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DUG/Berg/オリーブオイル(240320)


久々に派手に遅刻しつつ、這いつくばって新宿へ。
友人ふたりと落ち合って謝罪し、伊勢丹へ向かう。札幌に住む友人へ、プレゼントを贈りつけるのだ(彼は年明け、我々に札幌のクッキーと珈琲豆をわざわざ買ってきてくれたから)。
この話は前から出ていて今日やっと実現したわけだが、言い出しっぺの俺が遅刻をかましてしまった。不甲斐ないことこの上ない。

祝日の伊勢丹はごった返していた。ふたりのほうが詳しいし、なんならこっちは初めて這入るので、案内に従って奥へと進む。
イタリア料理が好きで自炊にも凝っている彼に、3人でオリーブオイルを選んだ。試飲(試食?)スペースがあって、20種類以上のオリーブオイルが並んでいて、アガる。トスカーナやらプーリアやら、懐かしい地名もちらほらと目に入る。
北か南かなど、オリーブオイルも産地によって味や香りが随分違う。知らなかった。おもしろい。
今度、業スー以外でも買ってみよう。

審議の末にオリーブオイル3種と、スパイス3種を箱詰めしてもらい発送した。さすが伊勢丹、何でもやってくれるのね。接客も素晴らしくて背筋が伸びましたよ。社畜は。
遠くの誰かに何かを送るの、考えてみたら初めてかもな、と思った。喜んでくれるといいけど。

その後、かねてから行きたかったベルクへ。
ふたりが以前から激推ししていたのだ。おいしいメニューをいろいろ知っていたので教えてもらい、迷いながら列に並ぶ。魅力的なラインナップだ。やっぱりこういう気の利いた、ちょっとした一品料理は素敵だなあ、と呆けたことを考えた。がっつりした料理もいいけれど、粋なおつまみとかそそるよね、ほんとに。レジ横に並んだ冷珈のパックにはネルドリップと書いてあって、なおさらグッと来る。

パテドカンパーニュとソーセージ盛りを食べた。近くにあればいいのに、いろんな使い方ができそうだ。カレーも気になる。隣のホストふうのお兄さんが立席を譲ってくれた。優しい。ありがとう。

3人一緒に座れなかったのでもう一軒、となり、但馬屋珈琲店へ。ずいぶん前に働いていたことがあるが、もう店長くらいしか見知った顔はいなかった。特に挨拶する間柄でもないので、普通に3人で茶をしばいた。1階も喫煙可になっていて、ありがたい。
ふたりに近場の温泉を教えてもらい、次の旅の妄想をした。伊香保か長野、湯河原もいい。二十代も残すところあと100時間ほどだ。誕生日は連休が取れたので、ゆっくりと羽根を伸ばすことにしよう。

18時、健康的に解散。発送とベルクという目的はとりあえず果たした。ふたりと別れ、ひとりでヤマモトコーヒー店へ。生豆が切れていたのだ。
2〜3種類にするつもりが5種類買ってしまった。ハイチやドミニカ、インドなど、焼いたことない豆があったから。出費が痛いが、完全に自分のせいだ。

せっかく新宿まで来たしってんで、最後にDUGに這入った。年に1〜2回は来ているが、いつもカウンターの奥の席だ。テテ・モントリューの"Body and Soul"が流れていた。初めてアッサムのミルクティーを注文し、煙草に火を付け本を読み始めた。

疲れていた。自分で思ったよりも、かなり。
ここ最近酷使した足がじんじんと痛み、熱もないのに視界が霞み、薄暗い。本に集中できない。今日遅れてしまったのもそのせいだ。

眠気でぼんやりとして来たので、諦めて本を置いた。目もとを掌で隠しながらカウンターに肩肘をつき、しばらく目を閉じて雑踏に浸った。悩める男を気取った大学生に見えるだろう。朦朧とした意識のあいだを、雑多な音が泳ぎ回った。
カウンターで旅人どうしが語り合い(おそらくアメリカ人と韓国人の方)、背後の席で旅人どうしが語り合い(夜行バスで来たらしい)、誰かが煙草に火をつけた。ウェイン・ショーターが猛りあげる。拭かれたグラスが重ねられ、シェイカーが振られ、トイレのドアが忙しなく鳴った。コルトレーン、ショーター、三苫、遠藤の名前が聴こえる。背後の男が咳をして、誰かが煙草に火をつける。隣の男がメニューを求め、店員さんがそれに応えた。

なんか久しぶりだな、こういうの、と思った。まるで旅先みたいだ。昔はよくこういうふうに、雑踏のなかをひとりで沈んでいた。都内なら新橋の紅鹿、あそこのカウンターのいちばん手前の席が最高だった。店内の喧騒と外の雑踏、流れる音楽のバランスが絶妙だから。

目を閉じたままじっと姿勢を保ち、心地よいカオスに身を委ねた。あの旅人たちが羨ましかった。そして、俺こういうの好きだったんだなずっと、と改めて思った。いつも、素敵な店に這入っていい思いをしたり、商売をするひとの眼差しに打たれたり、旅先でも都内でもそうやって心を動かされて来た。何度も忘れて、何度も思い出して来たことだった。

疲れていた。こんなこと何年続けたってなんにも変わんないだろ、とよく自分に弱音を吐いていた。最近は特に。いつまでこんなことを続けるんだ?これじゃどこにも行けないし、何も変わりはしない。本当にやりたいことはどうするんだ?いい加減、身の振り方を考えないと。もう潔く諦めたほうがいいんじゃないか?

けれど結局、DUGのカウンターで自分に言った。そうやっていままで続けて来たじゃん、と。
救われるのはいつもカウンターで、音楽が鳴っていて、誰かが煙草を吸っていた。旅人が醸し出すオーラは周りを酔わせ、ときには自分がそれをやり、なんとか続けてきたことだった(ほかの仕事の口もないけれど)。いつもカウンターだった。倉敷で、山形で、博多で、北鎌倉で、盛岡で、出町柳で、広島で、仙台で。そうやって背中を叩いてもらったんだった。
コルトレーンの"A Love Supreme"が流れた。思わず口許が緩んだ。大学時代に聴き狂ったアルバムだ。あの頃の自分はまだ生きているか、と問いかけられた気分だった。

席を立って、風が吹き荒ぶなかを新宿駅まで歩いた。目はまだ霞んでいたが、枯れた空が綺麗だった。洗濯物が飛ばされてないといいな、と思いながら中央線に乗った。

明日からまた労働だ。
落ち着いたら、情報を集めなくてはならない。新しい間借り先、新しい職場、新しい街、なんでもいい。
迷走すらも愛してやろう。やりたいことは分かっているから、あとは時間をうまく使うのだ。
そのために、もう少しましな職場を見つけなくては。

迷走を愛そう。

洗濯物はベランダに落っこちていた。



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