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ほとばしるアイメッセージ 関野和寛『きれい事じゃないんだ、聖書の言葉は』

 この本は、横浜の図書館では私が予約した時点で数名待ちとなっていました。1ヶ月以上待って、ようやく借りることができました。ほかにも読みたい方がたくさんいらっしゃるのだなあと思いましたし、実際自分で読んでみて、ぜひもっと多くの方に読んでいただきたいと紹介したくなりました。

 関野和寛『きれい事じゃないんだ、聖書の言葉は』(バジリコ)

 著者はルーテル教会の牧師です。加えてロックバンドのメンバーでもあり、コロナ禍のアメリカでチャプレン(病院付きの聖職者)として働いた経験もある人。
 クリスチャンの世界(?)では有名な方で、ロック牧師として型破りな部分に注目されがちなのですが、本書を読むと、べらぼうな熱量で牧師という仕事に取り組み、さまざまな人にまっすぐ向き合っている誠実な人柄が伝わってきました。

 自身の体験と聖書をからめたエッセイが全25編。第十二話の「あなたと一緒にパフェが食べたい」、第十六話の「破滅に向かう君へ」などが私には特に感動的でした。

 たとえば第十六話には、こんなフレーズが。

 人はキレイになど生きられない、泣きながら生まれて、迷い、そして現実逃避をし破滅に向かって生きていく。
 でも、そんな時に自分を迎えに来てくれる友がいれば、人生はちょっと、いや、かなりマシになる。イエスは罪人たちに、人々に、「私はあなたたちの友だよ」と告げた。庶民のあやまちを正論でただすのではなくて、自らその中に入って行き罪人の友となり、最後は罪人と一緒に十字架で処刑された。だから私はイエスを信じられるのだ。狂った人生の中で、このような友がいれば安心して迷いながら生きていける。

関野和寛『きれい事じゃないんだ、聖書の言葉は』第十六話より

「だから私はイエスを信じられるのだ」の一文に象徴されるように、著者の文章は骨太なアイメッセージになっています。
 日本の書籍やWEBでキリスト教関連の記事を見かけると、その多くが「聖書はこう語っています」「神学によれば~~です」「神とは~~です」「私たちは~~するべきなのです」という形式で書かれているように感じます。
 それに対して、本書の著者である関野牧師は「私は~~です」と、あくまでもアイメッセージで実体験を語っていく、だからこそ、そのメッセージの核となっている普遍的なものが人の心に届くのでしょう。

 知識の披瀝に終わることなく、また、「読んだ人に気付きを与えてあげよう」などという上から目線も含まれていない、むしろ自身の葛藤やドジなエピソードを「少しでも笑ってもらえたらうれしい」というスタンスで潔く開示しているところに好感を持ちました。
 全編、ドタバタ悲喜劇のようでありながら、本質は、血の通ったひたむきな信仰の物語です。

 また、キリスト教に興味のない人が読んでも、この時代をもがきながら生きるひとりの人間の上質なエッセイとして楽しめるでしょうし、たぶん、すがすがしい読後感が残ると思います。

◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから
kuwagatg_bassさんの作品を使わせていただきました。
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