シェア
無門関第十六則「鐘声七條」について、綴ります。 公案の現代語訳は、こちら。 本則は、非常に短いです。 「世の中はこんなに広々と自由なのに、どうして、鐘の音がなると、袈裟を着替えるんだろう」 何事にも縛られるなと教えられ、そのことを追求すべく修行している禅僧が、どうして鐘の音に縛られたような暮らし方をしているのか。 多分そういう意味です。 そうねぇと笑いながら相槌を打てば終わってしまいそうな話です。 でも、実際に「じゃあ鐘の音に縛られない暮らし方をしてみよう」
無門関第十五則「洞山三頓」について綴ります。 公案の現代語訳は、こちら。 この公案に関しては、簡単に言うと、「臨機応変」ということかなと、感じています。 「お前、何しにここに来たの?」と訊かれたときに、「今日はこれこれこういう目的で来ました」と言うべき場合と、「自分が未熟なせいで迷惑をかけて申し訳ありません」と言うべき場合とが、あるでしょう。 どちらの答え方をすればいいかは、もう、ケースバイケースとしか言えないのですが、これを見極めるのは、簡単なようで結構難しい。
無門関第十四則「南泉斬猫」について、綴っています。 公案の現代語訳は、こちら。 今回は、趙州の行動についての考えをメインに綴ります。 外から戻ってきた趙州は、南泉から、この日の出来事を聞きます。 そしたら趙州は、履いていた靴を頭に乗せて、スタスタ出て行きます。 これをみて、南泉は「趙州があの場に居てくれたら、猫を殺さずにすんだのに」と呟きます。 これ多分、ヒントの1つは、「趙州がこの日、外から帰ってきた」という点です。 この日趙州は、「寺の外に出ていた」
無門関第十四則「南泉斬猫」について、綴ってます。 公案の現代語訳は、こちら。 修行僧達が、子猫を巡って争っています。 「子猫は畜生だ。仏道に背く生き方をしたのに違いない」 「重要なのは今生だ。子猫は、ネズミから経典を守っている。小さな身で、仏教のために駆け回っているのだ」 「だがその過程で、子猫はネズミを殺す。殺生戒に反するぞ」 こんな感じで、「猫に仏性はあるのか」をテーマに大真面目に論争してたんだと思うんです。 そこに、彼らの師匠である、南泉がやってきます。
無門関第十四則「南泉斬猫」について綴ります。 公案の現代語訳は、こちら。 久々に来ました。糸口が掴みにくい公案。 内容自体は、公案の中ではそこそこ有名なので、御存じの方も多いのではないかと思います。 この公案を難しくしている最大の要因は、「背景が全く読み取れない」ということにあると感じています。 まず、「東寮と西寮の修行僧たちが、子猫のことで争っていた」というのが事の発端なんですが、これが初っぱなから、わかりにくい。 どんな争い方をしていたのか、全く書かれ
無門関第十三則「徳山托鉢」について。 公案の現代語訳は、こちら。 巖頭について、考えます。 巖頭は、豪放磊落な感じに見えます。 師匠である徳山のことも、ときにはボロクソに言います。 実力もありそうな感じです。 しかし、巖頭がこのときもし悟りに至っているのであれば、徳山に呼び出され、「儂をバカにしてるのか」と問われた際、もっと違う対応をしてたような気もするのです。 例えば、二則では、百丈に自分の真意を見抜いてもらえなかったと思った黄檗が、師匠の百丈をいきな
無門関第十三則「徳山托鉢」の続きを綴ります。 公案の現代語訳は、こちら。 今回は、巖頭が徳山に呼び出されるところからになります。 徳山は、巖頭を呼び出し、こう訊ねます。 「お前、わしを、未だ悟ってないと思ってるのか」 それで、巖頭は事細かに事の次第と自分の真意を説明した。 その結果、徳山は安心するに至った、と書かれています。 ちょっと意外な展開だなというのが、この下りに対する第一印象でした。 私が今まで公案の中で見てきた、大悟した坊さんたちは、みんな、確
無門関第十三則「徳山托鉢」について、綴ります。 公案の現代語訳は、こちら。 無門が「ひとつひとつ点検していけ」と言うので、そうします。 長文になるかと思います。 事の起こりは、徳山が、食事の時間を知らせる鐘が鳴る前に、お堂を出たことです。「托鉢」という単語が原文にあるので、食堂に向かったということでしょう。 禅寺での僧侶の生活はとても規則正しく、一日のスケジュールやその作法も細かく決まっています。 なので、「時間の前に食堂に向かう」というのは、かなり珍しい
無門関第十二則「巖喚主人」について、綴ります。 公案の現代語訳は、こちら。 瑞巖が、毎日、自問自答のようなことをしている。 それだけと言えばそれだけの公案なんですが。 ちょっと興味深いのは、「心を曇らせるな」「他人の言動に惑うな」というような、いわば、禅の根幹に通じる、大切なことを言いつけているにもかかわらず、このとき「ご主人さま」という呼び方をしていることです。 「上の立場から、ありがたい言葉を、授けてやるぞよ」という言い回しではない、ということですね。
無門関第十一則「州勘庵主」について、綴ります。 公案の現代語訳は、こちら。 「この話について、一言で言い表してみろ」と書いてあったので、やってみます。私なら。 「化学反応」 あるいは。 「錬金術」 あるいは。 「相互作用」 このどれかを、そのときの気分で選びます。 多分、この公案には、「これを表す一語はこれ」という用語があるんだろうとも思うんですが、私はそれを知りません。 字面だけ知ったところで使いこなせるとも思えませんから、あえて調べないことにします
無門関第十則「清税孤貧」について、綴ります。 公案の現代語訳は、こちら。 そもそも、清税という僧のことは、書物に殆ど残っていないらしいです。完全に詳細が不明。 なので、もしかしたら、「清税」というのは、あだなかもしれませんね。 昔、ガリガリに痩せている人のことを「骨皮筋右衛門(ほねかわすじえもん)」と言ったり、くそ真面目な人のことを「石部金吉(いしべきんきち)」と言ったりしたんですが、そういう類いの呼び名かもしれません。 清く、手に持てるものを手放している人。
無門関第九則「大通智勝」について綴ります。 今回は、主に、評唱と頌について。 公案の現代語訳はこちらです。 誰かすごい人の考えを目にして、それを理解することまでは、その気になればそれほど難しいことではありません。 けれど、誰か素晴らしい人の考えを知った上で、その人のように行動できるようになるのは、案外難しいことです。 例えば、釈迦。ナイチンゲール。マザーテレサ。 助けを求めている人に尽くした彼らのことを、多くの人は、素晴らしいと思うだろうと思います。 でも
無門関第九則「大通智勝」について、綴ります。 現代語訳はこちら。 今までの公案の内容は、何をどう考えていいのか全くとっかかりが掴めないという難しさでした。 今回の公案の内容は、むしろ、いろんな着想の切欠になりやすくて、どの方向で考えようか迷う。そんな難しさを感じています。 でも、折角ですから、無門の意図をくみ取ろうとしてみます。 今までの感じだと、公案のヒントは、直前までの公案の内容にあることが多かったので、第八則までを念頭に置きながら考えます。 私はこの
無門関第八則「奚仲造車」について、綴ります。 公案の現代語訳はこちらから。 今回の訳文は、あまりこなれてないので、あんまりおすすめできません。 大昔、中国で初めて馬車を造ったという奚仲が、車の車輪を取り外し、車軸を取り外して、車をバラバラにしたらしい。 一体どういう目的で、そんなことをしたのか。 これが今回の公案です。 評唱で無門は、「奚仲が明らかにしたかったことが何かを、すぐに理解できるなら、その者の、物を見る眼は流星のようであり、機、すなわち心、あるいは