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ハノイ・モーニング(我々の偉大な旅路 6-2)

↑こちらのシリーズの続きです。

↑ハノイ編(6-1)はこちら

ランデブーホステル


 ホアンキエム湖の北のほとりにある広場のレストランで食事を済ませ、会計はカードで済ませた。そういえばベトナムドンをまだ持っていなかった。バスの予約と一緒に両替もしなければ。

 店を出ると外は既に暑くなっていた。ホアンキエム湖から離れるように北へ向かって歩き出した。このあたりはハノイの旧市街のようで、古い街並みが広がっていた。路地裏を覗くと狭い空間に生活感の溢れる光景があった。

ハノイ旧市街

 ラオス行きのバスのチケットを取り扱っているホテルはRendez-vous Hanoi Hostelと言った。日本語で言うと「ランデブー・ハノイ・ホステル」というわけだ。ランデブーホステルはバックパッカーが集いそうな通りに面した小さなビルに入り口があった。

 ランデブーホステルは中に入ると外見よりは広く感じる奥行きのある建物だった。奥のカウンターにベトナム人のスタッフがいる。

「Hello」

と話しかけると笑顔で応じてくれた。早速、ラオス行きのバスを予約したい旨を伝えた。すると、カウンターの価格表のようなものを見せながら電卓を叩いて価格を教えてくれた。

「1,800,000」

 180万ドン。朝食のレストランはドル換算で支払いをしていたのでドン円相場を把握していなかった。我々はドン引きしてしまった。ドンだけに。それはさておき、これが一体日本円にしていくらくらいのことを指しているかがわからないのでiPhoneで為替レートを見てみる。

「なんだ9000円じゃないか」

「二人でこれなら問題ないね」

事前に調べていた価格よりやや高いが一人4500円ほどの価格で隣国ラオスの首都ヴィエンチャンまで移動できるらしい。24時間かかると言うが、バックパッカーにはこれで十分であった。何箇所か旅行会社やホテルをあたってみるつもりだったが、我々はここランデブーホステルで予約をすることを決めた。早速カードで支払いをした。機械に表示される1,800,000の数字が何かの間違いでドルや円で決済されていたらどうしようと怯えたが、明細にはdに横線の入ったドンマークがあって安心した。

我々の偉大な旅支度


ベトナムドン紙幣(ランデブーホステル2Fにて)

 一日だけの滞在とはいえ、ベトナムドンの現金もいくらか持っておかなければ買い物も食事もできない。今朝の朝食はカードが使えたが、全ての場所でそうするわけにもいかない。ランデブーホステルのフロントで私はきょう一日の活動資金として日本円3000円を両替してもらった。3000円は600,000ドン。20,000ドンが100円とほぼ同じ価値のようだ。ここまで香港ドルや人民元を使用してきたので、桁が大きい通貨は慣れない。

 ランデブーホステルはバックパッカー向けの宿のようで、シャワーやランドリーサービスを宿泊者以外にも提供している。13日の夜に神戸を発って以来、洗濯をする機会がなかったので、バックパックには汚れた洗濯物がある程度詰め込まれていた。我々はそれぞれバックパックから3日分の洗濯物を取り出してランデブーホステルに預けた。料金は56,000ドンで午後には返ってくるようだ。ヴィエンチャン行きのバスは夕方にハノイを出るので時間もちょうどいい。

 衣服の清潔を確保できた次は自分自身の体の清潔の確保だ。大きい荷物をフロントに預け、貴重品のみを身につけシャワー室へと向かった。シャワー室は雑然としてはいたが、不清潔ということはなかった。私は個室へと入り、身につけた貴重品を濡れないように高いところに掛けてシャワーを浴びた。お湯は出ないらしい。冷水しか出ないシャワーはこれが初めてだったが、暑いベトナムの朝には冷水で十分だった。きれいさっぱり汚れを洗い落としてシャワー室を出た。

 ランデブーホステルの2Fはラウンジスペースのようになっており、冷房の効いた部屋でゆっくりとくつろぐことができた。早朝の夜行列車でハノイに着いた我々は熱気のせいもあり、まだ疲れが十分に取れていなかったので、ここでコーヒーを飲むことにした。ベトナムといえばコーヒーが有名だが、特に地元のコーヒーというわけではないようだった。朝シャワー上がりに飲むコーヒーは美味しかった。

ランデブーホステル2F

 テレビを眺めていると、子供番組をやっているようだった。内容はさっぱりわからないが、子どもたちが元気そうに遊んでいる、NHK教育を思い出すような番組を放送していた。

ランデブーホステル2Fにて ベトナムのテレビ

 ワカナミはiPhoneをWi-Fiに繋いでインターネットをしている。彼は今回ローミングを使っていないので、Wi-Fiがあるところでのみインターネットをすることができる。インターネット依存症の私は今朝の6時間ほどインターネットから遮断されただけで禁断症状が出そうになるくらいだが、彼はさほど気にしない質らしい。我々二人は離れてしまうと連絡手段がなくなってしまうので、今回の旅行中の彼は文字通りの道連れとなっていた。

 iPhoneやモバイルバッテリーの充電をする必要があったので、しばらくここでゆっくりしていくことにした。ラウンジスペースのソファに腰を深くかけ、コンセントのある壁に張り付くように我々二人は休息の時間をとった。

 ここで突然バックパッカー向けの情報になるが、今回の旅行へ持ってきているプラグはAmazonで購入したABCなど各種のタイプのコンセントに対応するものだ。日本国内(関西空港)・中国ではお馴染みの=を縦にした形のAタイプ、旧英領の香港ではBFタイプのコンセントが使われているが、両側からこのどちらの形のプラグも出てくる。ここベトナムでは:を横にした形のCタイプが主に使われているが、こちらの形に対応したプラグもさらに別の面から出てくる仕組みになっている。変圧器はiPhoneの充電などでは特に不要ということだったので持ってきていないが、今のところ特に不便はしていない。

繰り出そう、ハノイの街へ

ハノイ旧市街

 iPhoneの充電も大方できた頃、我々は再びハノイの街へと繰り出した。陽が登り気温は上がり続けていたが、大きな荷物をランデブーホステルに預けた分、体は身軽になっていた。ランデブーホステルがある通りは他にもバックパッカー向けの宿や旅行会社が店を構えていて、ハロン湾やサパといった観光地へのバスチケットを扱っていると謳う看板が多く見えた。

 旧市街の通りを無数のバイクが通りすぎていく。歩道にも人々が溢れかえっている。通りを少し外れた路地も人通りが多い。人通りが多くせわしない狭い通りへ入ってみる。通りの脇では何やら商いをしているらしい。ただでさえ狭い路地がさらに狭くなっているが、人々はお構いなしに往来している。我々は興味深く路地を観察しながら抜けていく。

ハノイ旧市街の路地裏

 またバイクが行き交う大きな通りに出た。時刻は10時前、北緯21度のハノイの街にはサンサンと日光が降り注ぐが、通りには街路樹、というよりは雑草のように不規則に生える樹木が乱立しており、日陰ができている。

 大きな通りを歩いていると、Tシャツを売っているお店が多く軒を連ねるエリアに出たようだ。いろんなTシャツを所狭しと並べて、お店の人が道へ出て通行人の観光客を誘っている。

「ちょっと見てみよう」

私は足を止め、一つのTシャツ屋さんへと入ってみた。中に入ると京都の寺町通の土産屋を思い出すようなTシャツのラインナップだった。ベトナムの国旗が入ったTシャツ、有名ブランドのパロディTシャツなどが並ぶ。特に目を引いたのが、「iPhở」と書かれたTシャツ。無論、iPhoneのパロディである。iOSのアプリを模したアイコンに箸やお椀など、フォーにまつわる道具が描かれている。「アイフォーン」と「アイフォー」をかけたダジャレであるが、趣向を感じられるユニークなTシャツに心を奪われた。

iPhoneならぬ"iPhở"Tシャツ

「How much?」

すかさず店員のおばちゃんに声をかける。するとおばちゃんは手持ちの電卓を弾き

「120」

という数字を提示してきた。

「120ドン?」

おばちゃんは頷く。

「120ドンって1円もしないぞ」

「そんな安いことあるか?」

我々は不審に思う。いくら物価が安いとはいえ、Tシャツが1円もしないことがあるだろうか。再び店員に尋ねてみるが、答えは変わらない。どういうことだろうか。試しに1,000ドン紙幣を出してみる。

「〜〜〜!」

おばちゃんが手を振って「違う!違う!」というようなことを言っている。おばちゃんが手元の紙幣を出しはじめた。100,000ドン紙幣と20,000ドン紙幣を出してきた。

「あー、そういうことか」

どうやら桁が大きいので、下3桁は省略して表すことになっているらしい。Tシャツの価格は120,000ドン。日本円にして600円だった。それでも十分安いし、何よりデザインに惹かれていたので、もう少し高くても買ったであろう。私は値下げ交渉をすることなく、即決でTシャツを購入した。

 ワカナミは同じ店でベトナム共産党の旗を気に入ったらしく、旗を購入していた。共産党のシンボルである鎌と槌が描かれた党旗だった。Tシャツと党旗を手に入れた我々は店を去ろうとした。

「…」

私はおばちゃんにベトナム語で感謝の気持ちを伝えたかったが、ベトナム語を一言も喋れないことにこの時気づいた。「Thank you」「謝謝」にあたるベトナム語を知らない。英語で「Thank you」と伝えた。伝わったかどうかはわからないが、ベトナム語で感謝の意を表せなかったことは、心にどこかしこりを残してしまった。

Phở Gà Thuận Lý

Phở Gà Thuận Lý

 いくつかの辻を通り過ぎると何やらうまそうな匂いが漂ってきた。フォースタンドだった。10時という微妙な時間だが店の中にはフォーを啜る人々が数多くいる。

「ここ寄っていいかな?」

私が2時間前にフォーを食べたばかりのワカナミに聞く。

「さっき食べたけど良いよ。」

Phở Gà Thuận Lý 店内

 快く二杯目のフォーを受け入れてくれたワカナミとフォースタンドに入る。店内の無機質なテーブルには簡易的なビニール椅子が備わっていて、テーブル上には調味料が置かれていた。レモンだろうか。柑橘をカットしたものと、辛そうな香辛料が皿に乗って置かれてある。 

 メニューから適当なものを選びオーダーする。店の雰囲気だけでも十分にベトナムを感じることができているので、メニューはどれでも良かった。きっとどれを選んでも美味しいフォーが出てくるだろうという確信があった。

フォー

 出てきたフォーは鶏肉のフォーだった。香り豊かなスープに白く透き通った麺と香菜と鶏肉が乗っている。シンプルな見た目だが、暑くなり始めたハノイの街角で出てくるフォーはまさに本場の雰囲気を味あわせてくれる。

「いただきます」

 いつも通りに手を合わせて箸を持つ。そういえばベトナムにはまだ箸がある。日本から香港・中国本土を経てベトナムと、遠い地まで来て匂いや気候は徐々に非日常のものとなりつつある。しかし、箸という文化は日本から遠く離れたベトナムでも同じなのだ。この旅路を続ける中で、いつ箸が我々の手元から消えるのだろうか。そんなことを思いながら箸をフォーへと伸ばし、麺を啜った。

「う〜ん!うまいですね。フォー!」

往年のレイザーラモンHGのギャグを引用する。ワカナミは無視した。

 ワカナミは流石に2時間ぶりのフォーを見送ったので、野菜のスムージーのようなものをオーダーしていた。冷たいスムージーは暑いハノイの夏にはぴったりだ。美味しそうにスムージーを吸っていた。

 テーブルの香辛料を追加してみる。そのままでも十分美味しいのだが、味を少し変えてみても楽しい。これが本場のフォーのスタイルなのだ。そう感じながらスープを飲み干し、店を後にした。

(続く)


旅程表
2018年9月16日 "我々の偉大な旅路" 3日目 ハノイ

午前7時半頃 Rendez-vous Hanoi Hostel に到着

午前8時半頃 Rendez-vous Hanoi Hostel を出発

午前10時頃 旧市街のTシャツ屋で買い物

午前10時半頃 Phở Gà Thuận Lý にて昼食

(時刻はすべてハノイ時間)


主な出費

両替
 3,000 円 → 600,000 ベトナムドン

洗濯   56,000 ドン

Tシャツ 120,000 ドン

朝食   90,000ドン (Phở Gà Thuận Lý にて)


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