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もっと身近なものとして知られてほしいカウンセリングのこと ~信田さよ子『改訂新版 カウンセリングで何ができるか』

 信田さよ子著『改訂新版 カウンセリングで何ができるか』(大月書店)を読みました。著者は公認心理師・臨床心理士で、長年、アディクションやDV・虐待などの家庭問題に取り組んできたカウンセラーです。

↓版元の大月書店のページに、現状、試し読みができるバナーがあります。

 2007年に出た著者のロングセラー『カウンセリングで何ができるか』をベースに、大幅に改訂をほどこして、2020年に出版されたのが本書です。その間の13年で起こった出来事や、時代の変化などが加筆されています。
 大きな出来事は、公認心理師という国家資格が創設されたこと。そのあたりの背景も詳しく記されていて、興味深かったです。

 私はたしか旧版を読んでいるはずですが、まったく新しい本に触れる感覚で読めました。
 カウンセリングを受けてみたいけれど、どんなものだろう? と思っている人、カウンセラーになりたい人、周囲にカウンセリングをすすめたい相手がいる人など、さまざまな立場でカウンセリングに関心のある人におすすめしたい本です。

 日本でカウンセリングが行われるようになった歴史的な流れから、実際、どんなふうに行われているか、カウンセラーはどんな姿勢で臨んでいるかまで、わかりやすく解説されています。

 たとえば、「カウンセリングは診断しない」「カウンセリングの対象は本人でなくてもいい」など。
 まだカウンセリングが身近なものとは言い難い日本では、カウンセリングを受けてみたいという気持ちがあっても、自分が病気だと言われたらイヤだな、とか、問題行動をしている本人をカウンセリングに行かせなければいけない、などと考えて、先延ばしにしてしまいがち。けれども、それは誤解だということが、本書を読むと納得できます。

 仕事が長続きしなくて……という相談を例にあげ、著者はこう語ります。

 私たちは診断をするわけではありません。仕事が続かないのは何の病状なのかと考えるわけではないのです。仕事が続かないという問題を一緒にあつかっていくのです。間違っても「あなたはうつですね」などという言葉は言ってはいけません。診断は医者がするもので、私たちの役割ではありません。
(信田さよ子『改訂新版 カウンセリングで何ができるか』より)

 また、家族や恋人などの言動で困っている場合には、問題行動をしている本人ではなく、〝その問題で困っている人〟がカウンセリングに行っていい、むしろそういうケースは少なくないということも、随所の表現から知ることができます。
 下記は、甥が買い物に依存していて借金が……という相談の例。

 病気か健康かという診断的な基準からみれば、誰が病気の本人なのか、誰が一番問題をかかえているのか、ということになるので、この例なら当然、借金をしている甥本人が来なくてはいけないということになります。しかし私たちは、主観的に困っている度合いが一番強いのは誰か、と考えます。重要な点は、問題行動を起こしている甥が一番困っているわけではない、ということです。この点がガンなど身体的な病気との大きな相違点です。本人にその気がなくても、周囲で困っているひとが来ることから始まるということが私たちの原則です。
(同)

 カウンセリングがもっと昔から身近なものとして知られ、普及していれば、私自身、あんなに苦しい20代、30代を送らずにすんだかもしれません。
 そんな気持ちもあり、いまそれを必要としている人に、本書やこうした発信が届くといいなあと願ってこの記事を書いています。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、scoop_kawamuraさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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