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職場の働きがいは、目の前のそのひとをひとりの人間として大切に扱うことから


最近、私の中でとても気になっているのが「職場での人間性の尊重」

立て続けにSNSでも投稿して、コメントをいただいたりそれにお返事させていただく中で、そろそろ1本の記事にしておきたいと思って書くことにしました。


1.言葉にならないモヤモヤ

ここ数年、とても気になっていながら、思うように言葉にならずにモヤモヤしていたことが少しずつ熟成されてきたのか、この数カ月の間に徐々に徐々に言葉になりつつあります。

そこに充てたのが「人間性」という言葉です。

私の中でも生煮え感があるのは否めなくて、まだこれから表現する言葉は変わっていくかもしれません。


遡れば、2014年に私が内閣府・内閣官房に派遣されたときに感じた「人事は私のキャリアをどう考えているんだろう?」というモヤモヤだったのか。

もしくはその2~3年前から感じた「再任用のひとたち(主査)は大した仕事もしていないのに、私(当時は技師)より高い給料をもらってるの、なんなん?」というモヤモヤだったのか。

私がその当事者になることはなくても、多忙を極めるプロジェクトを進めなくてはいけない中で、どうしても求められた量・質に応えきれずに調子を悪くしてしまうひとたちを見てきたり。


ちゃんとしたアカデミックな議論(心理学的には~とか社会学的には~)があるのかもしれませんが、自分の職場やこの業界における“肌感覚”としてここにあるモヤモヤ。

それは、「公務員で(公務員でも?)離職が増えている気がする」とか「メンタルで病休になるひとが増えているらしい」とか「職業としての公務員の人気に翳りが見えている」とか、そういうことの根底に一本の黒い河がながれているんじゃないかという感じ。


ここに私の中で言葉になってきたのが「私はひとりの自立した人間として大切に扱われているな」という感覚の有無、つまりは冒頭で述べた「「職場での人間性の尊重」なのかな、というのが現時点での私なりの中間報告なのです。


2.モヤモヤが言葉になっていく

そのモヤモヤが徐々に言葉になり始めたのは、以下の3点が大きく影響しています。

①2年前に新型コロナウイルス感染症の対応に追われる部局の端っこで係長として働くことになったこと
②私の勤め先の職員アンケートで30~40代が他世代と比べて「働きがい」を感じられていないことを知ったこと
③資格取得後にのべ100件を超えるキャリアコンサルティングに取り組んできて相談者から様々な悩みをお聴きしたこと


①は、私が2021年4月に今の保健衛生局健康科学研究センターの係長に着任して、保健所の様子感染症対策に関わる本庁の雰囲気などに接する中で、本当に多くの職員が心をなくして忙殺される様子には心が痛みました(私の職場はそれほどでもなかったことは幸いでした)。
そこに投入される全庁からの動員職員も、期間限定で入れ替わり、取り換えがきく部品のよう。とにかく作業する手の数量が求められる世界。
あくまでさいたま市のケースではなく地方公務員全体のデータですが、メンタルヘルス不調で休職または病気休暇を取得している職員のうち、最も割合が多い所属部署が「保健福祉」だというデータ※もあります。
(※令和2年度メンタルヘルス対策に係るアンケート調査(総務省)


②の職員アンケートはその一部が会議資料として公開されているのでご紹介します。

働きがいを感じている職員の年代別分布
(出典:令和4年度 第3回 さいたま市 行財政シンカ推進会議 資料

アンケートで回答者が「働きがい」をどのように解釈しているのか(もちろん設問に注釈は付されていたはずですが)によって、働きがいを感じる/感じないという回答の意味するところは変わるので、もっと詳細に分析すべきです。
ただ、言えるのは、私が勤めるさいたま市役所で30代~40代と言えば、業務の中核としていわば各部署で「エース」を担う世代であり、係長になるまで、それこそ馬車馬のように働く世代です。私の感覚では、前述した再任用へのモヤモヤのように、実際の処遇を超えた成果を求められながらそれに必死に応えている世代が30代~40代です。


③のキャリアコンサルティングについては、2年あまりで100件を超えるご相談をお聴きし、その半数程度が公務員の方です。
ご相談の内容はさまざまですが、上司の方との関係性で「頑張りを認めてもらえない」「理不尽だと思う対応も『仕方がないだろう』ですまされる」といった声や、組織との関係についても「どうせやりたい仕事はやらせてもらえない」「せっかく外部に派遣されたのにそれを活かせない」といった声があります。

私がお聴きしたことだけで、公務員の業界全体を論じることはできませんが、やはりそこには「私はひとりの自立した人間として大切に扱われているな」と感じることができない相談者の存在と共に、そのうしろに、彼ら・彼女らが代表する多くの「ひとりの自立した人間として大切に扱われている」と感じられない公務員の気配を感じるのです。


3.人を歯車のように扱う社会で

産業革命以降 "人が1箇所に集められて効率化を追求してながら働く" というスタイルが始まりました。すなわち「人が歯車になって働く時代」です。

工場からオフィスワークに移行する中で、人を歯車として扱う感覚は薄れてきたような気になっていましたが、よく考えると高度成長期の日本の「24時間働けますか」も、依然として「人が歯車になって働く時代」だったということ。
さらには「24時間働けますか」の時代が終わっても、私たちは1日中デスクでPCに向き合い、上司や取引先、管理部門など「上流工程」から流れてくるメールや指示、問い合わせや依頼を捌き「下流工程」へと送り出すことを延々と繰り返しています。

まさに「ドキュメント工場労働者」です。

結局のところ、ベルトコンベアがPCに変わっただけで、本質は何も変わってないのかもしれません。


本来、私たち管理監督職は、一緒に働いている人たちを「ドキュメント工場労働者」にしていないか考える必要があるのかなと思うのです。それが「私はひとりの自立した人間として大切に扱われているな」と感じられるかどうかにつながっているのではないでしょうか。

具体的な例を挙げれば。

◆「毎日職場に来るのが当たり前」だと思っていませんか。
⇒ 家族の事情や本人の体調で急に休むこともあります。本来なら、仕事をしてくれればテレワークだってかまわないはず。それを「急に休むと困る」「うちの事業は職場に来ないと仕事にならない」と心のどこかで思っていないでしょうか。

◆「 指示したことはやって当たり前」だと思っていませんか。
⇒ 指示をして素直に従わない職員に「つべこべ言わずに黙ってやってくれないかな」と感じていませんか。やる意味や目的に納得できないと、本当にこれでいいのか迷いながら作業をすることになります。

◆「組織の都合に合わせてもらうのが当たり前」だと思っていませんか。
⇒ 「来月から給付金の応援に一人とられてしまうけど悪いね、申し訳ないけど何とかしてくれる?」そう伝えた職員は納得していないようですが、それを見て「私(課長)にもどうにもできないんだよ、組織の決定なんだから仕方ないだろう」とか思っていないでしょうか。


これらは管理監督職の態度や言葉でしたが、これが同僚同士であったり、他部署の職員との間であったりでも同じことが起こっています。

「同じこと」というのは、「こういう場合」に「あなたの立場」ではという決めつけや思い込みで判断しているということ。

「急にあなたが休むと困るんだけど」
「あなたはこの仕事を指示どおりにやって」
「一人減るんだからあなたが何とかするしかない」

私はこういったやり取りが「私はひとりの自立した人間として大切に扱われているな」と感じられない原因なのではないかと思っています。


4.ひとりの自立した人間として扱うということ

逆に、こういった場面で「私はひとりの自立した人間として大切に扱われているな」と感じられるには、どうしたらいいのでしょうか。

私もまだまだ勉強中ですが、例えばこんなやり取りなのかもしれません。

鈴木さんのお子さんが体調崩したの? 心配ですね。何か急ぎでやっておいた方がいい仕事ありますか?」

「余計な仕事に見えるけど、このひと手間で幹部を説得できるならやる価値があると思うんだ。それに田中さんのキャリアを考えると、そろそろ経験しておいてもらいたいんです」

「一人減ってしまうのは私の調整力不足で本当に申し訳ありません。佐藤さんの業務量は理解しているつもりなので、佐藤さんだけに負担がかからない方法を一緒に考えさせてもらえませんか?」

明らかに手間がかかります。

でも、手間をかけましょう、ということなのかもしれません。


私が、30代~40代が働きがいを感じられていないらしいという庁内の調査結果を聞いて、真っ先に感じたのは、彼らのことをちゃんと一人ひとり大切に向き合っている管理監督職がどれだけいるのだろうか、ということでした。

もちろん、人事異動のことも長時間の残業のこともあるでしょうし、”ブルシットジョブ”のような問題もあると思います。私も日々、一体どれだけのメールに「該当ありません」と処理すればいいのかと、頭にくることもあります。

でも、そんな個々の問題全てにはその根底に流れる黒い河があって、「私はひとりの自立した人間として大切に扱われているな」と感じられない職員が多いのかもしれないな、というのが率直な気持ちでした。


上述したような3つの言い換えは、私は英語のhandle(物や機会を扱う)からtreat(人や物、動物を扱う)への転換ではないかなと思っています。

それは自分の思うように従えて操作する(handle)のではなく、互いに自立した命として手や言葉を添える(treat)ような感じ。添える手や言葉には相手を大切にしようとする意志が宿ります。


この問題を意識し始めると、さまざまな本の中でも同じことを語っているように見えてきます。

例えば、『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィ)でいうところの「相互依存」であったり、『謙虚なコンサルティング』(エドガー・H・シャイン)でいうところの「レベル2の人間関係」であったり、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(アービンジャー・インスティチュート)でいうところの「箱から出る」であったり、『他者と働く』(宇田川元一)でいうところの「相手のナラティブに橋を架ける」であったり。

だから、問題提起自体、私が新たに発見したという気もさらさらないですし、今までに様々な切り口から様々なメタファで語られてきていることであって、その取り組み方を学ぶ方法も開かれているんです。


5.シンドくても丁寧に関わることから

私がこのモヤモヤについて考える時、自分がまだ若かった頃のことを思い出すからか、どうしても管理監督職に多くを求めてしまいがちです。

でも、私自身が2年前に初めて係長に(しかも、まったく未経験の分野で)なったときに「やっぱり係長になるために必要な知識も技術も、まったくと言っていいほど学ぶ機会がないんだな」ということを思い知りました。

これは過去さまざまな先輩方から聞いた限りでは、課長になるときも同様のようです。

係長になるときにも課長になるときにも、この「一人ひとりと丁寧に向き合う姿勢」の大切さと具体的な行動を教わらないのはとても不思議なのですが、だけど、これが新卒一括採用とか終身雇用、年功序列といった制度と地続きなのかもしれないと妙な納得感もあります。

つまりは歯車としてドッサリ仕入れて(新卒一括採用)、それを上手いこと組み合わせていく(人事異動とOJT)っていう労働観が長く親しまれてきた結果なのかもしれません。

じゃあ、どうしたらいいのか、それは本当に難しいのだけれど、間違いなく言えるのは、このことに気づいたひとから、目の前のスタッフを本当の意味でひとりの自立した人間として敬意を払うことから始めたらいいということ。

そして、きちんと相手に納得してもらえるように説明を尽くしたり、一つひとつ、一秒一秒の関わりが自分本位になっていないか、相手のことを思いやったり相手の状況や気持ちを想像したりできているか、すなわち漫然と関わるのではなくて、ちょっとシンドくても丁寧に関わることなんだろうなと、それが今の私の「中間報告」時点での到達点です。

まだ3合目くらいかもしれません。
登山道はまだ続きます。


皆さんはいかがお考えでしょうか?



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