30分ほど走って麓の街に差し掛かったところで、しばらく停車してしまった。民家がまばらに見える集落に入った直後、バスはガレージのようなところへ入っていき、そのまま

      • 置き去りにされた国境(我々の偉大な旅路 7-4)

        ↑こちらのシリーズの続きです ↑越老国境編(7-3)はこちらから 取り残された可能性 「バス来ないな。置いてかれたりしてね」 笑いながらワカナミと会話をしていると、日本人男性氏が真剣な顔でこちらに向かってきた。 「ベトナム人の乗客がいなくなったみたいです。外国人だけ残されてるみたいです。」 全く気が付かなかったが、売店の周りに残っているのは我々二人と日本人男性氏、それから三人連れの西洋人、それからアジア系だが現地の人ではなさそうな女性の七人だけになっていた。 「

        • 国境で飲むビールはうまい(我々の偉大な旅路7-3)

          ↑こちらのシリーズの続きです ↑越老国境編(7-2)はこちらから ラオス人民民主共和国 入国  ベトナムからラオスへと向かう道は森の中を流れる小川に沿った一本道で、ラオス側へ向かってやや下り坂になっていた。ベトナムを出国しており、かつまだラオスへは入国していない。国境地帯を歩いているので、いま現在はどこの国にも滞在していないことになる。いまここで事件が起きたら、あるいは急病になってしまったら、どちらの国の警察や救急がやってくるのだろう。 「Welcome to Bol

        辿り着いたヴィエンチャン(我々の偉大な旅路 8-1)

        • ラオス国道13号線(我々の偉大な旅路 7-5)

        • 置き去りにされた国境(我々の偉大な旅路 7-4)

        • 国境で飲むビールはうまい(我々の偉大な旅路7-3)

          出ベトナム(我々の偉大な旅路7-2)

          ↑こちらのシリーズの続きです ↑越老国境編(7-1)はこちらから グッド・モーニング・ベトナム  ハノイで乗り込んだ夜行バスの座席は固くて寝心地は決して良いものではなかったが、前夜が夜行列車の移動で、一日中ハノイの街を歩き回ったあとなので、一度眠りにつくとしばらく深い眠りから覚めることはなかった。  目が覚めるとバスは停止していた。Googleマップを確認してみると、我々はラオスとの国境の手前に到着したようだ。ボーダーが開く時間を待っているのか、それともただの睡眠時間

          出ベトナム(我々の偉大な旅路7-2)

          ハノイに別れを(我々の偉大な旅路 7-1)

          ↑こちらのシリーズの続きです ↑ハノイ編はこちら  香港から始めた旅も3日目の夕刻に差し掛かっていた。今朝ハノイについたばかりの我々だが、これから一路ラオスの首都ヴィエンチャンを目指し、バスで旅を続けていく。バスの手配はハノイに到着した時に済んでおり、あとはバスに乗り込むだけでラオスへと行くことできることになっていた。 バナナの押し売り  時刻になると、ランデブー・ホステルのスタッフが我々を呼んでくれた。我々は言われる通り、荷物をまとめランデブー・ホステルから通りへと

          ハノイに別れを(我々の偉大な旅路 7-1)

          危なっかしい通り (我々の偉大な旅路 6-5)

          ↑こちらのシリーズの続きです。 ↑ハノイ編(6-4)はこちら Điện Biên Phủ  ホーチミン廟を目前にして、金欠によりホーチミンとの面会を断念した我々は一路、先程までいたハノイ駅や旧市街の方角へと歩き始めた。ホーチミン廟の前の広大な広場の周りには政府関係と思しき荘厳な建築物が囲っていた。正面にベトナム共産党旗がたなびく建物は党本部だろうか。日本で言うところの霞が関や永田町界隈にあたるこの地区は、日本のそれと似ている部分もあったが、やはり異国の土地である。感じる

          危なっかしい通り (我々の偉大な旅路 6-5)

          偉大なるホー・チ・ミン (我々の偉大な旅路 6-4)

          ↑こちらのシリーズの続きです。 ↑ハノイ編(6-3)はこちら ハノイ警察博物館 書店街を少し離れたところに警察博物館はあった。賑わっている様子は全くなく、我々の他にベトナム人・外国人ともに観光客はいなかった。建物の前面にはホーチミンとおぼしきおじさんが描かれており、微笑みながら我々を見つめていた。守衛のような人が入り口に建っている。我々は笑顔で挨拶をし、中へと入った。  中も閑散としており寂しい雰囲気ではあったが、展示は博物館としてはしっかりとした作りになっていた。展示

          偉大なるホー・チ・ミン (我々の偉大な旅路 6-4)

          ハノイのカトリック(我々の偉大な旅路 6-3)

          ↑こちらのシリーズの続きです。 ↑ハノイ編(6-2)はこちら 1万の押し売り フォーを啜りスープを飲み干した後、再び太陽が照りつけるハノイの旧市街へと繰り出した。少し歩くだけでも汗が滲み出てくる。9月とはいえ真夏の気候だ。行く宛があるわけでもない真夏のハノイの街を我々は歩き続けた。 「Japanese?」  街を歩いていると現地の人に声をかけられた。わざわざ観光客の我々に話しかけてくるなんて、怪しい人に決まっている。私は無視した。しかし、彼女はしつこく我々を追ってくる

          ハノイのカトリック(我々の偉大な旅路 6-3)

          ハノイ・モーニング(我々の偉大な旅路 6-2)

          ↑こちらのシリーズの続きです。 ↑ハノイ編(6-1)はこちら ランデブーホステル  ホアンキエム湖の北のほとりにある広場のレストランで食事を済ませ、会計はカードで済ませた。そういえばベトナムドンをまだ持っていなかった。バスの予約と一緒に両替もしなければ。  店を出ると外は既に暑くなっていた。ホアンキエム湖から離れるように北へ向かって歩き出した。このあたりはハノイの旧市街のようで、古い街並みが広がっていた。路地裏を覗くと狭い空間に生活感の溢れる光景があった。  ラオス

          ハノイ・モーニング(我々の偉大な旅路 6-2)

          弾丸ベトナム旅行の幕開け(我々の偉大な旅路6-1)

          ↑こちらのシリーズの続きです ↑友誼関編はこちら  中国の南寧を夕方に発ち、南方へと旅を続けた我々は、国境で一度起こされ出入国の手続きを経たのち、けたたましい音を立てる列車で眠りにつき、再びハノイを目指した。  南寧からハノイは300km少ししかない。国境が間に横たわっているいるだけで、東京から名古屋程度の距離、新幹線ならものの2時間でたどり着く距離である。寝台が備え付けられてるとはいえ、出入国の手続きが挟まる南寧ハノイ間のT8701次の夜行移動はそれほど快適なものでは

          弾丸ベトナム旅行の幕開け(我々の偉大な旅路6-1)

          友誼関 (我々の偉大な旅路5)

          ↑こちらのシリーズの続きです ↑南寧編はこちら  13日の木曜日の深夜、神戸を発って香港へ飛んだ私とワカナミは、深圳・広州・南寧と中国大陸の旅を続け、15日土曜日の夕方、南寧駅からベトナムへの国際列車に乗り込み、中国を後にした。香港1泊、中国広州1泊の弾丸旅程で華南の大地を走り抜けた。まだ見ぬベトナムの国へと向けて寝台列車の旅を続けた。  南寧からハノイへ抜ける中越国境には友誼関という場所がある。読んで字の如く、中国とベトナムの友好を記念して作られた関であるが、中越戦争

          友誼関 (我々の偉大な旅路5)

          朝陽広場の休日 (我々の偉大な旅路4-3)

          ↑こちらのシリーズの続きです ↑南寧中編(4-2) はこちら 摩的  我々は南寧駅から一駅先にある朝陽広場を目指すことにした。歩ける距離だが荷物も多いし暑いし地下鉄で行くことにした。  鉄道の駅舎の目の前にある地下鉄駅を目指すと、駅前の広場にバイクに乗ったおじさんたちがこちらに向かって何か呼びかけている。バイクタクシーの客引きだ。私は過去に東莞(広州編参照)でバイクタクシーを利用したことがある。日本ではまず見かけない交通手段で町中を駆けていく様子はなかなかに楽しいもの

          朝陽広場の休日 (我々の偉大な旅路4-3)

          西の地、南寧へ (我々の偉大な旅路4-2)

          ↑こちらのシリーズの続きです ↑南寧編(4-1) はこちら 高鐵夢  広州南駅は街の外れにある駅なので、駅から出た列車から見る広州の街はだいぶ遠く見えた。列車はすぐに殺風景な郊外を走り始め、外の景色は平凡な景色を映すだけになった。  列車の通路の上には小さなテレビが設けられている。日本の国内線の飛行機などでよく見かける、モニターが上からぶら下がっている形のものだ。何やら広告を流し続けているようだった。中国鉄路の会社が流しているのだろうか。中国各地の観光地や文化について

          西の地、南寧へ (我々の偉大な旅路4-2)

          バングラの留学生 (我々の偉大な旅路4-1)

          ↑ こちらのシリーズの続きです ↑広州編はこちら  広州の夜が明けた。万馬賓館の窓は格子が組まれていたが、隙間から外が見えた。夜は暗くて気がつかなかったが、窓からは広州の郊外のマンション群が見渡せた。天気は快晴である。今日は広州から南寧を経てハノイ行きの列車に乗る予定だ。中国を発って我々にとって未知の国であるベトナムへ向けて駒を進めるには絶好の旅日和であった。 早晨  初めて中国に宿泊した夜。エレベーターもボロボロの安宿の25階で過ごす夜は決して安心して眠れる夜ではな

          バングラの留学生 (我々の偉大な旅路4-1)

          我々の偉大な旅路 第3章 広州 ~後編~

          ↑ こちらのシリーズの続きです ↑広州中編はこちら 万馬賓館  燕崗駅は広州と隣の仏山を結ぶ路線の広州側の終点のようだった。延伸する予定があるらしく、駅の周りには工事が途中であるような雰囲気があった。人通りはあるが灯りが少なく、薄暗い印象の郊外の駅だった。時刻はもう23時前だった。我々は地上に出るとすぐに今日の宿「万馬賓館」へと急いだ。  駅から少し歩くとエントランスに「鴻星海鮮酒家万豪分店」とギラギラ輝くネオンサインが掲げられた大きな建物があった。海鮮レストランのよ

          我々の偉大な旅路 第3章 広州 ~後編~