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出ベトナム(我々の偉大な旅路7-2)

↑こちらのシリーズの続きです

↑越老国境編(7-1)はこちらから


グッド・モーニング・ベトナム


 ハノイで乗り込んだ夜行バスの座席は固くて寝心地は決して良いものではなかったが、前夜が夜行列車の移動で、一日中ハノイの街を歩き回ったあとなので、一度眠りにつくとしばらく深い眠りから覚めることはなかった。

 目が覚めるとバスは停止していた。Googleマップを確認してみると、我々はラオスとの国境の手前に到着したようだ。ボーダーが開く時間を待っているのか、それともただの睡眠時間なのか、バスは停車したままドアが開くこともなく、車内の人々はそれぞれ眠りに落ちていた。隣のワカナミもぐっすり寝ているようだった。私はそれを確認すると、再び眠りについた。うるさかった車内BGMも既に止まっていて、眠りにつくのを邪魔するものはバスの中には存在しなかった。

 1時間ほど眠っていただろうか。車内の暑さで目が覚めた。寝汗もあるだろうが、体全体から汗が出ており、不快感を感じて体を起こした。車内を見渡してみると、何名かの姿が消えている。車内前方の扉は開いており、外の明かりがうっすらと入り込んでいる。話し声も聞こえてくる。

「国境ついた?」

ワカナミも目覚めていたようだ。タインホアでの夕食休憩からいままでぐっすり眠っていたようだ。

「だいぶ前に国境には着いてて停車してたんだけど、いま降り始めてるみたいだね」

「あっつくね」

「暑い。暑さで起きたわ。外出るか。」

そう言うと私は最小限の荷物を持ってバスの外へと出た。外は意外にも涼しい、いや、やや肌寒いくらいの気温だった。山の上にいるからだろう。バスの熱気はなんだったのか。日はまだ登っていないが空は薄明るくなっている。

カウチェオ

 国境は"カウチェオ"という名前のチェックポイントのようだ。カウチェオは街という感じではなく、国境のドライブインという感じで、数件の店が軒を連ね、朝食を提供しているほか、小さな売店、SIMカードを扱う店など、国境を行き交う旅行者のための施設が揃っている。すぐ向こうには物々しい建物が聳えている。ベトナムのイミグレーションだろう。

 もう既にバスを降りて朝食をとっている乗客もいた。周りにいるのはみんな同じバスの乗客だろうか。見覚えのある顔がほとんどだった。我々も朝食をとっても良かったのだが、手元のベトナムドンがほとんどない。厳密には数千円ほどの手持ちはあるのだが、出国の際に必要になるという情報を持っていたので、そのために温存している分であった。朝食は食べないことにした。

 トイレはどこだろう。バスの運転手に聞いてみると、食堂の脇のトイレを使えと言ってくる。我々は言われるがまま、食堂の中を通りトイレへと向かった。トイレは建物の外にあり、地面に掘られた穴に簡易的な便器が備わっているいわゆるドッポントイレだった。潔癖症で知られる私ももはやその程度のことに気を遣う必要はなくなっていたので、特に気にせず用を足した。

 明け方のベトナムは大変過ごしやすかった。半袖だがやや肌寒く感じる程度、しかし熱帯で動き回っていた昨日よりは断然心地が良かった。空気も澄んでおり、ハノイのような喧騒もない。のどかな国境地帯だった。山の向こうはラオス、未知なる内陸国が広がっているという。


ベトナム社会主義共和国 出国


国境のドライブイン

 朝食を取ることもなく外のベンチで休憩していた。バスのスタッフと思しきおばちゃんが我々に声をかけてきた。パスポートを預けろという趣旨のことを言っている。我々は言われるがままに、彼女にパスポートを預けた。

「パスポート預けて良いのか?」

私は少し疑問に思ったことを口に出す。ただ、彼女は他の乗客のパスポートも手に持っており、どうやらここではそういう手続きになっているということはなんとなく察していた。

「そのまま連れて行ってくれるみたいだね」

ワカナミが言う。彼女は我々を連れて、物々しいベトナムのイミグレーション施設へと歩き出した。朝のイミグレは混雑どころか、我々以外の客が全くいない無人施設の様相を呈していた。静まった施設の中をバスのおばちゃんと我々の三人が往く。

「もう出国するのかな。」

「いや、朝はまだやってないから待たされるとかじゃないかな」

そんなことを言いながら建物の中を進むと、係員のいる窓口までやってきた。バスのおばちゃんは何やら我々に伝えながら去っていった。ここで出国してくれということだろう。あっけなくイミグレまで来てしまった。

 ベトナムの余韻に浸る暇もなく、目の前にはベトナムのイミグレのスタッフが座っている。パスポートは我々二人分をバスのおばちゃんから受け取っていたようだ。日本国と書かれた赤のパスポート二冊を係員が眺めている。旅行の目的や日程などについて触れられることはなく、スムーズに出国の手続きが進んだ。

 二人分の手続きを終えた係員は我々に金銭を要求してきた。事前に調べていた通りの手数料である。一人あたり20,000ドンとのことだ。日本円にしておよそ100円。なんだそんなものかと思いながら財布を漁ってみる。

「あ、ごめん、俺もうドンないわ」

ワカナミが言う。それなら問題はなく、私はまだベトナムドンの手持ちはあるはずだ。

「二人分出すけど、ちょうどいいのがないな。50,000ドンの紙幣しかない。こでいいか。」

私は財布から50,000ドンと書かれたホー・チ・ミンを取り出し、イミグレの係員へ手渡した。二人分だよという趣旨のジェスチャーを伝える。どうやら伝わっているようだ。

「…」

「…お釣りは?」

一人当たり20,000ドンであれば、二人合わせて40,000ドン。私は50,000ドンを出しているので、10,000ドンのお釣りが来るはずだ。だが係員はお釣りを出すそぶりを見せない。それどころか、さっさと行けというニュアンスのことを言い出した。

「10,000ドンは?」

お釣りをもらっていないことを伝える。係員はお釣りはないというようなことを言っている。たかが50円相当だし、ベトナムをこれから出るというタイミングで、もうこれ以上ベトナムドンを使う用事はない。しかし、ここで折れたら負けを認めることになる気がして、少し粘ってみることにした。

「私20,000ドン、ワカナミ20,000ドン、私、渡す、50,000ドン、お釣り、10,000ドン、プリーズ!」

ジェスチャー混じりで語気を強めて係員に要求する。係員は首を縦に振らない。さっさと行けの一点張りだ。他の出国客もいないのでいくらでも粘れる気はした。しかし、彼は一向にお釣りを出す気配がないし、お釣りをもらうことは無理だとしばらくして悟った。

「行くか」

そうワカナミに告げると、私は係員に「Thank you」とだけ告げてベトナムを後にした。


国境の広場


広場にたなびくベトナム・ラオス両国旗

 イミグレを抜けるとロータリーのような広場があり、広場の真ん中に翻るベトナム・ラオス両国の国旗を取り囲むようにベトナム人たちが広場に腰掛けていた。ベトナム人(自国民)は外国人とは別のレーンを抜けてくるので、ここの広場で合流する仕組みになっている。バスの乗客の外国人でベトナムを出国したのは我々が最初だったようだ。

 広場の先には一本道が続いている。この先がラオスだ。物々しいベトナムイミグレーションを通り抜けた国境の森は、空気が新鮮で清々しかった。

 広場の隅にベトナム語で「Việt Nam」と書かれた石碑があることに気づいた。国境のモニュメントなのだろう。私は人だかりを離れてその石碑へと向かった。いつものようにiPhoneで写真を撮り、石碑の後ろへと回り込んだ。

「ラオ文字だ。"ラーオ"って書いてる。」

ベトナム側にはベトナム語で「ベトナム」と書いていたので、当然、ラオス側ではラオ語で「ラオス」と書かれているだろう。という推理でもその結論に至るのは当然だろう。しかし、私は今回の旅行のためにラオ文字を覚えてきていた。1ヶ月ほどの勉強期間で、文字の読み書き、簡単な挨拶を覚えてきていた。これは私が初めて教科書以外でラオ文字を見た瞬間だった。異国の地で未知の文字を読める快感はなんとも変え難い。

裏にはラオ文字で「ラーオ」と書かれてあった

 一通り記念撮影を終えて広場に戻ると、我々以外の外国人も続々と出国を済ませており、ベトナム人たちはもう既にラオスへ向けて一本道を歩きだしていた。この先のラオスのイミグレーションまで、バスなどはなく徒歩で向かうということらしい。我々も後に続いてラオスを目指すことにした。

(続く)


旅程表
2018年9月17日 "我々の偉大な旅路" 4日目

ベトナム・ラオス国境

7 越老国境編 ハノイ-ヴィエンチャンの移動

午前2時頃 バスがカウチェオ国境検問所 に到着

午前5時半頃 起床

午前7時 ベトナム社会主義共和国 出国

(時刻はすべてハノイ時間)


主な出費

出国手数料 50,000 ドン (二人分 一人20,000ドン 10,000ドン余分に取られてる)

↑7-3 越老国境編 続きはこちらから

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