無門関第五則「香厳上樹」異説

 無門関第五則 「香厳上樹」について、もう少し綴ります。
 この則に関しては、大筋はあまり前回までと変わらないと思いますので、補足程度です。蛇足かも知れない。

 ある一人の僧が、口で木の枝に噛みついてぶら下がっています。
 手も足も、働かせていません。
 随分苦しい姿勢のように思えますが。

 これ、達磨の隠喩なのかな、と思ったわけです。
 達磨は、座禅のしすぎで、両手両足が腐ってしまった人です。
 手も足も働いてない。言葉で教えることもしない。
 何となく、似てる気がしてくるわけです。

 しかし、別の僧がこの僧の元に訪れて、「達磨はどうして西からやってきたのでしょう?」と問う。
 ならば、このぶら下がってる方の僧は、達磨じゃないんでしょうね。
 ってことは、「この僧は達磨の真似をしてる?」という風に見えてくる。

 さあ、どうする。

 そう考えるとね、なるほど、ここで言葉で教えようとしたらその瞬間、そいつは死ぬ、ってことになるのも、理解できなくもないです。
 折角達磨に習って、達磨のスタイルを突き詰めることで、修行を進めているのに、いざとなったら簡単に舌戦に乗っかるようでは、いろいろ台無しじゃないですか。
 メッキが剥がれたんだね、って思われちゃう。

 高倉健の真似して「男は黙ってサッポロビール」って気取ってた兄さんが、好みの女の子が近寄ってきた途端に、そわそわ浮き足だってペラペラ喋り倒して口説き始めたら、めちゃめちゃ格好悪いもん。
 しかし喩えが古いね。
 まあ、惚れた男のかっこ悪さを可愛いと思えるのが大人の女、という話もありますけど。

 男は、口ではなく、背中で語れ。
 そんなことが言われていた時代もあったんです。
 今や、昭和も遠くなりにけり、といったところですか。
「禅の神髄は、トークバトルの強さではない」
 というのは、前回も書きました。

 各方面から怒られそうなことを今から書きますが。
「戦争、はんたぁーい」「自衛隊は、いけーん」などと安全エリアで喚き散らしているだけの誰かさんたちより、そんな人たちからどんな酷いことを言われても、何一つ反論しないまま、黙って訓練を続ける姿勢を見せ、各方面に睨みをきかせて国民を様々な厄災から守り続けてくれている自衛隊員のほうが、私には遥かに格好良く見えます。

 ・・・ムカッときた人は「制服フェチがとち狂って変なことを言ってるのだろう」とでも思って、聞き流して下さい。
 度量の大きな人は素敵ですよね。

 しかし「ごちゃごちゃ説明しないほうが格好いい」と黙ったままでいるのも、時と場合によりけり、ということは、前回も書いたとおりです。
 言葉も、行動も、バランス良く。

 昔のCMにもありましたが。
「頭ばっかりでも、体ばっかりでも、ダメよね♪」
 一見何でもなさそうなところに、思わぬ真理が潜んでいるものです。

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