マガジンのカバー画像

孟子――シンプルな全訳

239
忙しい貴方が、ひまなときにボーッと眺めることができる全訳を目指しています。性善説、王道と覇道、革命説……そして【仁義】。 ごくごくシンプルな『孟子』の全訳です。(制作途中) *…
運営しているクリエイター

2020年10月の記事一覧

『孟子』36公孫丑上―孟子の言葉(5)弓を射る者―職業の定め

孟子は言った。 「矢づくりの職人が、どうして、甲冑づくりの職人より仁ではない、などと言え…

『孟子』35公孫丑上―孟子の言葉(4)惻隠の心と四端

孟子は言った。 「人は、誰しも、他人の不幸をかわいそうだと思う心を持っている。 古の王た…

『孟子』34公孫丑上―孟子の言葉(3)天下無敵の五条件

孟子は言った。 「賢者を尊敬し、才能ある人を使う。 そして、優秀な傑物たちがふさわしい地…

『孟子』33公孫丑上―孟子の言葉(2)仁と国家

孟子は言った。 「仁であれば栄え、仁でなければ辱めを受ける。 今、人に辱められることを嫌…

『孟子』32公孫丑上―孟子の言葉(1)覇者と王者

孟子は言った。 力づくでねじ伏せている。なのに、仁のように見せかけているもの。 それが、…

『孟子』31公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(8)聖人の種類~伯夷、伊尹、孔子

公孫丑は、たずねた。 「伯夷(はくい)、伊尹(いいん)をいかが思われますか。」 *伯夷は…

『孟子』30公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(7)孟子は聖人か

公孫丑はたずねた。 「宰我(さいが)と子貢(しこう)は、弁論に優れていました。 そして、冉牛(ぜんぎゅう)と閔子(びんし)、それに顏淵(がんえん)は、徳を実践して、それを人に語ることができた、と言います。 *宰我、子貢、冉牛、閔子、顏淵は、いずれも孔子の直弟子。その中でも最も優れた孔門十哲に数えられる人物たちである。また、この後に出てくる、子夏(しか)、子游(しゆう)、子張(しちょう)も同じく孔子の直弟子、孔門十哲に数えられる人物たちです。 そして、孔子は、これらの才能

『孟子』29公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(6)他人の言葉を理解する

公孫丑はたずねた。 「では、他人の言葉をよく理解するとは、どういうことなのでしょうか。」…

『孟子』28公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(5)助長~浩然の気の育て方

◆音読さん・ゆっくり朗読で聴きたい方はこちら↑ 公孫丑はたずねた。 「では、あえてお尋ね…

『孟子』27公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(4)意志が気を動かす

公孫丑は言った。 「あえてお尋ねしますが、先生の不動の心と、 先生よりも先に修得したとい…

『孟子』26公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(3)不動心のつくり方

公孫丑は、質問して言った。 「先生が、斉で大臣の地位につき、道を行ったとします。そのこと…

『孟子』25公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(2)時代の難易度

*前回の孟子と公孫丑の対話はつづく 公孫丑は言った。 「そうおっしゃられますと…、私たち…

『孟子』24公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(1)管仲ごとき

*これは、孟子の弟子である公孫丑(こうそんちゅう)との対話である。 公孫丑は質問して言っ…

『孟子』23梁恵王下―魯にて、孟子と楽正子の対話―すべては天の意のままに

*これは、孟子が魯に滞在していた際の逸話である。 魯の平公(へいこう)は、孟子と会見しようとした。 すると、側近の臧倉(ぞうそう)という者が、平公にたずねた。 「これまで、我が君がお出かけになる際は、まず係官に行き場所をお知らせくださいました。ところが今日は、馬車に乗車され、すでに馬も繋がれております。 なのに、係官は、我が君の行き場所を存じておりません。 我が君、どちらに赴かれるのですか。」 平公は言った。 「孟子に会おうと思う。」 臧倉は言った。 「なんたるこ