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ひとりであれこれ考えて行き詰ってしまったら、誰かに話しかけてみてください。もしかしたらちょっと不思議なことがおこります。


相談、話しかけてみること

 「なにか(わからないことが)あれば、相談してください。」
 これは学生でも社会人でもごく当たり前に聞く言葉です。学生の場合、相談する相手は先生が多いと思いますが、頼りになる同級生や先輩がいればよく相談する、といったこともあるでしょう。
 社会人、とくに新人の基本は「ほうれんそう」ですので言われるまでもない、と思うかもしれません。
 私たちは相談や質問を受けるとき、少しでも役立つ助言やヒントを提供しようとしたり、ときには正鵠(せいこく)を射る意見や指摘をしようとして頑張りますが、誰かに話しかけて相談することの意味は、具体的な解決策が得られることだけではない、と言われると意外に思うかもしれません。

話をしている最中にまとまる

 頭を悩ませている問題を誰かに話して、その相手も情報や解決策を持っていないため黙ったままでいるとき、ふと自分のなかで考えがまとまったり、閃いたりして疑念が解消されることはないでしょうか。おそらくこのような経験をしたことがある人がいると思います。
 最初はなんだか奇妙に思いながら、問題をかかえる度に良い聞き役をつかまえて話しを聞いてもらう、といったこと繰り返していたのですが、そのうちに話しをすることの効果を確信するようになりました。

話しかけることは「出力」

 話しをすること、誰かとコミュニケーションすることによって、私たちの内部でなにかが起こるようです。
 それは話す、ということが「出力」であることと関係があるのかもしれません。

 養老孟司はこのことについて、「文武両道」と「知行合一」の意味を説明しながら次のように書いています。

脳への入力と出力
 文章を読むでしょ。それが耳に入るでしょ。声を出すのは脳からの出力で、それが耳に入るのは、脳への入力です。
入出力がきちんんと連絡して、入力から出力、出力から入力という輪が回転し続けること、それが知行合一なんですよ。
<中略>
 文武両道の「文」とは脳への入力です。本を読んでも話を聞いても、人に会っても森を散歩しても、脳への様々な入力が生じます。
 脳はその入力情報を総合して出力をします。その出力が「武」でしょ。
<中略>
 言葉も入出力が回る典型です。自分で音を出して、それを自分の耳で聞くんですから。周囲の大人が話しているのを「聞いているだけ」では、話せるようにはなりません。そんなこと、当たり前です。話す練習をしなければ、大人だって、外国語を学習できません。
 こうしてあるていど脳が育ってくると、今度は入力と出力を脳の中で回転することができるようになります。
 脳の中で出力し、それを脳の中の別の部分が入力と捉え、というふうにして、脳の中で入出力を回すわけです。
 これが「考える」ということじゃないですか。

養老孟司の<逆さメガネ> 養老孟司

 私たちは本を読むことと、体を動かすことをまったく関係のない別のものと思い込んでいますが、これはどちらも欠かすことのできないもので、「入力から出力、出力から入力という輪」を繰り返すことが学習であり、それが「文武両道」と「知行合一」の意味ということのようです。
 コミュニケーションとはこのように「脳の中で入出力を回す」ことになり、それによって考えがまとまったり、腑に落ちたりするのかもしれません。

 われわれの脳は、外から「入力」を受けて、内部で「演算」をして、それで結果を身体の動きとして外へ出す。
 つまり「出力」をする。
<中略>
 身体を動かすというと、なにか運動することだけのように聞こえますが、そうではありません。
 身体の動きはすべてのコミュニケーションを作っています。言語も表情も。言葉は声帯や舌を動かすことだし、表情は筋肉の動きです。

「バカにならない読書術」養老孟司

 話すことの意味が脳の中で「入出力を回す」ことであるとすれば、相談を聞くひとはもしかしたら黙っていてもいいのかもしれません。


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