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『孟子』24公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(1)管仲ごとき

*これは、孟子の弟子である公孫丑(こうそんちゅう)との対話である。

公孫丑は質問して言った。

「先生が、斉の宰相になれば、管仲や晏子の功績を再び取り戻すことはできるでしょうか。」
*管仲は、斉の桓公に仕え、斉を覇者の国家に押し上げた。晏子は、斉の景公に仕え、斉を再び軍事強国に押し上げた。いずれも春秋の歴史に名を刻む人物である。

孟子は言った。

「キミは、本当に斉の人だな…。
管仲と晏子しか知らないのかね。
かつて、ある人が、曾西さまに質問したそうだ。
曾西は、孔子の直弟子である曾参の息子。ちなみに、曾参は、孟子の師匠筋にあたるため、曾西は孟子の大先輩ということになる。

〈あなたと子路とではどちらが優れておられるのですか。〉
*子路は、孔子の直弟子。その中でも、最も優れた孔門十哲に数えられている。

曾西さまは、すこし機嫌を悪くして言われた。
〈子路といえば、私の父、曾参ですら畏敬の念をいだいた人物だ。〉
その人はさらに言った。
〈…そ、そうですか。ならば、あなたと管仲とでは、どちらが優れていますか。〉
曾西さまは、さらに機嫌を悪くして憮然として言われた。
〈あなたは、何だって私を管仲と比較するのですか。管仲は君主に信任されて、あのように権力を独占していた。そして、国政を行えば、長期にわたっていた。だがその功績は、すこし桓公を軍事的に成功させたくらいで、卑しいものではないか。あなたは、何だって私を管仲ごときと比べようとするのかね。〉」

孟子は言った。

「管仲は、曾西さまが、そんなモノにはなりたくないと願った人物だ。なのに、キミは、私が管仲のようになれと願うのかね。」

公孫丑は言った。

「管仲は、自分の主君を覇者に押し上げ、晏子はその主君を天下の名君に押し上げました。管仲と晏子ですら、まだ偉大な人物とは言えないのでしょうか。」

孟子は言った。

「そのくらいのこと、斉王ぐらいの大国の王であれば、手を翻すように容易いことだ。」

*以上、『孟子』24公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(1)管仲ごとき

【原文】
公孫丑問曰、「夫子當路於齊、管仲、晏子之功、可復許乎。」孟子曰、「子誠齊人也、知管仲、晏子而已矣。或問乎曾西曰。〈吾子與子路孰賢。〉曾西蹴然曰、〈吾先子之所畏也。〉曰、〈然則吾子與管仲孰賢。〉曾西艴然不悅、曰、〈爾何曾比予於管仲。管仲得君、如彼其專也。行乎國政、如彼其久也。功烈、如彼其卑也。爾何曾比予於是。〉」曰、「管仲、曾西之所不為也、而子為我願之乎。」曰、「管仲以其君霸、晏子以其君顯。管仲、晏子猶不足為與。」曰、「以齊王、由反手也。」

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*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵

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