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我々の偉大な旅路 第0章 神戸

 私(篠/shino9bo)とワカナミ(wknmi)は2018年9月14日未明に香港に到着し、それから約2週間のあいだ、中国華南地方を起点にインドシナを経てバンコクまでを旅した。バンコクからの帰路、香港へ向かうエアアジアの飛行機に乗る前にwknmiがツイートした"さらば我々の偉大な旅路"という文からとって、この旅行記のタイトルを"我々の偉大な旅路"とした。

 同じ高校を卒業し、卒業後もともに国内・海外問わず何度も旅行やスキーなどをしてきた仲ではあったが、2週間というそれなりに長い時間を見知らぬ土地を渡り歩きながら過ごすというのは、二人にとって後にも先にもないほど刺激的で貴重な体験だったと思う。事実、この2週間の体験がその後の創作に多かれ少なかれ影響を与えてきたとも感じている。帰国からもうそろそろ3年が経ち我々自身も記憶が薄れつつある2021年の秋、自身の記憶を記録として残すため、また我々の作品に関わっている方々に作品の背景の一部を知ってもらうため、この"我々の偉大な旅路"をnoteで共有したい。

半カ月計画

 当初は香港に二人で2週間滞在する計画だった。2018年当時は往復3万円もあれば日本から香港に飛んでいける時代で、安い時には往復1万5000円を切ることさえあった。そんな時代だったので、私とワカナミは2018年春にそれぞれ別のタイミングで香港を訪れていた。香港旅行の味を占めた我々は自然と香港へ一緒に行くことを決めていた。どうせ行くならできるだけ長く滞在しよう、ということで9月13日から26日の日程で香港に滞在することを決めた。

 ただ、香港といえば世界有数の物価が高い街。それでも宿は格安の重慶大厦があるし、食事も探せば安いものはいくらでもある。猥雑な重慶大厦にこもって一日中本でも読み耽っているだけでも非日常を味わえるし、たまに尖沙咀のプロムナードに香港島を見に行くだけでも香港観光は十分に楽しめる。とはいえ、やはりせっかくの海外旅行でそんな日々を過ごすのももったいないだろう。ということで、香港2週間滞在計画は香港から中国内地へと入り各地を回りながら旅行をする計画へと変更になった。そのうち中国からベトナム・インドシナと目的地は移り変わり、最終的にタイのバンコクを目指し、バンコクから香港へと戻る計画になった。バンコクより先のマレー半島や南アジアを目指してもよかったが、2週間という期間を考えるとバンコクまでが限界で、バンコクより先は次回以降に回してもいいだろうということで、香港からバンコクを目指すことになったのだ。

 出国の一ヶ月半前となった2018年8月のはじめにバンコク・ドンムアン空港から香港へと戻る航空券を手配したが、それ以外の旅程、すなわち香港からバンコクまでどの国のどの街を経由し、どうやって移動するかはその時点では未定であった。雲南省の昆明・インドシナ戦争でベトミンがフランス軍を破ったディエンビエンフー・乃木坂46の当時の最新シングルであった『ジコチューで行こう』のMVロケが行われたダナン…などと途中に立ち寄るべき場所はたくさんあった。当たり前だが東南アジアの国々は日本と違い陸の国境を持ち、陸路で国境越えをできるポイントが無数にある。その数だけ旅行ルートも存在するため、ルートの選定には無限の可能性があり、ルートが決まるまで時間がかかったが、結局、香港→広州→南寧→ハノイ→ヴィエンチャン→ヴィエンチャン→ルアンプラパン→チェンラーイ→バンコクというルートに落ち着いた。大まかなルートと候補にあったルートを以下に示しておく。

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 かくして香港を起点として中国本土・ベトナム・ラオス・タイ・ミャンマーを巡るバックパッカー旅行が幕を開けたのであった。

樂桃航空陸拾漆便

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 9月13日の夕方5時、私とワカナミは神戸の三宮センタープラザ地下のカツ丼屋にいた。2週間ばかりの祖国との別れを惜しんで、旅行前の最後の晩餐にTHE日本食とも言える(要出典)カツ丼を選んだのである。神戸という町はハイカラなイメージがあるが、長田のそばめしをはじめジャンキーなローカルフードもまた美味しい街なのである。やや古びたセンター街地下で食べるカツ丼はどこか懐かしい雰囲気を感じる、出国前の食事には最適な選択であった。

 食事を終えた我々は神戸空港へと向かった。国際線の飛んでいる関西空港ではなく神戸空港をまず目指したのは、当時関西空港へとアクセスする連絡橋が損傷しており一般の旅行客が通行不可であり、神戸空港から船を使ってアクセスするしか関西空港へ辿り着くことができなかったからである。2018年の夏は豪雨や台風の多い夏だった。あの夏関西地方を襲った台風21号は関西空港のターミナルと滑走路を浸水させ、関西空港の機能を完全に麻痺させた。旅行開始の9日前、9月4日の出来事であった。"我々の偉大な旅路"もこの台風21号を前に無傷ではなかった。当初予約していたジェットスターの香港便は第一ターミナルの浸水を受け欠航。予定通りの日程で関西から香港へ飛ぶには、7日に国内線が復旧した第二ターミナル発着のpeachの国際線の復旧を待つか、他の空港を利用するしかなかった。そのほか、新鑑真フェリーで大阪から上海入りというルートも考慮したが、大幅な旅程変更を伴うので避けることにした。このような状況の中、我々が選んだのは同日のpeachの関西発香港便であった。結局、この決断が吉と出て、当初の予定通りの日程で香港へと飛ぶことができた。

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 前途多難な走りだしとなった"我々の偉大な旅路"であったが、無事にターミナル復旧作業の続く関西空港へとたどり着くことができた。神戸空港からの高速船が関空島に到着しバスに乗り換え第二ターミナルへ向かう途中に見えた、孤独なボーディングブリッジが並ぶ第一ターミナルの異様な光景は今でも忘れない。

 我々が第二ターミナルに到着したのは、飛行機の出発予定時刻の約1時間前。夕食もすでに神戸市内で済ませてあったので、そそくさと出国審査場へと向かった。台風による関西空港の封鎖で一時は旅行の取りやめの可能性もあった我々だが、無事に出国できたことに安堵した。

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 第二ターミナル90番ゲートからMM67便へ搭乗。隣の88番ゲートの上海便は奇しくも私とワカナミの二人が一年前に初めて中国を訪れたときに乗った便と同じ便だった。あの時も浦東空港の悪天候で離陸が大幅に遅れて出発が危ぶまれていたことを思い出す。我々と関空にはなにか因縁があるのかもしれない。

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 第二ターミナルの無機質な通路を通り、パスポートチェックを終えるとターミナルの建物の外に出る。関空の第二ターミナルでは外に出るまで搭乗する飛行機を見ることができないので、我々の搭乗機のほか数機の航空機が並ぶ様子をこのときに初めて目にすることになるが、この瞬間が旅の始まりをより強く実感させてくれるのである。そんなに焦らさなくてもいいのに。数日前まで滑走路が冠水していたことを忘れさせるくらい、搭乗案内からの流れはスムーズだった。平常時と違うのは、第二ターミナルにANAの機体が駐まっていることくらいだった。

 私の座席は"6D"。peachの所有するA320は通路が一本の単通路機であるが、その唯一の通路に沿った座席がD列の座席である。ワカナミは隣の6Eに座っていたと思う。大阪・関西国際空港から香港・チェックラップコック国際空港までの飛行時間は約4時間。長距離フライトでもなく、国内線のように小一時間で着くような短いフライトでもないほどよい飛行時間。夜の東シナ海を航行するこのフライトで"我々の偉大な旅路"は始まった。


("第1章 香港" へ続く)


旅程表


2018年9月13日 "我々の偉大な旅路" 0日目 神戸〜関西空港〜出国

午後5時16分 JR三ノ宮駅到着

午後5時49分 さんセンタープラザ内かつ丼吉兵衛にて夕食

午後6時17分 三宮駅にてポートライナーに乗車

午後6時39分 神戸空港駅に到着

 午後7時00分 神戸関空ベイシャトルうみ号に乗船

午後7時34分 ベイシャトル関西空港ターミナルに到着

午後7時59分 関西国際空港第二ターミナル保安検査を通過

午後8時03分 関西国際空港第二ターミナル出国審査を通過

午後9時00分 peach・aviation APJ67便 関西国際空港 を出発

午後11時35分(香港時間) peach・aviation APJ67便 香港赤鱲角国際空港 に到着

午後11時56分(香港時間) 中華人民共和国香港特別行政区 入境


主な出費

夕食 カツ丼 680円

ベイシャトル往復運賃 3000円

飲み物(関空T2で購入) 150円

人民元(600元)へ両替(三ノ宮の金券屋にて) 10146円(1元=16.91円)


↑第1章 香港 ~前編~はこちらから

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