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透明少女

あるいは、そう。
うまくいかない日常の中にも、光が漏れていることに気づいた少女がいたそうな。それが、例えば、透明少女。

第5回の『ワタシとウタ』は、NUMBER GIRLの「透明少女」です。
思春期の熱気を、泥臭さを思い出させる楽曲の数々。
そのどれもが果てしなく青く、美しい。
NUMBER GIRLの魅力を改めて紹介できたらと思います。

是非、楽曲とともにお楽しみください…

まずはなんと言っても、イントロですね。
田淵さんがギターをかき鳴らした瞬間、脳内に残るのは「最高」の文字のみ。
一音目から興奮を抑えることができません。

赤いキセツ 到来告げて
今・俺の前にある
軋轢は加速して風景
記憶・妄想に変わる

大人になる工程はそれまでを遥かに超える情報量に溢れ、自分の体が追いついているのかさえわからなくなるほどぼやけてしまいます。
その情景を美しく例えているように思います。

いつの間にかここにあり、いつの間にか去っている。
私たちが思春期に対して強く懐かしく思う気持ちがあるのは、的確な答えのない日々への憧れではないでしょうか。

気付いたら俺は なんとなく夏だった

もはや説明不要。
どうすればこんな言葉が浮かぶのでしょうか。
羨ましい限りです。

透き通って見えるのだ
狂った街角きらきら・・・
気付いたら俺は 夏だった風景
街の中へ消えてゆく

学生の夏に想いを馳せた時、あなたの目には何が映っていますか?
どんよりと濁った空気を気にせず、夏日に照らされた電波塔やソーダ瓶、浮き輪の反射を自転車で追いかけた景色。
あの夏こそが最高の夏だったのです。

はいから狂いの 少女たちは
桃色作戦で きらきら光っている
街角は今日も アツレキまくっている
とにかくオレは 気付いたら夏だった!!

あの頃は無謀でした。
それといった焦燥感もなく、空を眺めるのを退屈に思えるほど。
でもそれは、いつまでも青空が広がっていると思っていたからでした。

生の実感よりも死の実感が近づいた時、私たちは大人になります。
その頃には、街角の軋轢の一部になってしまっています。
夏の実感は、シャツがクールビズになったということのみ。

大人はどの時代も、軋轢に必死です。

二十歳になり、子どもと大人の境界線の上でふらふらしている今、私の目に夏はどう映るのか。
未熟を楽しむほどの余裕があるのか。

子どもの方がよほど優れていると感じます。

できることなら青く染まってほしい、夏。

エレキギターにアンプを通し、がむしゃらにBコードをかき鳴らしてみると、空は退屈に見えるだろうか。

俺は夏になれるのか。

木曜更新の次回は、andymoriです。
お楽しみに!



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