詩、小説、エッセイのトリニティー
私はこのnoteで、エッセイと詩、そして小説を公開しています。
そのどれもが自分にとって大切な表現なのだと、先日あらためて気づく機会がありました。
↓こちらの記事で書いたとおり、noteを始めて2周年の節目に感じたことです。
詩、小説、エッセイ。
それらは私にとって、表現としては異なる位格でありながら、同時に、ひとつのものであるとも言えます。まさしく三位一体、トリニティーだなあ、と思いました。
エッセイでは、優しいものを届けたい。読んでくださった方の気持ちがすこしでもやわらぐようなもの、心が軽くなるようなものを、と、ポジティブな方向を意識して書いています。
小説ではその分、社会や人間の、見なくてはいけないネガティブな面に目を向けて、苦しみや痛みを描いています。そのなかに、ひとすくいの希望や、光を、なんとかして見出そうとする試み。それが、私にとっての小説表現なのだと言えます。フィクション(虚構)だからこそ、できることに挑んでいきたいと思っています。
そして、詩。
詩は私にとって、原点と言えます。子どものころから書いていたし、いちばんしっくりくる表現方法です。いまでは、エッセイと小説の中間領域を満たすものであり、そのどちらよりも浄化された言葉の表現、というイメージです。
どれかひとつに絞って注力する、という方法もあるでしょうが、やはり私には、ひとつとして欠かせないトリニティーです。たいへんだけど(笑)、3つとも続けていこうと、覚悟を決めました。
いま、詩、小説、エッセイの3つを、同じnoteという場所で書き、発表できるのは、とても幸せなことだと感謝しています。こうしたプラットフォームをつくり運営してくださっているみなさまにも、読んでくださるみなさまにも。ありがとうございます。
明日は、キリスト教の聖木曜日。
聖書の物語で有名な〝最後の晩餐〟を記念する日です。そこからイエス・キリストの十字架刑、そして日曜のイースター(復活祭)へと教会暦は進んでいきます。
その聖木曜日を前にして、今日は自分の創作表現の姿勢を見つめ、ここに書き記してみました。
◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、HanaKokoroさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。
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◇新作のオリジナル小説「リヴァース #MeToo」をnoteで公開しています。各章、有料設定ですが、途中まで無料でご覧いただけます!
↓マガジンにまとめています。
ありがとうございます。みなさまのサポートは、詩や文章を生み出すための糧として、大切に使わせていただきます。また、お仕事のご依頼はページ下部の「クリエイターへのお問い合わせ」からお願いします。キリスト教メディアの出演・執筆依頼も歓迎です。