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「主の平和」 ~そう言って、まわりの人と挨拶し合うひととき

 聖公会の礼拝に、夫婦で参加させていただいたときのこと。礼拝プログラムのなかに、「平和のあいさつ」の時間がありました。

 近くの席にいる人同士が、お互い「主の平和」と言い合って、会釈をして挨拶を交わす時間です。私がお邪魔した教会では、みなさん合掌して会釈をし合っていましたので、夫と私もそれに倣いました。

 起立して両手を合わせ、左右に座っていた人たちと「主の平和」。すると前の席の人たちがふり返ってくださったので、「主の平和」。それから私たち夫婦もふり返り、後ろの席にいた人たちと「主の平和」。

 もっと前に参加したカトリックのミサでも、同様の時間がありました。
 私が所属している教会(プロテスタントの改革派)では、礼拝中に「平和のあいさつ」の時間はありません。
 なので、ちょっと珍しい体験をさせてもらっている気分でしたが、いいものだなあ、と思いました。

 お名まえも知らない方たちと、目を見合わせ、にこやかに、「主の平和」という言葉を交わす。お互いに相手のことは知らなくても、イエス・キリストを信じて平和を望んでいる心は同じ。それを確認し合い、「平和を実現していきましょうね」と励まし合っているような気持ちになりました。
 素敵な時間でした。

 自分が平和を望み続けるのはもちろん、次は隣にいる人と平和を望み、その次は近くにいる人と平和を望み、出かけた先で出会った人と平和を望み、遠くからいらした人と平和を望み、何かのきっかけでコンタクトした人と平和を望み……そうした連鎖が、大きな平和につながっていくと信じています。

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。
(テサロニケの信徒への手紙二3:16 聖書 新共同訳)


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、Angie-BXLさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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