我々の偉大な旅路 第3章 広州 ~後編~
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万馬賓館
燕崗駅は広州と隣の仏山を結ぶ路線の広州側の終点のようだった。延伸する予定があるらしく、駅の周りには工事が途中であるような雰囲気があった。人通りはあるが灯りが少なく、薄暗い印象の郊外の駅だった。時刻はもう23時前だった。我々は地上に出るとすぐに今日の宿「万馬賓館」へと急いだ。
駅から少し歩くとエントランスに「鴻星海鮮酒家万豪分店」とギラギラ輝くネオンサインが掲げられた大きな建物があった。海鮮レストランのようだが建物上部に「万马宾馆」と書いてあるし、空室がどうだの部屋代がいくらだのとの電光表示もあるので、ここが今日の宿なのだろう。我々は建物1階にある海鮮レストランの入り口から建物の中に入った。エントランスをくぐると魚の匂いが飛んできたので、そちら側を見てみるとずらっと水槽が並び、たくさんの食材が泳いでいる。そして反対側を確認するとたしかにホテルのフロントが存在していた。やっと宿にたどり着くことができた。正面のレストランの方も見てみると、もう時刻は11時過ぎだというのに数組のグループが夕食を楽しんでいた。どうやら夕飯はここでとれそうだ。昼に深圳の永和大王で牛丼を食べて以来、食べ物を口にしていないので、早くも口が海鮮を欲し始めた。
「まだやってそうだし、先にチェックインして荷物置いてご飯にしますか」
「そうだね」
さっそく、フロントで暇そうにしているスタッフにチェックインをしてもらう。予約サイト経由の予約だったがスムーズにチェックインは済んだ。前払いにしていたつもりだったが、現地決済を選んでいたらしく、フロントで200元を要求された。うち82元はデポジットということらしいので、今夜の宿泊料金は118元だ。日本円にして約2000円。二人でこの価格なら破格だろう。言われたとおり毛沢東の紙幣をフロントに渡し、鍵を受け取った。部屋は2510室。25階の部屋のようだ。建物の奥に進み、エレベーターに乗る。扉が開き中に入ってみるとだいぶ年季の入っているボロボロのエレベーターだった。
「最上階ですね」
「こんなとこで最上階でも全然嬉しくないしむしろ怖くね?」
「耐震基準とかたぶんないし、少しでも揺れたら即アウトだよな」
ボロボロのエレベーターは動くのも遅かった。25階まで上がるのに一分近くかかった気さえした。
エレベーターを降りると内装は普通のホテルであった。何度か角を曲がった奥に我々の部屋があった。部屋には前日の重慶大厦よりはやわらかそうなベッドが2台、無機質に置かれていた。
「まあ値段相応だね」
「一人1000円とかでしょ?ここ」
「そんなとこやね。とりあえず荷物置いて飯行きますか」
そう言うと、バックパックを床におろし、パスポートや財布のみを小さい鞄に移し、ホテルの一階へと向かった。
神秘的老婦人
動きの遅いエレベーターを降りるとまだ食事している客はいるようで、我々も席に座るとスタッフらしき老婆がメニューを持ってきてくれた。
「荳ュ蝗ス隱槭o縺九j縺セ縺帙s〜」
聞き取れない中国語でまくし立てられる
「中国語は少ししかわかりません。ゆっくりお願いします。」
「日本人か」
「そうです」
老婆はメニューを置いてテーブルを去った。メニューには美味しそうな料理がずらりと並ぶ。どれを選んでもハズレはなさそうだった。カードを使えそうなので豪勢なディナーにすることもできたが、今回の旅はバックパック旅行、すなわち貧乏旅行である。贅沢はできない。
「とりあえず主食系の麺と、海鮮何個かにしようか」
私の提案をもとに二人で注文を協議した結果、広東風の焼きそばとエビの炒め、ホタテの磯焼きのようなものに決まった。
「服务员〜」
中国語でスタッフを呼ぶ。先ほどの老婆がメモを持って我々のテーブルへと戻ってきた。
「我们要,那个〜」
指差しで注文をしていく。老婆は頷きながらメモを書いていく。注文が終わると老婆は裏へと戻っていった。
「無事夕飯にありつけましたね」
私は安堵して言った。
「もう日付変わるじゃん。だいぶ遅くなったな。明日の予定は?」
「明日も朝早いんよなあ。南寧行きの高鉄が9時過ぎ。」
「全然ゆっくりできないな。」
「今回の目的地はラオスですからね。一応。広州はただの通過点...」
やっと食事にありつけた安堵で寛ぎながら会話をしていると、二人の若い男女のスタッフが我々のところへと駆け寄ってきた。メニューを持って我々に話しかける。
「注文を選んでくれ」
「え?もう注文は言ったけど?」
「聞いていないので、注文を選んでくれ」
「さっき注文したけど...?」
どうやら彼らは我々がまだ注文を頼んでいないものとして、我々に注文を聞いているようだ。いや、数分前に我々の席に来た老婆に注文を言ったはずだし、彼女はメモのようなものを持って厨房の方へと向かったはずだが...
「伝わってないんじゃない?」
ワカナミが言う。
「じゃあ、あのお婆さんは何?」
困惑しながら、メモを使い、さっき老婆に注文を言ったことを伝える。
「彼女は何も聞いてない。だから私たちが注文を聞きにきた」
なんと、先ほどの老婆は注文を聞いたふりをしていただけで、実際は我々の注文を取っていなかったようだ。ようやく状況を理解した我々は落ち着いて、再び注文を聞きにきた二人に注文を言うことにした。改めて先ほど注文したメニューを指差して注文をする。料理3品とビールを注文すると彼らはメモに注文を書き取り厨房の方へと戻って行った。厨房の方では先に注文を聞きにきた(フリをしていた)老婆が突っ立っていた。
「あのおばあちゃんなんだったんだろうね。」
「ただメニュー置きにきただけなのかな。あの感じだと注文聞いたと思っちゃうよね。」
乾杯
二度目の注文は成功したのだろうかと不安になりながら談笑している我々のテーブルにお茶が運ばれてきた。茶壺の乗った平たく大きい皿とお湯の入ったやかんがテーブルの隅に置かれ、我々の席の前にはそれぞれ茶杯が配られた。服務員は慣れた手つきでやかんのお湯を茶壺にかけていく。
「これで茶壺を温めるんだよね」
ワカナミが言う。
我々の前に置かれた茶杯にもお湯が注がれ、平たい皿へとお湯が捨てられた。茶杯もこのように温められる。簡易的ではあるが、安宿のレストランにしては十分に本格的な注ぎ方をしてくれる。
「これはなんのお茶ですか?」
「普洱茶です」
「プーアールか。」
「プーアールは雲南が原産だよね」
「雲南からラオスに入る計画もあったなあ。そういえば。」
「いずれそっちからも行けたらいいけどね。」
「まずはベトナムからのルートで行かないとね。」
ワカナミが注がれたプーアール茶を飲む。私は猫舌なので茶杯を口元にだけ持っていき、唇に微かにお茶を触れて茶杯をテーブルに戻した。
注文していた珠江ビールも運ばれてきた。珠江ビールは青島のように緑の瓶に詰められており、ラベルに珠江の漢字とPEARL RIVERのローマ字が踊る。珠江とは我々がまさに広州塔の脇で眺めてきた広州の地を流れる大河のことである。瓶を開け互いに酌をしあい乾杯をした。
「干杯!」
「干杯!」
香港から深圳、広州とまだ暑さの残る九月の華南を旅してきた我々の喉に冷えた珠江ビールは潤いだけでなく癒しも与えてくれた。味は青島に近く、日本のビールのような苦味が薄く比較的飲みやすい。
「あんまビール飲まないけど、こっちのビールは飲みやすくていいね」
「苦味が少ないから普段飲まないならこっちの方が飲みやすいかもしれないね」
乾杯をした後は一服だ。喫煙者のワカナミがタバコを吸い始める。私は普段は喫煙する習慣がないが、彼がタバコを吸う時は一緒に吸うことにしている。
「一本ちょうだい」
拝借して一服する。タバコを吸って美味いという感覚や落ち着く感覚はあまりないのだが、どこかホッとするような気がする。いや、本当はそうでもないのだが、喫煙をしていると言う雰囲気だけで休まった気になっているのかもしれない。などと考えていることをワカナミに悟られないように私はタバコを吸い続けた。
食在廣州
互いにきょう一日の移動をねぎらっているうちに料理が運ばれてきた。我々の注文は無事に通っていたようだ。最初に運ばれてきたのは麺料理だった。
「これ上の皿を食べるのに使って、下の皿は殻とかを入れるんだよね」
私は辺りを見渡した。
「みんなそうしてるっぽいからそれで合ってると思う」
そうして我々は周りの人民たちと同じように麺を上の皿に取り分けた。一緒に出てきたケチャップソースと絡めて麺を口へと運ぶ。やや硬めの麺だが焼きそばに近い食感で箸が進む。空腹であることを別にしても美味であった。
「これは美味いな」
「醤油ベースだね」
続いて運ばれてきたのは大きなエビのガーリックチップ炒めとホタテの磯焼きだった。丸々としたエビがカリカリの皮に包まれて山盛りのガーリックチップが載っている。見た目だけでも食欲をそそられる。ホタテは二枚だけだったが、美味しそうな匂いが漂っていた。それぞれ皿に取って食べる。脂っこいが濃い味の好きな秋田人の私にはかなり好みな味であった。
「うんまいなあ」
「まさかこんなホテルでこれほど美味しい食事にありつけるとはね」
疲れが夕食を美味しくさせているのか、それとも食事そのものが美味しいのか、その両方なのか。到着が深夜になるほど一日中移動をし披露していた我々は意外なところで舌鼓を打つことになった。
「食在広州」、まさかこんな安宿のレストランでこの有名な言葉の意味を身を以て体験できるとは思わなかった。今回の広州はただの通過点に過ぎなかったのだが、広州塔と安宿のレストランだけで広州の街を少しでも楽しむことができたのは思いがけない幸運であった。
食事が終わり、お茶を飲み一息ついたら、服務員を呼び会計を済ませた。会計は銀聯カードが使えたのでカードで済ませた。ホテルのデポジットで手持ちの現金が少なくなっていたためだ。
無事に会計を済ませたあと、我々はホテルのすぐ近くにある小さいコンビニのような売店へ向かった。売店は小さな商店のようなところで、狭い店内には所狭しと商品が並び、やや乱雑な店内の奥にはおっさんが暇そうに携帯をいじっている。日本ではありえない光景だが、日本が妙にきちんとしすぎているのだろう。我々は特に何とも思わなかった。飲み物や夜食用のおかしがあれば買おうと思って売店へ行ったのだが、あまりめぼしいものはなかった。ワカナミはタバコを買うらしい。
「吸っていくけどどうする?」
「先に部屋戻ってるね」
私はワカナミにそう告げて部屋に戻った。
防火長城
遅いエレベーターで25階の部屋へ戻り、荷物の整理をしてシャワーを浴びた。浴室には便器とシャワー、それから鏡と洗面台が備え付けられている、日本のビジネスホテルと変わらない構成だったが、ユニットバスよりは広く、そのかわり浴槽はなくシャワーの水が床にそのまま落ちていく仕組みになっていた。当然、便器のあるところもシャワーの水が流れていく。やや不衛生な気もするが、昨夜の香港の重慶大厦よりは広いし特に気にすることもなくシャワーを浴びることにした。ボディソープやシャンプーは使い切りの小分けのものが備わっていた。シャワーを浴びているとコバエが私の横を飛んできたので、シャワーを向けると遠くへと離れていった。
快適ではないが不快でもないシャワータイムを終え寝室に戻ったが、ワカナミの姿は見えない。いつまでタバコを吸っているのだろう。少し友人の安否を心配に思ったが、探しに行くまでの時間は経っていないと判断し、ベッドに横になり携帯をいじりだした。
ホテルのWi-Fiがあったのでそれを使いネットに接続する。いつものように慣れた手付きでTwitterを開く。すると、いつもならすぐに表示される画像がいつまで経っても表示されない。きっとWi-Fiが遅いのだろう。Wi-FiをオフにしタイSIM経由のモバイル通信で中国電信のローミングサービスに接続する。Twitterの表示は通常に戻った。
愚痴をTwitterに呟いたところで思い出す。ここは中国。防火長城と呼ばれるネット規制でインターネットへの接続が自由にできない場所だった。普段は防火長城が適応されていないローミングを使っており、意識することはなかったが、ホテルのWi-Fiは中国のローカルのネット環境なのでTwitterへの接続ができなかったのだ。私はこれが4度目の中国渡航だったが、このときはじめて中国のネット規制を目の当たりにした。
ワカナミが部屋に戻ってきた。
「なかなか帰ってこないからいなくなったかと思ったよ」
実際には30分ほどだったと思うが、1時間近く時が経っているように感じていた。秋の夜は広州でも長いのだった。
("第3章 広州"おわり 第4章へ続く)
旅程表
2018年9月14日 "我々の偉大な旅路" 1日目 広州
午後10時40分 燕崗駅 に到着
午後10時50分 万馬賓館 に到着
午後11時30分〜 万馬賓館 1階 の 鴻星海鮮酒家万豪分店 にて夕食
翌午前2時30分 就寝
(時刻はすべて北京時間)
主な出費
宿泊費(万馬賓館にて) 200元(二人分、うち82元はデポジット)
夕食(鴻星海鮮酒家万豪分店にて) 不明(おそらく二人で250元ほど)
飲み物(ホテル横の売店にて) 5.5元
↑第4章 南寧編 はこちらから
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