無門関第十五則「洞山三頓」

 無門関第十五則「洞山三頓」について綴ります。
 公案の現代語訳は、こちら。

 この公案に関しては、簡単に言うと、「臨機応変」ということかなと、感じています。

「お前、何しにここに来たの?」と訊かれたときに、「今日はこれこれこういう目的で来ました」と言うべき場合と、「自分が未熟なせいで迷惑をかけて申し訳ありません」と言うべき場合とが、あるでしょう。
 どちらの答え方をすればいいかは、もう、ケースバイケースとしか言えないのですが、これを見極めるのは、簡単なようで結構難しい。

 洞山は、雲門に訊かれた通りに答えます。
 でも多分、雲門が欲しかった答えは、質問を顎面通りに受け取った答え方の方ではなかったということでしょうね。

 例えば「どこから来たの?」はこれまでの洞山の生い立ち・背景・出家の動機まで含めて訊いてる。
「夏は、どこにいた?」というのは、この夏の修行がどの程度進んだのか訊いてる。
「いつ、そこを離れた?」というのは、修行の成果がでたのかどうか、でならばそれはいつ頃で、何を切欠に得られたものなのか、そういったことまで含めて訊いてる。
 あくまでも私の想像ですけど、字面以上の意味まで含めての質問だったということなのでしょう。

 で、洞山は、その意図を全く汲めずに回答した。
 少なくとも、雲門はそう解釈した。
 だから、「棒叩きをくれてやるところだが、今回は勘弁してやる」と敢えて言ったのでしょう。

 実際のところ、この手の質問に対する答え方をどうするかは、ケースバイケースなのですから、洞山のような答え方も、状況次第では間違いではないです。
 普通に場所や時間を訊かれたときに、例えば「そんな昔のことは忘れたよ」などと答えたら、「お前めんどくせぇな」と思われかねないじゃないですか。
 そういう意味では「必ずしも棒叩きを喰らう必要があるわけではない」ということになるので、従って雲門はある意味では「誑かした」と言えなくもありません。

 しかし、おそらく洞山の今回の答えは「一周回ってあえて素直に答えている」ではなかったのでしょうし、それ以外の答え方があるということに気づいていなかったのだろうと思うので、雲門はそれを気づかせるために敢えて「棒叩きだぞ」と言った、ということでしょうね。
 なのでこの時点では、どちらかというと、本当に棒叩きを喰らわせるつもりで「棒叩きを喰らわせる」と言ったのではないということです。だから「勘弁してやる」。

 実際、こう言われたからこそ、この短い会話の意味を、洞山は一晩中考え込むことになります。
 言われなかったら、考えることはなかったでしょう。
 そして、やっぱり解らず、再び雲門に訊ねに行きます。

「この無駄飯喰らいめ」
 この下りの原文は「飯袋子、江西湖南便恁麼去」です。
 この「便」は、「便ち」つまり「すぐに・ただちに」という意味にとるべき文章なのでしょうけども、「飯」という一語と対比を為したダブルミーニングの単語かと、私は解釈しています。
 なので、通常は「江西だか湖南だか知らんが、お前は一体どこをうろついていた」とする現代語訳が多い印象ですが、私はあんな風に訳してみました。

 訊かれたことに、訊かれた通りの回答だけを、何も考えずに出す。
 まるで、ぼーっと飯をくって排泄するようなものだ。
 それは言うなれば、仏の教えをたっぷりと摂取しても、身になることなく体外に出ていってしまうようなものである。
 どこでどんな修行を重ねたつもりか知らんが、一体それが何になる。
 そんなことばかり繰り返した挙句にここに来たのか。
 雲門のあの言葉は、そんな意味なんじゃないかと、私は感じています。

 で、洞山はこれで悟った。
 しかし、もしかしたらその気づき方は「そうか。質問に対しては『常に』裏の意味を考えた答え方を『しなければならない』んだな」であった可能性もゼロではないです。
 もしそうなら、それは単にカードの表を裏にひっくり返しただけのことで、「応用が利かない」という点はあんまり変わっていません。
 この可能性を指して無門は「いまだ乾ききってはいない」と評したのでしょう。

 しかし、ともかくも、雲門の教えは、洞山に、悟りに至る大きな切欠を与えました。
 たとえ一の矢には疑わしい部分があったにしろ、それは、洞山に深々と刺さった二の矢への布石として必要だったのですし、否定しきることはできないでしょう。

 一般社会に即した現実的な発想の言動をするか。
 仏教世界に根ざした専門的な発想の言動をするか。
 常にどちらかだけが正しく、どちらかだけが誤りだということではありません。
 その対応の仕方を、臨機応変に行えれば、もっと自由になる。
 そういうことを、この公案は、教えてくれるような気がするのです。

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