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無門関・考察

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無門関の公案の、個人的な考察です。
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記事一覧

無門関第十九則「平常是道」補足

 無門関第十九則「平常是道」について、もう少し綴ります。  大筋は前回と同じ。そこから先の補足が今回の目的です。  現代語訳はこちら。  前回の考察はこちら。  いわゆる「平常心」と、「平常心」は、似てるようで違うらしい、ということを、前回書きました。  その際、このことがまあまあわかりやすくなる事例として、「魅力的な異性と出会ったとき」のケースを挙げたんですが、これは、禅の周辺の逸話として残っているものらしい。逸話というか、公案? 出典は知りません。  完全にうろ覚え

無門関第五則「香厳上樹」異説

 無門関第五則 「香厳上樹」について、もう少し綴ります。  この則に関しては、大筋はあまり前回までと変わらないと思いますので、補足程度です。蛇足かも知れない。  ある一人の僧が、口で木の枝に噛みついてぶら下がっています。  手も足も、働かせていません。  随分苦しい姿勢のように思えますが。  これ、達磨の隠喩なのかな、と思ったわけです。  達磨は、座禅のしすぎで、両手両足が腐ってしまった人です。  手も足も働いてない。言葉で教えることもしない。  何となく、似てる気がして

無門関第四則「胡子無鬚」異説

 無門関第四則「胡子無鬚」について、以前書いたものとやや違う内容のものが降りてきたので、残しておこうと思います。 ■ちゃんと自分で訳してみる  そもそも、前回は、この則の訳文は既存の訳文をベースにしました。  そのせいもあってか、考え進めるのにかなり難渋した記憶があります。  そこで今回、ふと思い立って、原文をじっくり眺めたんですが。  この原文、単純には日本語に訳せない文章のように見えます。  第四則はもしかしたら、漢和辞典などを片手に中国語の原文をそのまま読んで、

無門関雑感「自分で現代語訳」のススメ

 無門関の公案の文章は、他人が現代語に訳したものより、自分で読み下し文を読んで訳する、読み下し文でも解らない部分は原文にまで立ち返って訳するほうが、中身を理解しやすくなるように感じています。  誰かの訳を読んだだけではさっぱり解らないのに、自分で訳したら、途端にいろんなことが思い浮かぶ。  そういうことは、これまでどの公案に取り組む際でも、必ず起りました。  他人の書いた訳文では、どうにもピンとこないことが多い。  その訳文は、誰が書いたものでも、私にとっては大差がありませ

無門関第四十八則「乾峰一路」

 無門関第四十八則「乾峰一路」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  最終則です。  無門関のしめくくりに選ばれたテーマは「悟りに至る道の入り口はどこにあるのか」。  道の入り口。くぐるべき関。  第一則に繋がるようなテーマです。  どんな世界でもそうなんだと思いますけど、道の形は、螺旋のような形かも知れないですね。  全然まだまだだ、基本がなっとらん、と、思えるようになるのが一つの進歩、みたいなこと、あるじゃないですか。  結局最初の初歩に戻ったのかと思い

無門関第四十七則「兜率三関」

 無門関第四十七則「兜率三関」について綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  兜率寺の和尚である従悦が出していたという三つの関。  これを即座にくぐれるか。  それが今回のテーマです。  これ、いわゆる悟りの境地から遠い、良くも悪くも普通の状態で出す答えと、いわゆる「悟り」の入り口だけでも覗いたことがある人の答えは、かなり違ってくるんじゃないか、という印象があります。  内容もですが、それ以上に、その答えを出すスピードも。  私は前者なので、うんうん唸って考えてひね

無門関第四十六則「竿頭進歩」⑥

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について綴っています。  公案の現代語訳は、こちら。  あの講習会の何がそんなに怖いのか。 「オレは大丈夫だもん」と思う人に、「人間は自分が思うほど頑丈じゃないよ」という話を、してみます。  講習中、受講者は、ぐいぐい会に引きずり込まれる人と、比較的冷静を保つ人に分かれ始めます。  私が読んだ資料には、「喫煙者は、比較的、変化の進行度合が遅かった」ということが書かれていました。  喫煙者は、煙草を吸うために、自発的に喫煙所に集まります。  勢

無門関第四十六則「竿頭進歩」⑤

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について綴っています。  公案の現代語訳は、こちら。  ヤバい講習会シリーズ5日目から。  この頃から、受講者に、いろんな変化が表れます。  6日目からは、日常の軽作業を体験しながら、会での暮らしについて教わります。  初日でもサラッとは触れられますが、初日とは、受講者の反応がかなり違ってきます。  詳しい内容は割愛しますが、要は、初日に比べて「話されることが、受講者の頭にダイレクトに染みこんでしまう」ということです。  これ、恐ろしいのは

無門関第四十六則「竿頭進歩」④

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について綴っています。  公案の現代語訳は、こちら。  前回の続き。講習会の4日目からです。  この辺りから、少しずつ疲労がたまり始めます。  この講習の間、受講者は大きな広間に幾つも布団を敷き、その布団に二人一組で一緒に寝ることになります。  初めて会ったばかりの他人と同じ布団で寝るんです。  連日、わずかな休憩と、食事、入浴等を除けば、ぶっ通しで考えさせられるのに、質のいい睡眠がとれない。疲労が残り始めます。  講習会4日目。 「あなたは

無門関第四十六則「竿頭進歩」③

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について。  公案の現代語訳は、こちら。  「本当に起ったヤバい話」を綴っています。  2日目。講習の進行役が、例えばこんなお題を出します。 「嫌いなものは、なんですか?」  進行役は穏やかに受講者をランダムに指名し、指名された受講者は「嫌いなものはトマトです」「カエルです」「酒が嫌いです」「会社の上司が」などと思い思いに答えます。  事前に各受講者に「必要だから」と聞き取りを行っていたのでしょう。  準備されていた各々の「嫌いなもの」の

無門関第四十六則「竿頭進歩」②

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について、綴っています。  公案の現代語訳は、こちら。  今回は、前回の続き。  前回予告した、「とってもヤバい話」を、数回に分けて綴る予定です。  具体的な団体名は、ここでは伏せることにします。 「どこで起ったのか」は、今回のテーマには重要ではないと思うので。  その会は、農業と酪農を基盤としたコミューンの体をしています。  会員はその団体の敷地で集団生活を送り、農業や酪農に従事し、生産物を分配して食し、余剰生産物を近隣の住民に売り、その

無門関第四十六則「竿頭進歩」①

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  今回の公案。  これ、非常にヤバいことが書いてある。  ヤバいものはこれまでも、実はちょいちょいあったんですが、メインテーマを概ね健全に考えられるなら、その考察を優先して綴り、あまり触れずにきました。  しかし、今回は、流石にヤバい。ぶっちぎりでヤバいです。  これ多分、普通に生活したければ、真剣に向き合ってはダメな奴です。  哲学的に思考を楽しむ程度ならいいんですよ。  そういう意味で

無門関第四十五則「他是阿誰」

 無門関第四十五則「他是阿誰」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  そもそも私、釈迦と弥勒、どちらがえらいのかもよく解っていませんでした。  お釈迦さまは元々人間。弥勒は最初から菩薩。  だからどちらかと言えば弥勒の方が偉そうな気がする、なんて勝手に漠然と思っていました。  その程度の状態で、ああだこうだと考え、気がついたら今回を含めてもう残りわずか四則。最後まで解らないままというのも何なので、ざっと調べてみました。  いわゆる仏さまランキングは、上から

無門関第四十四則「芭蕉拄杖」

 無門関第四十四則「芭蕉拄杖」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  とりあえずまずは、拄杖とは何か、という話でしょうけどね。  拄杖。杖です。雲水が行脚する際に使います。  でも、ここでは単にそういうことじゃなくて、何かの見立てだということでしょう。  この話は、私には、こう見えました。 「情けは人の為ならず」  持っていれば、与えることが出来るから、与えてもらえる。  持ってない人は、何かと奪おうとしがちなので、奪われる。  おんなじように、されるので