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片思いの瞬間【ショートショート】

 「ねえ、ガラス越しで手を合わせるのってどんな気分なんだろう」彼女はそう言った。脈略がなく始まったその話は、メジャー初登板で緊張して自分のフォームを忘れて投球に入り、ボーク判定された投手のようなぎこちなさを感じた。
「ねえ、聞いてる?」彼女はそう催促した。
「うん、聞いてる。聞いてる」僕は彼女にそう答えた。そして、彼女がガラス越しにいるのを想像しようとした。

 誰も居ない帰り道だ。高校は山の上にあり、学校に登校する時は登山みたいに息を切らしながら何百段もの階段を登る。下校の時は、山の麓に広がる灰色の街とその奥に広がる海を嫌でも眺めながら、比較的速いテンポで階段を下る。
 すでに辺りはまるで藍色の絵の具を折れた筆で塗りたぐるように夕闇が迫っていた。学校がない土曜日、こんな時間まで学校にいる部活はほとんどなかった。僕と彼女は放送部で、大会前の番組制作の編集を放送室に缶詰になってやっていた。ほかの部員は掛け持ちで部活をしたり、ほとんど姿を見せない幽霊部員ばかりで、一番面倒な編集を僕と彼女が受け持つことになってしまった。あと2日でたった15分の映像番組を仕上げなければならない。

「ドキッとしたあとは?」彼女はそう言った。
「そのあと?」僕は聞き返した。
「ドキッとした瞬間、きっと消えるんだよ」
「え、どういうこと?」
「いや、テンション合わせてよ。ガラス越しでお互いに手を合わせた瞬間に、お互い消えてしまうの。そういう短編作ってみたい」
「もう、次のこと考えてたんだ。俺は今のことで精一杯だよ」
「付き合い悪いなぁ。うーん、触れたくても触れられないみたいな、そんな感じの短編作れないかな」
「MVみたいな感じにするってことでしょ?」
「そうそう。で、最後なんかの理由でガラスが割れて、触れて消えるとか」
「したら、ガラス越しで手を触れても消えないね」
「あ、そっか。そうなるね。問題は役者だね。ブスとデブしかいない」
「確かに」僕は彼女が役者をやればきっと透き通る作品になると思ったがやってほしくない気持ちもどこかにあった。

 だけど、時間がなかった。15歳の誕生日にもらった僕のMacbookと部室にある力不足なPCで二人でそれぞれ編集を進めた。必要なナレーションは彼女の声を入れた。彼女の声は、抑揚のなさが切なさを思わせる妙な透明感がある。僕は彼女の声を聞くたび、職人がものすごい肺活量で精巧なガラス細工を作り上げているようなイメージが毎回浮かんだ。

「手だけ写せばいけそうじゃない?」僕はそう彼女に提案した。
「えー。ワンカットはそれで行けるかもしれないけどさ、その後が続かないよ」
「そのあとはエフェクト入れて繰り返しで30秒くらいもたせてさ」
「そのあとは?」
「えーと」
「ほら、続かないじゃん。手だけじゃ。やっぱりさ、か弱い女の子がほしい。痩せててミステリアスでクールなイメージがいい」彼女はそう言った。

 僕と彼女だけは番組に情熱をなぜか注いでいた。企画からロケハンまで結構しっかりやって、結構しっかりしたドキュメンタル番組を作れそうだった。編集がうまくいけば、大会で賞をとって、全国大会まで行けると思えるくらい自信作だった。
 つまり、企画、構成、ロケハンまでは結構バッチリだった。その内容は全国大会常連の吹奏楽部の厳しい練習風景を密着したものだった。一つのパートの完成度を高めているところをしっかり取ることができた。

 6月初めとは思えないくらい、今日は暑かった。7時を過ぎて、死にたくなるような夕日が山の麓に広がる灰色の街をまるで中性洗剤で溶かすように橙色が、雲の間から直線的に照らしていた。街のすぐ先には海が見えた。僕と彼女はバス停には行かず、近くの大きな公園に寄り、適当なベンチに座ることにした。公園は夜に片足を突っ込んだように静かだった。
 
「ねえ、いつまでこうしていられるかな」彼女は街と海を見たままそう言った。
「少なくとも残り2日だね」僕は視線の先を彼女から、街と海に移してそう言った。
「そんな寂しいこと言わないでよ」
「これが終わったらさ、メシ食いに行こう」
「いいよ。私、ばっちりメイクしていく」
「じゃあ、俺も」
「忌野清志郎かよ」彼女はそう言って僕の右ふとももをぽんと叩いた。


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