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お彼岸(愛別離苦)

パートナー、子ども、父、母、兄弟、祖父母、親戚、友人、恩人
自分の親しい間柄の人が「居なくなるかもしれない」「居なくなった」とき。
愛別離苦の苦しみや葛藤は、どんな説法、仏教、神道、キリスト教、生まれ変わり、輪廻転生、どんな綺麗事、経験談、生温いふわふわスピの言葉を聞いても何も受け入れられない。

自分も家族が病気になった時、たった1人の血のつながらない、だけど人生のパートナーが死の危機に面したとき…

どんな言葉もどんな慰めも心に入らず、現実をどう受け止めるか、混乱してる自分をただ情動に揺らぐしかなかった。2週間のICUで面会も出来ず会話もできず。
結果をいうと今では元気なのですが。
この愛別離苦というものはすごく大変なものだと痛感した。

この一時的な愛別離苦を経験し、友人が恋人を亡くした苦しみがやっと少しは理解できた。「励ますためとはいえ、無神経なこと言ったかもしれない。あの時はごめんなさい」とお詫びをしないではいられなかった。
友人は壮絶な別れだった上、その後も亡くなった恋人の親族からの無神経で当てつけがましい言葉や態度に彼女自身受け止めきれない(受け止める必要もないのですけど)ことへの愚痴をたまに吐かせて、彼女自身が折れてしまうのではないかと心配していたけれどとにかく一緒に居られる日は泣いても弱くても側にいると何度も励ました。

「忘れることが一番」「思い出にしていくように」「居ないことを受け止めて生きて行く」

そんなこと頭では分かっている。
理屈や理論的に考えてもそうだと解る。
でも、ほんとにね、どうにもならん!
居ない、ということがこんなにも寂しく辛く。孤独がこんなに孤独なのかと。

居ない。

匂いや空気、時計の指す時間、スマホのアプリ、天気、場所、音、文字。なにをしようにもすべて想いが蘇るのだ。目をつぶり夜中にハッと目覚めれば最後の姿が横たわっているように視えてしまう。

でも、もう居ない。

彼が彼女を好きだったんだなと今なら辻褄の合うくらい納得が行く言動を思い出して私が見た思い出を彼女に話した。

あなたが憎らしくて死んだわけじゃないし、あなたのせいで死んだのではないということを何度も話した。

強いて言えば誰かのせいにできるのなら、死んだ本人に対して、お前が弱いんだよ!しっかりしろ!と生きてるときに言ってやって蹴りでも入れて痛みで正気に戻させたかった。
泣かすんじゃないよ!と。
それももう出来ない。

愛別離苦の乗り越え方なんてみんな分からないし、つらいし、苦しい。
時間しか解決できない。

流れる時間の中で、居ないことを受け入れて自分も生きて行く。
分かってるけど、苦しい。

そして今年の彼岸で6年経つことを彼女から聞いた。
え、もう6年?
そんなに経った?
そうか…6年か。

この年月の経過が、過去になったことを認識させる。6年前の泣きじゃくって苦しみ悶えていた彼女から自分の生き方を考え始められる彼女になっていた。 
彼女はいまも生きている。
乗り越えようとしている。

人間関係にもまれながらも、彼女の人間関係の中で、夫をなくした女性と出会ったそうで。亡くしたばかりでどうも不安定らしく気にかけてる様子。
「…わたしも最初の頃は面倒だったよね〜?ははは」と聞かれたけど、まあそりゃあね、一升瓶3本あけたりとか、酒を飲むたび翌日の二日酔いがもうキツすすぎて「二度と酒は飲まない!」と何度も決意しても覆してしまったり、面倒は面倒だったかもしれないけどさ(笑)
世話したわよ!でもそれ以上にこちらも世話になってる。お互い様だし。
それに、なにより心底元気になって欲しいって思ってましたもん。

だから、やっと1段1段踏みしめて登った階段を振り返って、貴女の口から「6年経った」と聞いた時、過去になっていることが伝わってきたから。元気になってきたことが見えてきたから。
私はちょっとジンとして泣きそうになったよ。あなたが生きてくれてよかった。

皆さんも、もし大切な相手が隣に居いるのなら、後悔しないように日々をすごしてほしい。

喧嘩したら仲直りをする。
仲直りのきっかけがあったら、意地を張らず、駆け引きなんかしないで。
おもっている気持ちを伝える。
ムカついたり腹が立つのも相手がいるから出来ること。

失って苦しいときは、一つ一つ苦みを感じて、小さい歩幅でも小さな段差でもいいから日常を営む。
一つ一つ営む。
身近な人に挨拶をしてみたり、朝昼晩を過ごし、空を眺め、季節を過ごす。
ちゃんとご飯を食べて、眠れる時は眠って。
聞いてくれる人がいるなら思い出を話してもいい。

そしていつか振り返った時に、こんなに経ったのか、とまた新しい自分の一歩を踏み出していくのだろう。

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