無門関第四則「胡子無鬚」異説
無門関第四則「胡子無鬚」について、以前書いたものとやや違う内容のものが降りてきたので、残しておこうと思います。
■ちゃんと自分で訳してみる
そもそも、前回は、この則の訳文は既存の訳文をベースにしました。
そのせいもあってか、考え進めるのにかなり難渋した記憶があります。
そこで今回、ふと思い立って、原文をじっくり眺めたんですが。
この原文、単純には日本語に訳せない文章のように見えます。
第四則はもしかしたら、漢和辞典などを片手に中国語の原文をそのまま読んで、いきなり考え始めるほうが、却って取り組みやすくなるタイプの考案のような気もするんですが、それでも何とか訳してみようと思ったら、私が訳すとこうなります。
〈本則〉
西方印度の田舎者、どういうわけでか、ヒゲがない。
西方印度のヒゲジジイ、どういうわけでか、ヒゲがない。
印度の達磨にお釈迦様、どういうわけで、ヒゲがない。
評唱と頌は前回のものでいいかと思うので省略。
ちなみに、原文の「無鬚」を「鬚がない」と訳したんですが、「無須」だと「意味がない・必要ない・無駄である」のような意味もあるらしい。
「鬚」と「須」の二つの語が、北宋時代の中国でどの程度互換性があった語なのかがわからないので、これに関しては補足程度にしておきます。
この訳文を、前回のものと差し替えるかどうかは、今のところ考え中。
■再び考察してみる
仏門に入った人は、剃髪をすることがあります。
髪やヒゲなどを剃り落とすわけです。
元々、仏教が生まれた地である古代インドでは、髪を剃ることは罪であり、恥であるとされていたそうなのですが、釈迦があえてその罪人スタイルを選択したというのが、剃髪の始まりのようです。
釈迦のその行動にどのような意図があったのかは、想像するしかありません。現在の日本の仏教では「切っても切っても生えてくる毛髪は煩悩の象徴」という捉え方がされているようです。
で、私最近知ったんですが。
東南アジアでは、どうやら仏僧は、頭髪だけでなく、ヒゲや、眉毛まで剃り落とすことがあるそうなのです。
そこにどのような意味があるのかまでは、私は知りません。
いずれにしろ、そういう戒律が存在するということなのでしょう。
では、中国ではどうだったか。
これもまた最近知ったことなんですが。
中国でも、仏教が伝来してしばらくは、仏僧は頭髪を剃り落としていたらしいんですが、いつ頃からか、なぜか、頭髪やヒゲ、爪などを、切らずに伸ばしっぱなしにしてしまう僧侶が増えてきたらしいです。
どうしてそういう変化が起こったのかはわかりません。
この「髪の毛を剃らない」という行為について、「戒律破りだ」と批判する向きもあったそうですから、或いは禅の修行を追求する過程での、ひとつの挑戦だったのかもしれません。
そして、北宋時代では、有髪の僧侶のほうが主流になってしまいます。
すると、それに伴ってか、「仏法をみだりに口にすると、眉やヒゲが抜け落ちてしまう」なんてことが言われ始めるようになったのだそうです。
しかもそれがひとつの恥であるかのような雰囲気で。
なんだそりゃ。
さて。或庵は言いました。
「西方の印度人、どういうわけでヒゲがない」。
残存する達磨の肖像画には、ヒゲがあることが多いです。
「どうして達磨にヒゲがない」。
北宋時代の禅僧が、もしも「ヒゲがない達磨」を見たら、相当混乱するんじゃないかと思うのです。
達磨は禅宗の開祖です。
座禅を続け、言葉の外にある教えを大切に伝えたはずの、どえらい僧侶。
どうしてその達磨に、「みだりに仏法を口にし、もてあそんだ証」である、眉なしヒゲなしの相があるというのか。
北宋時代の禅僧にとっては、相当でかいパラドックスです。
でも、私なんかがこの話を今聞いても、「ん? ないんなら、剃ったんじゃないの?」くらいの感想しかわきません。
それのどこが不思議なの? って感じです。
前回私は、「達磨には物理的なヒゲはある」という前提であれこれ考えましたが、その前提さえなければ、全然不思議な話ではないです。
インドや東南アジアや古代中国では、そもそも仏僧は頭部の毛を剃ることが普通だったんですから。
これが不思議な話になるのは、或庵が「達磨にはヒゲがあるはずだ」と思い込んでいる場合です。
或庵の中に、「ヒゲがある達磨」が厳然としてある。
或庵が自分の中で知り育てた「ヒゲのある達磨」が、「ヒゲのない達磨」と出会うとき、大きなエラーが生じるわけです。
かつての物や人や事柄を、後世の価値観というフィルターを通して見つめたとき、その対象物は、変質して伝わってしまうことがあるのかも知れません。
元々は「社会の戒律を破る」行為だった、釈迦の剃髪。
それがいつしか、釈迦の弟子達の新しい戒律になりました。
元々は「仏教の戒律を破る」行為だった、禅僧の有髪。
それがいつしか、中国の禅僧の新しいスタンダードになりました。
そしてまた、「無髪は恥」という価値観が育ちました。
「形骸化した無意味なものを疑え」「本質を見よ」と口先で言いながら、「毛なしは恥」という思い込みを外せぬままで、ひげ無しの達磨を眺め論じるのは、あまり褒められた行為ではなさそうな気もしてきます。
その辺がちゃんとわかってないと、「ヒゲがない達磨」を目にしたとき、「当時の既存の価値観に挑戦していた人」ではなく「仏法をみだりにもてあそんでいた人」と変質した受け取り方をし、しかも自分のフィルターがそう変質させたことに気づかない、なんてことが起こります。
そして「いや、達磨にはヒゲがあるはずなんだ!」「ヒゲではないものというヒゲが」なんてことを無理矢理考えなければならない羽目になる。
何か窮屈です。
達磨には、ヒゲは、ない。
それは、仏法の神髄が備わってないということではない。
とりあえずそれでいいんじゃないですかね。ダメ?
まあ私は後世の人間だから、この事柄については、簡単にこんな偉そうなことが言えるんですけど、こういう「自分の価値観や乏しい知識で、別の事象を評価してしまう」ということは、現代でも至る所で起こってます。
私もそこかしこでやらかしているに違いない。やってないわけがない。
自分のことを自分で気づくの、結構難しいんですよね。
気をつけたいと思います。
ところで前回私は、「或庵が悟っていたら、『達磨にはヒゲがなかった』と言い切っていたような気がする」と書いた覚えがあるんですが、私も全然悟ってないわりには、そこそこいい感じのことを書いてますね。
自画自賛で締めるみっともなさ。
まあ、悦に入るのはここですっぱりやめますんで、平常心の実践ということでどうかひとつお許しを。
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