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『孟子』27公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(4)意志が気を動かす
公孫丑は言った。
「あえてお尋ねしますが、先生の不動の心と、
先生よりも先に修得したという、告子の不動の心とでは、
どのような違いがあるのでしょうか。」
孟子はこたえた。
「告子は、こう言っている。
〈人の言葉を理解できないならば、心に理解を求めてはならない。
心で理解できなければ、気に理解を求めてはならない。〉
さて、まず後半の、“心で理解できなければ、気に求めてはならない…”、
つまり、人の言葉を聞いて、自分が心から納得できなくても、イライラしたりして気分に訴えてはならない、ということだが……。これはわかる。
だが、問題は前半部分だ。
“人の言葉を理解できなければ、心に理解を求めてはならない”というのは…、
つまり、人の言葉を聞いても、自分の心で納得したり否定したりしてはいけないということだろう…。
これは、無理な理屈ではないか。
人の心、つまり意志は、気を導くものだ。
そして、気は、肉体の中を満たすものだ。
ということは、意志が、肉体のある部分に到達すれば、気もこれに続くというわけだ。
だから言うではないか。
〈その意志を保って、その気を濫用してはならない。〉」
公孫丑はたずねた。
「先ほど、先生は、このようにおっしゃいました。
〈意志が、ある部分に向かえば、気がこれに続いてくる。〉
さらに、先生はこのようにおっしゃいました。
〈その意志を保って、その気を濫用してはならない〉
これは何をおっしゃりたいのでしょうか。」
孟子は言った。
「意志が一つのことに向けられていれば、気はそれに合わせて動くものだ。
だが問題がある。
逆に、気の方が一つのことに集中すると、意志がそれに引っ張られて動いてしまう、ということがあるのだ。
今たとえば、つまずいた者が少しばかり、おっとっと……と、よろめきながらも走って持ち直す、ということがよくあるだろう。
これは、気が、つまずいたことに集中して、気の方が逆に、心を引っ張って走らせているのだ。」
*『孟子』27公孫丑上―孟子と公孫丑の対話(4)意志が気を動かす
【原文】
曰、「敢問夫子之不動心、與告子之不動心、可得聞與。」「告子曰、〈不得於言、勿求於心。不得於心、勿求於氣。〉不得於心、勿求於氣、可。不得於言、勿求於心、不可。夫志、氣之帥也。氣、體之充也。夫志至焉、氣次焉。故曰、〈持其志、無暴其氣。〉「既曰〈志至焉、氣次焉〉、又曰〈持其志無暴其氣〉者、何也。」曰、「志壹則動氣、氣壹則動志也。今夫蹶者趨者、是氣也、而反動其心。」
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*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています
*ヘッダー画像:Wikipedia「孟子」
*ヘッダー題辞:©順淵
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